誰かが足蹴りにされて倒れている。(たぶん作者)
森の中でオウルと別れたリュウキは、煉瓦で舗装された道を足早に歩いていた。
向かうのはラナイと待ち合わせをしている礼拝堂。片言で喋る<虚獣>はオウルが相手をしているとはいえ、やはり念のため早めに合流しておくに越したことはないだろう。
今まで確認されたことのない新種の<虚獣>を思い返し、リュウキは険しい表情を浮かべる。
<虚獣>に変化が現れていることに対して注意をする必要はもちろんあるが、何より戦慄したのは。
(あの<虚獣>の言葉……あれは、おそらく)
リュウキはやや俯き唇を噛みしめた。
この街に着いてからどうにも心が休まる暇がない。パルシカとの予期せぬ再会。フィルとリルの事。そして先程の<虚獣>……
そこまで考えたところで、リュウキはハリトの家でリルが自身の姉の話をしていたのを思い出した。
(……リルがフィルの妹、ということはリルが話していた姉というのがフィルのことだったのか。……だが)
おかしい。矛盾が生まれてしまう。あのリルの口ぶりは姉を亡くしたという感じではなかった。
フィルは、あの時……。生きているはずがない。あれはどう考えても致命傷だった。
まだフィルがあの空間から脱出して治癒を受けたならば、あるいは。
しかし、一人分の転移術の聖力しか残っていなかったフィルは、よりにもよってそれをリュウキに使って彼女はあそこに残ったのだ。
あの時点で空間の要となっていた<力>が封印されていた以上、あそこも遅かれ早かれ消滅してしまったはず……
一体どういうことなのか。
聖域側が意図的に隠している? それとも実はフィルは生きていて……? いや、それはないはず……だが……
リュウキの考えはそこで冒頭に戻りぐるぐると回る。その疑問の答えは出そうにない。
これ以上は無駄だと判断したリュウキは考えるのをやめることにした。
それに、答えが出ようが出まいが、ある事だけはすでに決めていた。不意に茶褐色の双眸に翳りが差す。
(……ともかく、”リルがフィルの妹”だというのなら……)
フィルの妹をこれ以上巻き込むわけにはいかない。
何より、フィルを手に掛けた自分には、リルと共にいる資格などないのだから。
天導協会支部の隣に建つ礼拝堂の前にリュウキはやってきたが、ラナイの姿は見当たらなかった。
中にいるのかと思いリュウキは礼拝堂の扉に手をかける。
(……ラナイと合流したらそのまま街から出るか)
そう考えながら中に入ろうとしたところで名を呼ばれた。
「リュウキ! ……だったわよね?」
なんだか確かめるように呼ばれ、リュウキは怪訝な顔をして振り返る。そこには見知らぬ少女が立っていた。
ゆるくウェーブかかった短めの銀髪にやや釣り目の蒼色の瞳、歳はリュウキやラナイとそう変わらないように見える。
「リルから伝言があるんだけど、あ、私は」
「……あいつが連れてたペガサスか」
リュウキは気がついたように言った。
「あら、わかる?」
「気配で分かった」
「説明の手間が省けて助かるわ。この姿は落ち着かないからあまりなりたくないんだけど、あっちの姿じゃ目立ちすぎるし。そもそもリルがこんな町のど真ん中に放置するのが悪いのよ……」
「……それで、伝言というのは」
ヴァレルの愚痴が続きそうだったのでリュウキは話を戻す。
見当たらないラナイと何か関係あるような気がしたのだ。ラナイの代わりにリルの聖獣……リュウキは嫌な予感がしてきた。
「え、ああ、そうだったわ。リルとラナイは二十分くらいで戻るそうよ。えっと五分くらいたってるからあと十五分くらいね」
「…………」
リュウキはやや眉を寄せて黙り込んだ。
やはり二人は一緒にいるのか。これではリルに黙ってラナイと街から出ることができなくなってしまった。
リルと別れるのは後回しにするしかなさそうである。小さく息をついてリュウキは口を開く。
「……どこ行ったんだ?」
「そこまでは聞いてないわ。追いかけたら、目の前で消えちゃったし……。リルってば、苦手な転移術まで使ってどこいったのやら」
伝言メモにされたヴァレルはまだ不機嫌そうである。
リュウキは確かめるように言った。
「たしか聖獣は契約者の位置が分かるはずだな?」
「ええ、探知はできるけど」
「どこにいるか探してくれ。今<虚獣>が出てる。礼拝堂にいた方が安全だ」
「あら、それは心配ね。ちょっと待って」
ヴァレルは目を閉じて精神を集中させる。
「……ん……?」
なにやら思いっきり眉を寄せるヴァレル。
「…………」
一応もう一度確かめてみる。だがヴァレルの顔はそのままだ。
「……えー……?」
「どうした? まさか探知できないのか」
リュウキも怪訝な顔をする。探知できないとなると何か起きている可能性が出てくるが。
「いえ、探知できるけど……」
「なんだよ?」
「ものすごく遠いみたい」
「……………………」
この街にすらいなかったらしい。
(あらーなんか怒ってそう。リルってば一体どこに行ったのよ……)
リュウキをこっそり横目で見ながらヴァレルは心の中でそう思う。
「えーっと、追いかけ……るわよね。はいはい」
訊こうとしたがリュウキに睨まれた(ようにヴァレルには見えた)ので確認した感じになった。
「案内するのはいいんだけど、言っとくけど私あなた乗せられないわよ? 私、一角の血が混ざってるから」
一角獣……ユニコーンは女性としか契約できないらしい。
その制約が混血とはいえヴァレルにもあてはまってるようだ。
「……なら走る」
さすがに無理やり乗せろとは言わないリュウキである。
「リュウキがそれでいいなら構わないけど。天導協会から聖獣でも借りてくれば?」
「手続きが面倒だ」
「でも結果的には早いんじゃ?」
「…………」
確かにそうかもしれない。リュウキがちょっと考え込んだところで数分前に森の中で別れた空色の神人がやって来た。
「おや? 君はヴァレルだね。リュウキくんは難しい顔してどうしたんだい?」
謎の喋る<虚獣>は特に問題なく倒せたのだろう。人語を片言ではあるが話すという特異な点を除けば、普通の<虚獣>の強さと変わらなかったようである。
「あ、オウルいいところに。あなたも聖獣連れてるわよね?」
ヴァレル自身女性しか乗せられないことはわかっているので、もう一人の神人が男性も乗せられる聖獣を連れている可能性が高い。
「ん? ああ、そうだけど」
ヴァレルの予想は当たっていた。事情を説明して二人と二体でリルたちを追いかけることにした。
オウルの聖獣は背に一対の翼をもつ獅子のような体格の獣だ。毛先が朱色の首周りに精緻な造りの銀装飾をつけている。名前はラシエンというらしい。
オウルはなぜからっしーと呼んでいる。
『今度は聖女とリルが行方不明なのか? 大変だな』
初日リュウキとラナイを探してたのを知っているラシエンはそうぼやく。
「……やっぱりお前ら置いていくべきだった」
超不機嫌な様子でリュウキが言った。
(……勝手に出発した奴がいるから予想はしてたが……こっちも大変そうな感じだな……)
口には出さないがそう心の中でぼやくラシエンだ。
オウルとリュウキを背中に乗せ、ラシエンは空に飛び立った。ヴァレルも元の姿に戻る。
『東の方なんだけど。結構遠いわ』
ヴァレルの探知を頼りに一行は東に向かって飛ぶ。
オウルが鞄から地図を取り出した。
「位置的にどの辺?」
『んーと……この距離感だとベイルスあたりね』
地図を覗き込みながらヴァレルはそう言う。
『ベイルス? 今あそこは何もないよな?』
地名を聞いてラシエンは怪訝な顔をする。オウルの後ろに乗っているリュウキの表情が一瞬強張った。
オウルはリュウキのわずかな変化に気づいたがそのまま続けた。
「そうだね。<虚無大戦>の時に攻撃を受けて今はだれも住めない場所になってる」
『何でそんな場所に……』
やはりなにかに巻き込まれたのだろうか。
「ヴァレル、リルに伝心術は?」
聖獣騎士は契約している聖獣と伝心術で会話をすることができる。
『……え……っと、それは』
オウルの言葉にヴァレルはなぜかぎくりと固まった。
『実は伝心術うまくいったことがなくて……』
「……おやおや」
「…………」
ヴァレルはもごもごと口ごもる。オウルは仕方ないねという感じだ。リュウキは何か言いたげに睨んだが何も言わなかった。
『あ、ねえ、ベイルスならこっちから行った方が早いわよ』
ヴァレルは話題を変えようと気付いたことを言った。
『この季節、この先は風が強くて飛びにくいのよ』
「へぇ、じゃあこういうルート?」
『そうそう』
オウルが広げた地図を見ながらヴァレルは頷く。
『どういうルートだよ?』
二人を乗せたラシエンは地図が見えない。
オウルはラシエンの前に腕を伸ばして地図を持って行った。
「こういうルート」
『……見えねぇ』
ちょうど向かい風が吹いてラシエンの顔面に地図が張り付いていた。
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