すっかり夜も更けた頃、工房を兼ねたパルシカの家の外でリュウキは一人周囲を睨むように見ていた。
ちょうどキサラがごみ袋やら投げていたあたりだ。
こんな近くで<虚獣>が現れるかもしれないというのに寝てなどいられなかった。
オウルは冗談で言っていたらしいが、いざという時はあの力を使うことも辞さないつもりだ。
『そんなに警戒せずとも危害を加えるつもりはない』
不意に、どこからともなく低めの静かな声が響いた。確かにその声に敵意は感じられなかったが、リュウキは背中の剣に手を伸ばし臨戦態勢をとる。
「!」
リュウキの斜め前方の闇が動く。そこに音もなく一匹の獣が顕現した。
灰色の毛並みに紫色の瞳、そして纏う気配……<虚獣>だ。
だが、他の<虚獣>と少し違う。
瞳の色が薄い紫であることと、前足と後ろ脚にぐるりと赤紫色の紋様が刻まれていた。
(……この<虚獣>は……)
剣の柄に手をかけたままリュウキはやや目を細める。見覚えがあったからだ。
ベイルスで<虚獣>の核を初めて見た時に頭に思い浮かんだ光景。それに出てきた、対峙する二体の<虚獣>。
脚の紋様の色が赤紫ということは、術式陣に包まれていた方か。
確かに、あの<虚獣>の核から復活したのが目の前の<虚獣>なら状況的にも辻妻が合う。
その<虚獣>はリュウキの顔を見て気づいたように言う。
『……お前は、あの時のうつ』
「リュウキだ」
<虚獣>の言いかけた言葉をリュウキは素早く遮った。憎悪すらこもった眼差しで、目の前の<虚獣>を見返す。
だが、<虚獣>はその視線に動じることなく静かに受け止めた。
『そうか、そういえばそう呼ばれていたな。私はレトイだ』
「…………」
咄嗟に自身の名前を言ってしまったが、目の前の<虚獣>は意外にも名乗る。
他の<虚獣>にはない、しっかりとした自我があるようだ。
感情的になりかけていたリュウキだったが、虚を衝かれてやや落ち着きを取り戻した。
『それで、私を消すのか?』
自身の生死に関わっているはずだが、レトイの声音には焦りや不安は感じられず、薄紫色の瞳もあくまで静かな色を湛えていた。
「……いいや、会話ができるならあんたには聞きたいことがある」
リュウキは少し間を置き、柄から手を離しながらそう答えた。
「それに<黒紫の虚無神>と対立してたらしいな」
『ほう、その話を信じるのか?』
肯定も否定もせず、レトイは重ねて問いかける。
「信頼できる人から聞いた話だ。そもそも魔境や聖域に、わざわざ<虚獣>を封印して禁術まで施す理由が無い」
封印や禁術の手間を考えれば<虚獣>一匹くらい倒した方が手っ取り早い。
確かに他のよく見る<虚獣>とは少し違うようだが、それでも圧倒的な力の差を感じるわけでもない。まだ虚無の勢力が同族に対する同情か何かでやったと考えた方が妥当だ。
理由はどうであれ、リュウキは同じ<虚獣>がやったと考えていた。
「ただし、だからといってあんたを信用するわけじゃない。少しでも妙な真似したら容赦しない」
『わかっている。好きにしてくれ』
その後ずっとリュウキはレトイを見張っていたが、たまに話しかけてくるだけで特に襲い掛かってくることもなく一夜が明けた。
「何している?」
早朝キサラがそんな声をかけた。
「見張りに決まってるだろ。いくら<黒紫の虚無神>と対立してたとはいえ襲ってこないとは限らない」
一晩中その場から動かなかったリュウキはそう答える。
ちなみにレトイは夜が明けてきた辺りですでに姿を隠していた。周囲が明るくなってくると流石に目立つのだ。
「ああ、それなら心配ない。彼とは盟約を交わしている。その中に仲間を傷つけないというものも含まれている」
「……盟約だと?」
「詳しくは言えないが、互いの願いを叶えるために協力し合うといったところだ」
「…………」
あの<虚獣>そんなこと一言も言ってなかったぞ。
「その様子ではレトイは言っていなかったようだな。話し相手でもほしかったのかもしれないな」
当の<虚獣>は相変わらず姿を消したままだった。
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