リルたちは少年の案内で緩やかな流れの川沿いを下流に向かって進み、彼の村に向かっていた。
正直リュウキは服を乾かすためにわざわざこの少年――ハリトの村へ行くつもりはなかったのだが、ラナイが子供の彼をこの森の中で一人置き去りにすることに難色を示したのだ。
仕方ないので送り届けるだけということでリュウキは同意したのである。
そう、そのことについては同意したが。
「任務は二人でいいって言っただろ。ついてくるな」
ラナイから渡された布で滴る雫を拭きながら、リュウキは後ろを(当たり前のように)歩くリルをじろりと見る。彼女ら神人二人の同伴を認めた覚えは一切ない。
「お気になさらず。あんたじゃなくてラナイについて行ってるだけだから。たまたま行き先が同じだけよ」
「…………」
ラナイの腕を取りながらリルはしれっと言う。リュウキは目を据わらせてピキリと青筋を立てた。
「<虚獣>は無事に倒せたみたいだね」
「あ、オウル」
誰もいなかったはずのリルの隣をいつの間にか空色の聖騎士が歩いている。
「お帰りなさい。そちらも怪我もないようでよかったです」
数十分前に森の中で別れたオウルの無事な姿を見てラナイは安心したように言った。
また気配もなく現れたオウルにリュウキだけはやや驚いた顔をしていたが、すぐに睨むように彼を見た。
「お前もついてくるな。あと気配を消して近づくな」
「ん? リルについて行ってるだけだから気にしなくていいよ? 気配はちょっと癖になってるから難しいかな?」
「………………」
誰かと同じ屁理屈を述べるオウルにリュウキはさらに目を据わらせる。頭に浮かんだ怒りマークがもう一個増えたのは気のせいではあるまい。
「それにしても、俺がいない間にリュウキ君はその子と水遊びでもしたのかい?」
「んなわけあるか。あっちの神人のせいで川に落ちたんだ」
オウルがふざけた質問をするのでリュウキは半眼のまま答える。
「だから私はそんなに重くないって言ってるでしょ!? 危なそうだったから助けてあげたのに何なのよ……」
リルはうんざりとした様子で言った。
「危なくなんかなかった。お前の勘違いだ」
「危なかったわよ! やばいーって顔してた」
「してない」
「してた」
「してない」
「してたー!」
「してねぇ」
「してたあぁ――――!!」
しつこいリルにリュウキは思わず口調が荒くなる。
「し……」
言いかけて、リュウキは既視感に襲われた。
頬を膨らませてこちらを見ているリルにある人影がかぶる。
栗色の髪に人懐っこい瞳の青年だ。
――――今欠伸噛み殺したろ? ほら子供は寝ろって。
――――欠伸なんかしてない。まだ起きてられる。
――――したってー
――――してない
――――したした!
――――してない!
――――したしたした!
――――してねぇ、つかしつこいアラス
……目の前の少女とは、性別も種族も違うというのに。
「――……」
「……?」
言い返していたリュウキが急に押し黙ったのでリルは訳が分からず面食らった。
川沿いの道の途中に分かれ道があり、そこで森の方へ続く道に入りしばらく歩く。すると一行の視界が開けて軒を連ねた家々が見えてきた。
ここがハリトの住む家のある村だそうだ。ヴァレルは目立つので送還する。
『まあ、人捜しは終わってよかったわ。この先も同じことになったら上空でリル落とせば見つかりそうだし安心ね』
「ちょちょちょ、物騒なこと言わないでよ!?」
まーだ忘れられてことを根に持っているのか、そう言い置いてヴァレルは消えた。
「あら、リルさんにはそんな特技が?」
「違う……」
至って真面目な顔でたずねるラナイにリルは肩を落とした。
するとオウルが面白がって話に乗ってきた。
「それはすごいね。これからはヴァレルに落とされたら見守っておくね」
「だから違うって! というか助けてよ!?」
そこへ、一軒の家の前で立ち止まったハリトが声をかけた。
「ここだよー」
彼は扉を開けて中に入っていく。リルたちは戸口で待つことにする。
「ただいまー」
中は明かりがついているので誰かいそうだ。間もなく奥から一人の女性が慌ただしく足音を立てながら出てきた。
「ハリト!?」
現れた女性は彼を見るや否やその小さな体に抱きついた。ハリトは驚いた様子で女性に視線を向ける。
「お母さん?」
「よかったわ。虚獣が出たと聞いてたから心配してたのよ。あなたまで何かあったら……」
母は無事な息子の姿を確認して心底安堵したように息を漏らす。
「――心配かけてごめんなさい」
ハリトは少し言葉を詰まらせてからやや俯いて言った。
(……あなたまで?)
リルは女性の言葉に少し首を傾げる。何か問題を抱えているのだろうか。リュウキもやや眉を寄せて聞いていた。
「虚獣に追いかけられたんだけど、この人たちに助けてもらって……」
ハリトは後ろのリル達の方を振り返る。女性はそこでやっと彼女たちの存在に気付いた。
「まあ、私ったら人様の前で恥ずかしい……」
女性は驚いてハリトから体を離した。
「いえいえ、お気になさらず」
ラナイは穏やかに微笑んでそう言った。
「天導協会の方ですね。私はイルミナといいます。この度は息子を助けていただいて本当にありがとうございます」
女性――イルミナは改めてリルたちの方に向き直ると頭を下げる。
「助けてもらった時にそこのお兄ちゃんと川に落ちて服が濡れちゃって」
「川?」
ハリトがリル達と一緒にこの家にやってきた経緯を説明していると、イルミナが何やら怪訝な顔をした。
「まさか西の森にいたの?」
「……あ」
ハリトはしまったという顔をして、視線を彷徨わせた。
「ダメでしょう。今あそこの森の遺跡は……」
「ご、ごめんなさい。でもやっぱり気になって……」
「子供のあなたが行ったところでどうにもならないでしょう? それにもし……」
「うん、わかってる。僕もお母さんに心配はかけたくないよ」
先程出迎えた時のイルミナの様子を見て、ハリトは自分がどんなに母親に心配をかけていたか身に染みて理解していた。していた……が。
(でも……)
ハリトは少し俯いたまま小さな手を握り締める。
二人のやり取りを聞いていたリルは、何があったのだろうと気になって思わず口を開いた。
「……あの」
「! すみません。そちらの方は濡れていらっしゃるんでしたね。皆さん中へどうぞ。着替えとお茶用意します」
リュウキの方を見ながら慌てた様子でイルミナはそう言う。すっかり会話に置いていかれて困ったのだろうと思ったようだ。
ハリトを村に送り届けるだけだと言っていたリュウキも何か思うところがあったのか、結局口を挟むことはなかった。
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