水のない半壊した噴水の横を通り抜け、ひび割れた石畳の上をしばらく歩いていくと視界が開けた。
そこは周りを木に囲まれた広場だった。地面の芝生は幾つもの大きな亀裂が走っていたり深く抉れている箇所が目に付き、かつて激しい戦闘が繰り広げられたことを物語っている。
周囲の木々も幹が折れたりなぎ倒されたりしているものが多いが、右奥の一角が特に木の損壊が激しいようだ。
さっと広場に視線を走らせたキサラはそちらに向かっていく。
その後ろをついて行きながらリルはあることに気づいて怪訝な顔をした。
(……なんか幽霊の数が減ってきてるような?)
隣のラナイもそれに気づいているらしく瞬きして周りを見ている。
広場の端に近づいていくと、辛うじて折れずに残っている木の陰から微かに光が漏れているのがわかって来た。
何の光だろうと思っていると、なぎ倒された木々の先に薄紫色の丸い物体とそれを上下で挟むように浮かんだ複雑な術式で描かれた二つの円形陣が見えてくる。
(……<虚獣>っていうからやばい感じかと思ったけど……嫌な気はしない……封印されてるからかな?)
目の高さよりもやや上で静止している片手に乗るくらいの薄紫色の球体を見つめながらリルはそう思った。
(それにしても……)
この辺りを漂う魂の姿はなぜか一つもない。そのことにリルがより眉をひそめているとキサラが口を開いた。
「ここでは普通にしていい。騒ぐのはよくないが」
そう聞いてリルは大きく息を吐き、ラナイも小さく息をつく。続けてリルはこの辺の幽霊のことや目の前の小さい球体についてたずねようとしたが、
「これから少し厄介なことになるかもしれない」
いきなりキサラが不穏なことを言うのでそれどころではなくなった。
「ここの魂たちはこれを守っているので、これを動かすと監視が厳しくなる。行きと同じように静かに移動すれば大丈夫だと思うが、もし危なくなったら私が奴らを引き付ける。その間に二人は街から出てくれ」
「え、なに、動かすってまさか持ち出」
「嫌です」
一体何をするつもりなのかと困惑するリルの言葉を遮ってラナイがやや強い口調で拒否する。いつも穏やかなラナイにしては珍しいことだったので二人は彼女に目を向けた。聖女はじっとキサラを見ていた。
「自分を犠牲にするような行動には賛成しません。一緒に何とかしましょう」
「いや、別に死ぬつもりはないが」
「…………」
「…………」
「…………」
「……わかった」
思い詰めたようなラナイの視線にキサラの方が折れた。それを聞いてラナイの表情が少し緩む。
「あと、もし魂たちが襲い掛かってきても物理攻撃は効かない。聖術の類は効くかもしれないが魔境の近くだ。気づかれて目をつけられたくなければ控えた方がいい」
そう言いながらキサラは灰色がかった紫色の燐光を放つ術式陣の前まで歩いていく。そしてそのまま二つの陣の間に腕を突っ込み、宙に浮いている薄紫色の球体を手に取る。
「ちょ、そんな簡単に取れるものなの? その陣は飾り?」
平然とキサラが術式陣から手を引き抜いたのを見てリルは目を何度もぱちくりさせた。
「いいや、お前たちがやったらこうはいかない」
「え、じゃなんでキサラは?」
「私だからだ」
「……は??」
謎な発言にリルの目は点になる。
「これで用は済んだ。いくぞ? 二十分以内に戻るのだろう」
「あ、そうだった。遅れたら何言われるか……というか、キサラの瞬間移動で出ちゃえば早いんじゃ?」
あっとリルは気付く。こんな魔境の近くまで来れたのだ。外に出るなんて造作もないことだと思うが。
「残念ながらそれは無理だ。中から外に出られないように町全体に術がかけられている。入る分には関係ないのだが」
「あ、そうなのね……」
がくりとリルは肩を落とす。使えるならとっくに使っていそうだ。リュウキがいたら間違いなく突っ込まれていただろう。
「あの、思っていたことがあるんですが」
リルとキサラが歩き始めたところで、ラナイが不意に口を開く。
「ここに彷徨っている魂たちはなぜこんなことに……? ここから解放できないのでしょうか……」
「ここの術は聖術や魔術と術式が異なり、誰も手をつけられないと聞いている。虚無の者が仕掛けた術だからだと思うが」
「そうですか……」
キサラの言葉にラナイは哀しそうに瞳を伏せた。
「私……全く知りませんでした。ここの魂たちに少しでも早く安らぎが訪れますように……」
ベイルスの町外れにある切り立った崖の上に三人の人影があった。男一人の女二人だが、三人とも黒と緑を基調とした服を着ており、どこかの組織の制服のようだ。
「トリン、ベイルスに神人が?」
髪の短い女がベイルスの方を見ながら問いかける。
「ええ、巡回していた魔獣が気づいて確認したのよ。他に人間と魔族もいたわ。三人とも中に入っていったみたい」
肩に小柄な獣を乗せたもう一人の女――トリンがそう答えた。
「あの町は魔境も聖域も手が付けられないのに……物好きもいたものね」
「ルメ……ただの神人ならわざわざ言わないわよ。聖騎士だったの。それに人間も天導協会の制服だった」
呑気なルメにトリンはため息をつく。残りの長身の男は興味なさげに聞いている。
「別にいいんじゃない? あの町は魔族の魂も縛られているんだし、同胞も何とかしてくれるなら助かるわ」
「でも何も知らされていないわよ。ここは魔境の近くだから、何かするなら魔境守護軍に事前に連絡が来るはず」
魔境守護軍―――その名のとおり魔境に拠点を置く組織で、彼女たち三人はこれに所属している魔族だ。
二人の言葉に長身の男の目が鋭く光った。
「ほう、では暇つぶしができそうか」
「ちょっとウルガ隊長、いくらなんでも襲い掛かったらだめですよ」
好戦的なウルガをルメが慌てて止める。
「なんだ、つまらん」
ウルガは不満そうに零した。
「さっき盗賊倒してきたじゃないですか」
「あんな奴ら準備運動にすらならん」
「そーですか」
ウルガが全部倒してしまったのでルメとトリンは運動すらしていない。
「ともかく、もう少し様子を見ますか」
トリンが街の方を眺めながらそう言った。
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