八甲田山を後にした一行は、ファミリーレストランで立ち寄って昼食を食べ終えてから、盛岡市内にある四十四田ダムへ向かうことにした。時刻は12時30分をまわろうとしていた。
「ここから四十四田ダムは高速で走って2時間40分の場所にある。着いたら15時は回っているな。四十四田ダムから森のしずく公園は車で走らせて50分の距離にある。長谷川君が淡々と思い出作りを終わらせることが出来れば、森のしずく公園にスッと行けることが出来る。少なくとも夜の遅い時間帯には行きたくない。」
烏藤がそう語ると、助手席で座る星弥も同じことを考えていた。
「全くもって同感だ。亡くなられた方々に不謹慎かもしれないが、夜には行きたくない。肝試しに来たんだと思われては困る。」
運転をしていた烏藤がうんうんと頷いていると、支倉が「オカルト好きの長谷川君にとってはラッキーだよな。本当だったら東北に来たんだから、もっといろんなところに回りたかったけどね。でも俺も饗庭や侑斗君の活動を見ていて、何だか憧れを抱いたってのもあったから、饗庭のさっきの御祓いをしている様子を見ていて思ったよ。饗庭はやっぱり強いよ。強くってユーモアがあって優しいし、どんな御霊達に対しても愛情を持って怯えることなく接している。俺は饗庭の模倣しているだけに過ぎないなあって思っている。」と話すと、烏藤は「饗庭は何も警察官になる必要なんてなかった。霊能力者一本でもやっていけた。でも饗庭は御祓いの道には行かなかった。これはボランティアで行ったほうがいいってね。本当に霊障で困っている人に果たしてお金をもらうべきなのかどうなのか、肝試しの同伴にといった依頼もあり、入ってくる仕事の内容の大方は、果たして本当に悩んでいることなのかそうでないのか、そう考えていくとこれはお金をもらってするべきものじゃないと考え始めた。俺の場合は会社員になっても良かったところだったんだけど、やはり公務員という立場がどうしても欲しかった。公務員試験を受け合格した末に俺は青森駐屯地の自衛官として働く道を選んだと同時に、御祓いはボランティアで行うことにした。芦原だってそうだ。あいつなんか、恐山で小学生の時からずっとイタコとしての修業を積んできた。俺なんかよりも霊媒師としての経験はベテランだしね。でも芦原も考えたことは俺と同じだった。本当に霊障で困っているのか、霊媒師だと知って心霊スポットに同伴してほしい、本当に困っている人に救いの手を差し伸べたとしても原因を知ったことで指摘をすると、激昂され怒られることだってあった。この世の中は幽霊が怖いんじゃないんだよ。怖いもの見たさで心霊スポットへと足を踏み入れた結果、亡者の怒りを買う結果になった人たちの理不尽さ、”憑かれたから払ってください”と金だけポーンと渡されて、思い通りにならなければ口コミサイトで文句を叩かれる。こんな不条理な話はあるのか。俺も芦原も、同じ思いでお金は一銭も受け取らないスタンスで活動を続けている。支倉もそれだけのキャリアがあるのなら、独り立ちしても良いんじゃないのか?沖縄だったらユタとして活動を行う事だって出来るんじゃないのか?」
烏藤がそう語ると、饗庭も続けて話し始めた。
「実は言うと俺も犬鳴ダムで自殺した人の御霊の供養に行ってきたんだけど、あの地で眠る悪霊にずっと悩まされ続けた。入籍したばかりの遙を舞台上の事故で結婚式を挙げる前に亡くなってしまって、俺のせいで俺に伝染していた呪いが遙にうつってしまったのかと思うと、言葉には言い表せられない思いになってずっと隠れていた。警察官になったのは父さんやお爺ちゃんと同じ道を歩みたかったんだけど、人々は俺に救いを求めている、その声に気が付いて、最初は躊躇った。でも侑斗が俺がずっと恐れて耳をそらしてきた話題についても、霊能力者として救いの手を差し伸べるべきだと言って侑斗は俺がしなければいけない活動をあいつなりにやって、そんな侑斗を見て兄貴として先輩霊能力者として指導をしなければいけない気持ちになって、復帰をする覚悟が出来た。支倉には霊能力者としての才能はある、俺と侑斗、烏藤と芦原、そして支倉の5人でこれから先ずっとボランティア霊能力者を行っていこうぜ。」
星弥が後部座席に座る支倉にそう語ると、支倉はあることを語り始めた。「俺も最近、知り合いのユタのところに行って、そのユタ曰くは俺には遭遇した霊魂と語り合える能力があることを見い出されて、ユタとしての活動を行うべきだと説得されたんだ。八甲田山では星弥に救われた形になったが、俺は俺なりに出来ることを饗庭たちとともにやっていきたい。」と話した。
隣に座る吉原がそれを聞くと、支倉に対して語り掛けた。「ユタだか何だか知らないけど、でもそれが人助けになるんだったら支倉君だって、饗庭君と侑斗君と一緒になって行っていいんじゃないの。本当に困っている人に対して、助けてあげることは本当に大事なことだから。肝試しの同伴なんてもってのほか、本当に困っている人たちはきっと声にあげることすら躊躇して言えずにいるんだと思う。そんな人たちの、抱える悩みを晴らしてあげるべき、それが支倉君に出来る才能の一つなら、わたしは支倉君にも饗庭兄弟や烏藤君や芦原さんと同じ活動をするべきだと思う。」と話すと、支倉は深く考えた末に「わかった。真剣に考える。」と答えるにとどまった。
一方、芦原が運転する車では、侑斗と長谷川が熟睡できていなかった分の睡眠を後部座席で、お互いにいびきをかきながら寝ているのだった。
その様子を運転席から眺めた芦原がニコニコと笑いだす。
「よっぽど眠れていなかったのね。そっとしておこう。」
烏藤が運転する車と芦原が運転する車が盛岡市内に到着すると、最寄りのインターチェンジを下りて、四十四田ダムへと向かう最寄りの道を走り続け、そして時刻が15時を回った頃にやっと到着をすることが出来た。
「侑斗君、長谷川君、四十四田ダムに到着したよ。」
後部座席でぐうすか寝ている侑斗と長谷川を起こすと、侑斗はハッとなって目が覚めると、隣で熟睡している長谷川を叩き起こした。
「おい!起きるんだ!長谷川!長谷川が行きたがっていた四十四田ダムだぞ!!」
侑斗の呼びかけに長谷川が目を覚ますとうとうとしながら周りを見回した。
「長谷川君の行きたかった四十四田ダムに到着したよ。」
芦原が長谷川に優しい口調で語り掛けると、長谷川がハッとなって車から降りるとダムに到着していることに気が付き、「写真で見た四十四田ダムだ!」と声を上げてダム湖を覗き始めた。
その様子を見た烏藤と星弥と支倉の3人は、本当にこのダムに霊がいるのかいないかを確かめるために検証を行い始めた。3人の様子を見た芦原と侑斗も続けて、幽霊がいるのかいないのかを確かめるために霊視を行い始めた。
ダム湖から眺める景色をぼんやりと眺めはじめた吉原は星弥たちに「もう少し絶景が楽しめるかなあって思っていたのにダム湖があるだけの殺風景な世界じゃない。見所がここしかないのなら、森のしずく公園の慰霊にさっさと行こうよ。」と切り出したが、星弥は吉原にこう話し始めた。
「幽霊ハンターの長谷川君がここを選んだのには理由がある。それも含め、霊能力を持つ俺と侑斗、烏藤と芦原と支倉の5人で心霊スポットとしての真偽を確かめている。だからもう少し待っていてほしい。」
長谷川は幽霊ハンターとして心霊写真が撮れそうだと思った箇所を前にしてスマートフォンのInstagramのアプリをクリックすると、何枚もの画像をアップロードをし始めた。「あとでどんな反響が来るのかが超楽しみだ!!」と長谷川が呟くと、更に無我夢中になって今度はデジタル一眼レフカメラでも撮影し始めた。
そんな様子を星弥が呆れたような表情で見ていると、烏藤がWikipediaに掲載されてある内容を読み始めた。
『四十四田ダム(しじゅうしだダム)は岩手県盛岡市上田字松屋敷、一級河川・北上川本川上流部に建設されたダムである。
国土交通省東北地方整備局が管理する特定多目的ダムで、北上川上流改定改修計画に基づいて計画された「北上川五大ダム」の第四番手として東北地方最大の大河・北上川本流に建設された唯一のダムでもある。堤高50.0m、型式は重力式コンクリートダムとアースダムが複合したコンバインダムである。北上川の治水と水力発電を目的に建設された。ダム湖は南部片富士湖(なんぶかたふじこ)と呼ばれる。
1941年(昭和16年)の「北上川上流改修計画」による田瀬ダム(猿ヶ石川)建設に端を発する北上川総合開発は、戦後1947年(昭和22年)の石淵ダム(胆沢川)建設で再開された。1949年(昭和24年)には経済安定本部の諮問機関・河川調査会の発案による「河川改訂改修計画」を受け北上川もカスリーン台風・アイオン台風における出水を参考とした「北上川上流改訂改修計画」が定められ、更に1954年(昭和29年)「国土総合開発法」によって北上川流域は「北上特定地域総合開発計画」事業の指定を受け、上流から下流まで全域で河川総合開発が強力に推進された。
この総合開発の一環として、北上川水系に5つのダムを建設する「北上川5大ダム」計画が「北上川総合開発事業」(KVA)の中核事業として計画された。四十四田ダムは第4番目として着手された。当初は上流の同市渋民地点にダム建設は計画されていたが、貯水容量や水没物件の点に問題があったため、現在の四十四田地点に変更になった経緯がある。
ダム湖は「南部片富士湖」と呼ばれるが、これは通称「南部片富士」と呼ばれる岩手山を正面に見ることができるため、1969年(昭和44年)に盛岡市観光協会が命名した。盛岡市街地から北へ約6kmの位置にあり、市民の憩いの場ともなっている。ダム天端から湖側を望むと、眼前には岩手山の雄姿を望むことができ、晴天の日には特に見事な眺望を見せる。また、ダムより北へ進むとかつてのダム予定地であった渋民に至る。石川啄木所縁の地として有名である。
ダムへはJR東北新幹線・盛岡駅、またはIGRいわて銀河鉄道・厨川駅下車。車で行く場合は東北自動車道・盛岡インターチェンジより国道46号を東進、その後県道220号(旧国道4号)〜国道4号を渋民方面へ北進し茨島跨線橋南のハーフインターチェンジを四十四田方面(IGR線と平行する市村道)へ走行し、その後右折する。(国道46号東進後)盛岡市上田四丁目十字路より盛岡市道上田深沢線を松園ニュータウン方面へ進み手前の東黒石野十字路を右折するルートや、滝沢インターチェンジより岩手県立大学前を経由し、前述のIGR線と平行する市村道に至るルートもある。なおダムサイト両端には車止めが設置されており、ダム上は歩行者と自転車のみ通行可能。』
(出典先:Wikipedia 四十四田ダムの記事のページより引用)
Wikipediaに掲載されてある内容を読んだ烏藤は「至って普通のダムだな。工事中に起こった労災の記録もなさそうだしな。」と語ると、支倉は四十四田ダムで報告されている心霊現象のWEBページの内容を読み始めた。
「四十四田ダムは自殺の名所として知られている。ダムから白い手が伸びてきて引きずり込まれるなどの話もある。最近は街灯が出来て夜でも明るくなったようではあるが、以前は本当に真っ暗で人が一切近寄らない場所だった。また、四十四田ダムの湖底は泥が深く、飛び込んでいったん沈んだが、二度と上がって来られない底なし沼ともいわれている。そのために、飛び込み自殺を図った方の御遺体が浮かんでこないとされている。そういった理由で、昔から自殺の名所として有名で、ダムの水を抜いた際には複数の遺体が発見されたともいわれている。今でも四十四田ダムに釣りに来る人の中には、水が生暖かく、ヘドロの匂いがする場所があるため避けている人もいるとされる。四十四田ダムの自殺に関する報道は幾つかある。2008年4月28日に四十四田ダム近くの公園駐車場に停車されてあった軽トラから20代前半の男性の遺体が見つかり、車の窓ガラスには自殺を仄めかす文書が貼ってあり、車内や遺体の状況から推測して硫化水素による自殺を図ったものだと思われている。また最近では、2016年11月22日に女子高生2人組による飛び降り自殺があり、知人男性からの通報を受けた消防がダムの敷地内で倒れているところを発見し緊急搬送するが、一人は死亡、もう一人は一命を取りとめるも重症を負ったと伝えられている。」
支倉の読み上げた内容に、一同は愕然とした。
「は?何それ?底なし沼ってそれだけ遺体って浮き上がってもないものなのか?現役警察官よ!」
烏藤の問いかけに、星弥が答えた。
「さあ、どうだろう。それに果たしてこの四十四田ダムが底なし沼なのかどうか、それすら情報としては怪しいところじゃないのか。それにダムで水を抜く作業なんて聞いたことがない。貯水率が下がったときのことを言っているんじゃないのか。」
星弥が支倉に語ると、後ろから長谷川が近付き都市伝説を語り始めた。
「四十四田ダムを語る上において欠かせないことがある!それはかつて高校生が自主製作映画の撮影のために四十四田ダムに訪れていた。四十四田ダムから飛び込むシーンを撮ることになり、生徒自らダムへ飛び込んだ直後に心臓麻痺を発症し、溺れて亡くなったという話がある。その後に、生徒が撮影した動画を確認したところ、溺れた生徒の上に老婆が覆い被さっており、さらに水中から伸びる無数の白い手が映し出されており、生徒を水の中に引きずり込もうとしていたという。またその他にも湖から白い手が手招きするという話もある。話は溺れた生徒に戻り、生徒が生前に撮影した映像には当然ながらその様子が映し出されておりテープはお蔵入りされたそうだが、本当に存在しているかどうかは不明とされている。しかしもしこの話が事実だとしたら見てみたいと思わないか?俺は是非とも幽霊ハンターとして見てみたい!」
長谷川が意気揚々と語ると、芦原が呆れた表情で答えた。
「霊視をした結果を言うと、ここは確かに自殺の名所ね。でも先程長谷川君が言った話は都市伝説の一部にしか過ぎない。老婆は、死んだ後に昇天するために近くには岩手山がある、また水場でもあり、霊が非常に集まりやすい場所でもある。ただこの老婆の怨念は残念ながら感じることはない。たとえこの地をたまたま通りかかり休憩した浮遊霊であったとしても、生者をダム湖に引きずり込むまでの負のパワーは存在しない。老婆はよく心霊スポットで現れやすいからそのイメージが付いた、そして白く無数の手のほうが事実だろう。ダム湖をそっと眺めていたら、夥しいとは言わないが確かに自殺者であろう御霊達がこちらを注意深く覗き込んでいるのは見てわかった。ただ引きずり込むほどの要素は感じない。」
芦原が解説をすると、続けて烏藤が説明した。
「恐らくだが、心に闇を抱えている人ほど、この地に眠る自殺者達の御霊に誘導され自死を選ぶのは間違いないだろう。ニュースでも取り上げられた硫化水素による自殺を図った20代男性の御霊や女子高生の御霊が彷徨っているかどうかも注意深く検証は行ってみたが、20代男性のほうはこの世に対してもう未練はないのだろう、成仏しているのはわかった。無職だったともあるように、仕事先が見つからずに追い詰められた末の結末だったのだろう。ただ女子高生のほうはとなると、まだこの地に彷徨っている。死ぬまでにいろいろなことがあったのだろう。報道によれば、彼氏に二股をかけられた女子高生が友達と共に四十四田ダムで一緒に自殺をしようと呼びかけたところ、その呼びかけに応じた友達が死んでしまったとあるように、亡くなった彼女は彼女で友達として自殺を図るまでに止めることは出来なかったのか、肉体が無くなった後でも自問自答の日々をずっと過ごしている。女子高生の御霊は禍は齎さないが心から永眠されることをお祈りして、刺激をするようなことはしてあげないでそっとしてあげたほうがいい。それが一番の彼女の供養方法だ。」
烏藤の説明に星弥と侑斗、芦原が頷いて聞くと、納得がいかない長谷川が危険行為に出る。
「何としてでも俺がこの手で引きずり込もうとする無数の白い手を撮影してやる!デマではないと学習させてやる!」
長谷川がそう話すとデジタル一眼レフカメラを動画の撮影モードに切り替えてから橋の欄干に勢い良く身を乗り出そうとしたところを、慌てて烏藤と星弥と侑斗と支倉の4人が「やめろ!死ぬつもりか!!」と駆けつけて、ダムから落ちることはなかったが、侑斗が血の気が引いた長谷川の表情を見て激しく叱責をした。
「何をやっているんだよ!自殺者の御霊達の一員にでもなりたかったのか!?まだまだ行きたいところだってあるんだろ!?だったら危ないことをするんじゃない!」
侑斗が怒ると、長谷川が「ごめん。無数の白い手が映し出される様子を撮影したかったんだ。心霊写真だって撮りたかった。水面に無数の人の顔が浮かんでいるとか無数の手が伸びている様子とか、どうしてもその真偽をこの目で見て見たかった。」と語ると、星弥がそんな馳せ我がを見て一言言い放った。
「日本全国、色々な心霊スポットや御祓いなどをしてきたが、無数の白い手なんて話はよくあるぞ。自殺の名所ならではの現象だね。俺たち霊能者は、それを自殺者の御霊達の集合体と言うんだ。そういうった場所にはリーダー格とされる幽霊がいて、その幽霊を中心としたサークルがある。サークルとなって生者を襲い掛かってくるパターンは自殺の名所以外ないのだが、そういった場所はあまり深入りをしないほうがいい。場合によっては心の弱さに付け込まれ憑き纏う可能性だってある。」
星弥がそう話すと長谷川がさらに質問した。
「さっきの八甲田山は危険だというのに、四十四田ダムは深入りしないほうがいいと考えるのには理由があるんですか?教えてくださいよ。」
長谷川の質問に星弥が答えた。
「八甲田山の兵士の御霊達は、俺が説明したと思うんだけど、理性や自制心を失った状態で生き延びようと我さえも忘れてしまった状態でお亡くなりになっている。だから誰が行っても危険なんだと俺は言った。だが四十四田ダムは訳が違う。自殺者は常に生者が抱える心の闇に付け込もうとする。四十四田ダムで現れる霊は地縛霊で悪霊の一種なんだ。人を死の道に誘い込むのだからね。そういった御霊には彼らに対して己の弱さを付け込まれないことが大事であり、はっきり言ってそう言った場所は知り過ぎないほうが一番の憑かれないための安全策でもある。俺達のような霊能者はあえてこういう自殺の名所での御祓いは一切しない。深入りして干渉したことにより身に危険が生じては元も子もないからだよ。」
星弥がそう語ると長谷川は言われた内容に納得を示したのだろうか、「わかりました。先程はどうもご心配をおかけしてすみませんでした。」とぼそぼそとした口調で語るにとどまった。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!