【完結】慰霊の旅路~修業編~

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旧かもめ荘跡地(島根・出雲市)

公開日時: 2021年11月21日(日) 01:36
文字数:7,305

「ここは何ですか?廃墟ではなくなっていますね。」


星弥がプロデューサーの多田野に話すと、多田野は答えた。


「近々オープンすることになった、日御碕キャンプ場になります。」


それを聞いた星弥は「廃墟はどうしたんですか?」と聞き始めると、多田野は「見ての御覧のとおりです。廃墟は2021年に本格的な解体工事に入った後に、2022年にはかもめ壮の建物があった場所は全て更地になりました。しかし島根を代表する心霊スポットの一つとして知られていたところでしたので、跡地を利用したいという業者がなかなか見つからずやっと、この地をキャンプ地として利用したいというリゾート会社が開発をしてくれたおかげでこの地に再び人が訪れるようになっていくだろうと思います。」と話すと、星弥は「それだけなら怖くないじゃないですか。他に理由があるという事ですよね?」と追及すると、多田野は答えた。


「キャンプ場開発に携わったリゾート会社のある社員Aによる問い合わせが当テレビ局に是非とも心霊番組として取り上げてほしいという内容だった。内容としては、常に誰かに見られているような視線を強く感じる、現場には誰もピンヒールのようなコツンコツンと歩けば鳴り響くような音のする靴を履いていないのに、そのような音が聞こえてくるなど、不可解な現象が起きたんだ。それだけでなく、一緒にメールで添付されていた、森を写真撮影したとされる写真には沢山のオーブが写し出され、これは未だなおかもめ荘の御霊が彷徨っているという何よりの証拠ですよ。」


多田野が見せた写真を見た星弥は「これはあまりにも、多すぎる。話しかけるにしてもきりがない。」と語った後に「多田野さん、出来る限りのことは僕もこの地に来た以上行いましょう。ただここは民宿があった以外に何か闇に葬らなければいけない歴史があったはずです。収録が始まるまでにかもめ壮としてオープンするまでに何があったのか出来る限り調べてください。」とお願いをすると、多田野は「出来る限りのことは行いましょう。」と話した後に、近くにいたディレクターに情報を集めるようにと指示を出すのだった。


星弥は調べてもらっている間に、日御碕キャンプ場の中を散策していた。


「キャンプ場という割には、お洒落な木造のコテージがあって、コテージを囲むようにして水路のような場所があるのが印象的ですね。うん?水路にしては仕切りの壁があったりして、これは一体どういうところなんですか?」


星弥が多田野に質問をすると「この辺一帯がですね、民宿で一杯なんです。そこで旧かもめ壮の跡地を活用した格安の値段で泊まれることが出来る、キャンプ場のようなものを作ろうじゃないかという話になって、今のコテージのような作りになったんです。コテージは計10棟あり、また自由にテントを張って寝泊まりをしたい人のためにその奥がキャンプをするためのスペースとなっていて共同で使える温泉の施設もあります。また各コテージには、薪を使用するタイプの暖炉と、源泉かけ流しの温泉を堪能することができるお風呂場と、庭にはコンロさえ持ち込んでいただいたら気軽にバーベキューを楽しむことが出来ます。施設にはバーベキューセットのレンタルも行っていますが、すべて有料で必ず使い終えた後は綺麗に清掃することが条件ですね。コテージや森のキャンプ共用スペースを取り囲むように設置されてある水路は持ち込んできた野菜などを汲み上げた地下水で綺麗に洗えることが出来るようになっています。勿論夏の暑い時期は、足だけつかって暑さ対策にという事にも使えます。冬の時機はプールの水を凍らせないためにも水路の水を全部抜きます。」と答えると、星弥は「へえ。そうなんですね。そう考えたら比較的安い価格でこの辺りで宿泊できるというのは結構大きいですね。」と答えると、多田野は「まあそうでしょうね。民宿とは違って、共同の温泉施設は無料で入れますが、ただバスタオルやハンドタオルと言ったものはすべて有料でしたし、コテージにおいても暖炉で火を熾したり、バーベキューをする、お風呂に入るための準備はすべてお客様がしなければいけないと考えるとですね。格安の理由も頷けますよ。人件費だって、入り口近くに受付がいる程度だけで良いんですからね。あとは清掃すふたっふでコテージを使用した場合は清掃するなどをする、削れるところはとことん削れますからね。」と話すと、星弥は「施設がオープンすれば益々繁盛するでしょう。場所も悪くないと思います。ただ問題はこの木々に写り込んでいる大量のオーブだ。」と語った後に指摘した。


「このオーブの正体は間違いなくこの地でお亡くなりになられた方々が今もなお救いを求めるために彷徨っている可能性がある。オープン以前に先ずこの土地全体を清めなければいけない必要性がある。」


星弥が話し出した内容に、多田野が首を傾げ乍ら聞き出した。


「それはどういうことですか?」


多田野の質問に星弥は答えた。


「ここは土地の洗浄が必要です。清めなければ、何をやっても事業は長続きせず同じことの繰り返しになるでしょう。」


星弥の話を聞いた多田野は戸惑いを隠せられなかった。


「それは一体どういうことですか?TV局に除霊の依頼をしてくれたリゾート会社のAさんのためにも凄腕と聞いた銀河さんを呼んだのに、除霊ではなく土地の洗浄が必要の意味が、いまひとつ理解が出来ません。そもそも幽霊が出てくるという事ならば土地は関係ないのではないのでしょうか。」


多田野が星弥に聞き出すとこう切り出した。


「多田野さん、思い出してください。僕はここに民宿が出来る前、つまり戦前から大正そして明治までの時代にこの地には何があったのか。かつてかもめ壮で働いていた従業員の話によると、かつてここには民宿だった、そして保養所へと変わっていき時代の流れと共に使われなくなるようになってやがてこの建物は廃墟となっていった。僕が知りたいのは、この民宿になる以前の事です。今僕達を注意深く取り囲む御霊達の様子を見て僕の中ではある答えが出てきました。」


星弥が慎重な語り口で多田野に話すと、多田野は「その答えというのは何ですか?教えてください。」と聞き始めると、星弥は「気を落ち着かせて聞いてください。」と一言忠告をしてから答え始めた。


「恐らくこのかもめ壮は、かつて不治の病ともされた結核患者による隔離病棟の可能性が高いです。恐らく治療方法が確立されていなかった明治から昭和20年代頃は、結核と診断されても、治す見込みがないため重篤化した患者をこれ以上の感染を拡大させない目的で、恐らくかもめ荘は作られたのだと思います。かつてのかもめ壮の造りを思い出して頂きたいのですが、病院と造りが似ていませんか。恐らく地下室は遺体安置所があったのだと推測できます。2階が主に病室で男性用と女性用のお風呂に分けられていた、といったところでしょう。個室を作るような余裕もないため、結核患者で蔓延した病室で一人一人の患者の対応を行っていた医者や看護師にも結核が伝染した可能性が高く、衛生状態は極めて劣悪なものだったと推測できます。その結果、治療方法もないわけですから、入院をした患者の殆どはお亡くなりになられ、そして感染した医師や看護師も同じ運命になってしまったのでしょう。恐らく、まあかもめ壮を訪れて1ヶ月後にお亡くなりになられた霊能者の方は訪れるまでに持病があったことも考えたら、呪われた可能性は皆無に等しいと思いますが、ただやはり病院だったことも考えると、まずは土地そのものを綺麗に洗浄するための儀式を行い、さらにこの地で眠り続ける御霊達に大規模なお焚き上げ供養なども行わなければいけないでしょう。除霊はそう簡単なものではありません。何せ、僕が見た数でも、数百いや数千に近いぐらいの数かと思われます。それだけ多くの方々がこの地でお亡くなりになられているのですから、僕一人で祓い切るのは不可能です。」


星弥の話を聞いた多田野は「数千に近いってことは、1000人を超えるに近い方々がこの地で亡くなっているってことですよね。だとしたら、結核だと分かっていて入院しているのなら自分の病気だって理解をしているはずだろうし、諦めがついて成仏も出来るはずなのにどうしてそれが出来ないのですか?」と質問をし始めると、星弥はこう答えた。


「仮にもし多田野さんが結核にかかってしまったとしましょう。入院が必要になったとき、担当の先生から”現代の医療においては治療方法がなく感知する方法がない”と前もって説明をしていたら、たとえ”治療方法がない”と分かっていても希望の光を捨てずに前向きに闘病するでしょう。恐らく違っていたはずです。当時は結核の病気に関する知識そのものが”不治の病”という認識でしかなく、重篤化し隔離化をしなければいけないと判断された患者がこの地で最期を遂げていたのでしょう。だとしたら、治療に専念をして病と闘いましょうだなんてことは言えませんね、強いて説明が出来たとしても”最後の砦です”としか話が出来なかったのでしょう。”治療方法がない”と言えば絶望的になり逃亡する恐れも非常に考えられるので、そうなってくるとますます世の中に結核患者を増やしかねないリスクもあったからでしょう。そうして患者は治療の術もないまま、お亡くなりになっていくのを見届けただけの施設にしか過ぎなかったのでしょう。多田野さんには見えてないと思いますが、僕は分かりました。結核の症状でしょうね、ずっと注意深く囲んでいる御霊達はずっと咳込んで会話すら出来ない状態です。言葉に伝えられずもがき苦しみながら、”助けて”というアクションを何度もされているのが伺えます。この地で彷徨う御霊達と会話が成立しないと判断したうえで、これ以上のことについて踏み込むのは危険だと考えられたのでしょう。生きたいという希望を持ちながらこの世を去らなければいけなかったわけですから、この世に対しての未練も強いという事です。」


星弥が話す内容に多田野は、「そこまで具体的に話が踏み込めるのならどうして調べる必要があるんですか?」と聞き始めると、星弥は「僕が行ったのはあくまでも憶測の域にしか過ぎません。真実は違う可能性もあり得ます。ましてや、未成仏の霊が彷徨う地と知られるようなきっかけにはなってほしくないんです。そうなれば、また形変われど僕の発言によりこのキャンプ地が心霊スポットとなりかねない危険性が高くなります。確実な情報をお伝えしなければいけないからです。曖昧な情報を語るだけでは、たとえそれが真実だったとしても、違う可能性も否定はできないためです。霊能者の話すことは、人それぞれ所属する宗教の考えにもよりますし、僕のように御経の言葉も使いながら言霊の力を利用する人だっているでしょう、つまり、僕が行ったからどの霊能者も口を揃えて同じことを言うとは決して思わないでください。中には成仏してもうこの世にはいないと考える方もいますからね。」と話すと、星弥は多田野に「今回の収録は定点カメラを設置して、その様子に変化があるか否かを見極めたうえでの内容にしましょう。この御霊達の数では僕では処理しきれない、数が多すぎるんです。土地の洗浄も含め、大掛かりに行う必要性がありますので、もしリゾート会社のどなたからの情報なのか、もしよければ僕の運営する心霊スポット検索サイトの”慰霊の旅路”に御祓いの依頼をお願いしていただきたいと伝えてほしいんです。僕の知っている限りでのボランティア霊能者を、全国から可能な限り呼び集めます。オープンの日取りが近付くまでに、100人規模の霊能者による土地の洗浄の儀式から、お焚き上げの供養まで、責任を持って執り行うその代わりに、助言として伝えて頂きたいのが、かつてかもめ壮の建物があった場所に、地蔵尊を祀ってほしいんです。」と話すと、多田野は「なるほどですね。Aさんには”慰霊の旅路”に御祓いの依頼を投稿するようにお願いしますが、定点カメラを設置して検証を行うぐらいなら、何も過去を調べてとか、過去に何があったのかをそこまで見極めたのなら霊能者としての一仕事をしてもらいたいですね。」と語ると、星弥は「先程僕は説明をしたと思いますがこの地でお亡くなりになられた方々は声にもならぬ声で苦しみながらSOSのサインを出しながら旅立たれた方達ばかりです。たとえ建物がなくとも、訴えることは同じことです。”まだまだ生きたかった”とですね。お亡くなりになる直前まで希望の光を捨てることなく、病と向き合い闘ってきたのだと思います。しかし、希望が叶うことはなかった。虚しさを抱えながら、白い旅立ちを迎えた事でしょう。彷徨う御霊達が抱える心の闇の深さは我々では計り知れないほど、ショックが大きすぎるんです。こればかりは生者である僕達が関与をしてしまうと、この地を彷徨う御霊達が未成仏霊かつ浮遊霊である以上、憑いて来てしまう危険性が高いんです。浮遊霊である以上力は弱く禍を齎す危険性は無いかと思いますが、ただその代わりに病弱になりやすくとりわけ持病を抱えている人ほど悪化の危険性があります。これ以上のことは身の危険を考えて、今テレビカメラでも映っているこの僕が話した内容を収録して、心霊現象についてはこの地から離れたところで行うのが望ましいでしょう。僕が地蔵尊を祀るべきだと説明したのは、地蔵尊には霊能者には決してできない御霊達にとっては癒しの力を与えてくれると同時に、生前に受けた心の傷を受け止めてくれる存在でもあります。大規模な洗浄とお焚き上げ供養を行った後に、地蔵尊を設置してからは常に地蔵尊を常に綺麗な状態で祀っていれば、この地の浄化は完了することでしょう。」と話すと、多田野は渋々「撮影クルーのスタッフの身に危険が及ぶのなら、考えましょう。」と切り出し、その場にいたアシスタントディレクターに定点カメラを設置するようにと指示をしたところでディレクターが戻ってきた。


「心霊スポット検索サイトで記載されていた”肝炎と結核の隔離病棟”だったという話がありましたが、過去の地図を何とか近くの旅館などをはしごした結果、古い地図を頂くことが出来ました!見てください、大正時代の地図になるんですけど、この今のかもめ荘がある場所らしきところ、建物があったと示すマークがないのは不自然だと思いませんか。何もなかったのならまだしも、隔離病棟だった可能性は捨てきれないと思います。」


ディレクターが胸を張って言い切ると、星弥は「肝炎は隔離施設が必要なんですか?肝炎は人から人には感染しませんし治療方法がなかった時代だったとしても隔離をする必要性は無いと判断されるでしょう。恐らくですが、国内に肝炎の患者の報告が徐々に上がるようになって、その時代の流れに乗っ取ったデマの可能性が高いですよ。」と指摘をすると、ディレクターは「それじゃあ、結核の隔離施設だったってことですか?」と聞き始めると、星弥は「僕はその可能性のほうが極めて高いと思っています。ここは、治療の甲斐がないと判断された重篤化した結核患者を収容する施設だった、つまり死にゆく患者を見守るだけに過ぎない病院という名の隔離施設だったのですよ。そのためにこの施設があることを地図上においても隠さなければいけない事情があったのだと思います。」と答えると、ディレクターはどう切り出せばいいのか戸惑いを隠せられない状態で「えっ?じゃ?え!?ちょっ、それって危ないってことですよね!?」と聞き始めると、星弥は「これ以上の詮索は危険だ。お互いの身の安全を最優先しよう。」と答えるにとどまった。


そして特番の収録が無事に終わったと同時に本来なら星弥がレポーターと共に敷地内を探索する予定だった筈が、星弥の「危険性の話」を考慮したうえで急遽定点カメラと長時間の撮影をすることが出来るドローンを使った撮影に切り替わった。


星弥の懸命な判断はカメラを回収後、特番の収録を行うまでに多田野達で撮影した映像の編集作業を行った際に明るみになった。コテージや共同のキャンプ場スペースに設置した定点カメラでは、誰もいないコテージの中であるにも関わらず、コテージ内の庭を誰かが歩いていく黒い影のようなものが写し出され、又ドローンを使った映像にも誰もいない木々の中から女性らしき姿がはっきりと映し出されていた。それはまるでドローンの存在に気付き、自らの存在を訴えているようにも見えたのだった。


後日、リゾート会社のA氏が”慰霊の旅路”に改めてオープン日の5月30日(金)までに御祓いをしてほしいという依頼と共に星弥が全国津々浦々の霊能者を連絡し合いながら呼び集めた結果、100名以上の霊能者の協力が得られ、A氏とはオープンの2025年5月30日(金)迄に行うことで意見は合意したところで、大々的な御祓いによる儀式は5月24日(土)と5月25日(日)の二日間に分けて行われることになり、当日に集まった霊能者たちによる大規模な御祓いが行われたところで、土地の洗浄とお焚き上げ供養は無事に終わり、さらに翌日の5月26日(月)にはこの地で亡くなった御霊達の魂を供養するための地蔵尊をかつて建物があった場所の中心付近に設置工事を完了して、無事日御碕キャンプ場は正式にオープンすることが出来た。


「色々あったけど、でも完成できてよかった。後は持続するかしないかは営業の頑張り次第だな。」


お昼休みを取っていた星弥がスマートフォンのニュースアプリでかつての旧かもめ壮の跡地がキャンプ地になったという話題を見て、大々的な御祓いを星弥自身もメンバーの一人として参加したことを振り返りながら「地蔵菩薩様があの地を彷徨う未成仏の浮遊霊を極楽浄土へと導いてくださる。そのためにはあのキャンプ地を管理するリゾート会社がどんなときでも地蔵菩薩を綺麗に管理を続けてくれたら、そればかり願うしかない。」と思うのだった。

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