ジブラルタル。
海へ突きだす細長い岬。大部分を標高426mの巨大な石灰岩の一枚岩が占め、その麓に広がる町が接している湾にはイルカやクジラが訪れる──ネフィリム海棲種ではない、本物の。
岩の中腹には中世に築かれたムーア城──武骨な石造りの要塞──の跡地があり、町も現代的なビルが並ぶ一方で中世の面影も残している。
「わぁ~っ」
過去の記憶はないが2年前の日本の女子高生としての一般的な知識はあるメイミには、西洋風ファンタジーゲームの世界に迷いこんだように思えた。
さすがに街を行きかう人々の服装は完全に現代のものだが……彼らの笑顔を見ると、世界が滅びかけているなんて嘘のよう。
太陽は輝き。
潮風は薫り。
「絶好のデート日和ですね、ユウトさん♪」
「ああ、そうだね」
青い軍服の青年、ユウトが目を細めて静かにうなずいた。メイミのほうは今日もミョウガ憲兵長から借りた白いワンピース姿。2人とも昨日の艦内デート時と同じ服装。
そのデートが中断したので、やりなおしを要求する──港に停泊中のノアザーク艦内でユウトの部屋を訪ねたメイミは、そう言って彼を連れだした。
一応、釘を刺して。
⦅か、勘違いしないでくださいね? いったん始めたことは最後までやりきらないと落ちつかない、それだけなんですからっ!⦆
ユウトには苦笑された。
また余計なことを言って傷つけたかも知れない。だが自分に彼の妻としての記憶と感情がない以上、下手に期待を持たせるほうが残酷だ。
今の自分の気持ちとしては、もうユウトを初対面時のように嫌ってはいないし、好きか嫌いかで言えば好きだが、さすがに結婚したいとまでは思えない。
それが申しわけなく思うが、過去に縛られず好きに生きるよう言ってくれたのは他ならぬユウトだ──その彼が訊いてくる。
「今日は、どうしたい?」
「まずは服を買います! バッグとか化粧品とかも! いつまでもシノブちゃんの借りてるワケにはいきませんし。マモル先生からもらったお小遣いで──」
「え? いや、今日の支払いは全部オレに出させてくれ。これでも高給取りの士官、使い道のない給料が余ってる」
「そんな、悪いです」
「彼氏ヅラはしないけど、そうじゃなくっても。軍人が、連れている民間人に自分で支払いさせてたら体面が悪いから。助けると思ってさ」
「では……お言葉に甘えて。じゃあ買いものして。それから美味しいお店に連れてってください。ノアザーク乗組員の人はこの町にはお詳しいんですよね?」
「うん、いいよ。少し待って。いい店ないか同僚に訊いてみる」
ユウトは携帯電話を取りだした。
またデートで人の力を借りてる。
メイミがジト目を向けると、ユウトは頭を掻いた。
「ごめん。オレは服は買わないし。妻が死んでから自分だけ贅沢するの悪くて、一定レベルより美味いもの食うと吐くようになっちゃって。軍では主計兵にわざとマズイ飯を作ってもらってる」
思ったより重かった。
「ワタシ、また。そんな事情とも知らずに、ごめんなさい……でも、もう生きてたって分かったんですから美味しいもの食べられますよね? 今日こそ、いっぱい食べてください!」
「そうか……うん、食べよう」
ユウトが同僚から情報を得て、2人のジブラルタルでのデートが始まった。デパートで服などを買ったあとは、地中海料理のレストランで昼食。
そこは本当に美味しくて、だがメイミは自分が味わう以上に、ユウトが吐かずに食べられ幸せそうにしているのが嬉しかった。
¶
巨大クマムシの姿をしていた最初期のネフィリムたちから、その脚がヒレに変化した海棲種が派生するや、爆発的に増殖して地球の外洋のほとんどに広がった。
陸でもネフィリムには苦戦する人類だが、海ではより一方的にやられた。有効な武器は魚雷くらい、しかし数が追いつかない。そしてネフィリムの攻撃を受けた船は簡単に沈められる。
軍艦も。
漁船も。
商船も。
客船も。
人類の海での経済活動は大きく衰退……海中でネフィリムと戦えるエクソ・サーヴァス【フラッド】が開発されて少しは好転したが、民間船の全てを護衛はできない。
しかも海棲種は空も飛べるので海上だけでなく海岸から近い陸地も襲う。そのため世界中で海の傍からは住人が疎開している。
だがジブラルタルのような地中海に面した都市は別。地中海にはネフィリム海棲種がいない。大西洋から地中海への海棲種の侵入を人類が阻止してきたから。
ここだけは通さぬと。
海棲種の跋扈する外洋から内海である地中海へと入る海路は、大西洋との境界であるジブラルタル海峡のみ。
この狭い範囲さえ守れば侵入を阻止できるという地の利が、ネフィリムに敗北を続ける人類にも防衛を可能にしていた。
突破されれば、人類統合体に残された国土の大半である地中海周辺が全て海棲種の脅威にさらされ、人類滅亡に王手がかかる。
最重要戦域。
海峡のすぐ内側にあるジブラルタルの町には、その絶対防衛線を守る人類統合軍の前線基地があり、ノアザークもその守備隊として戦うことが多い。
町は基地で働く軍人の生活を支える役目もあり、地中海側ではあっても大西洋のすぐ近くでありながら市民が疎開していないのには、そういう理由もあった。
防衛線が崩壊せずとも、たまたま海峡を突破した少しの個体が飛んでくる危険はある……だが、メイミとユウトのデート中にそういう事態は起こらなかった。
その頃には、それは起こりえなくなっていた。
のちに判明したことだが、大西洋の戦いで海棲超大型個体バハムートが死亡した時、連鎖的に死亡したのはその海域にいた他の海棲種たちだけではなかった。
以降、世界中で海棲種の大量死が報告されるようになり、また生存している海棲種が見られなくなった。それは地球上から全てのネフィリム海棲種が死滅したことを示唆していた。
たった1匹の超大型個体の死で。
人類の未来への展望を暗くしていたのは、敵の強さもさることながら物量こそが最大の要因だった。容易に殺されてくれない上に数まで膨大な生物を、絶滅させることなど不可能だと。
だが、残った陸棲種や空棲種にも同様の超大型──ボスがいて、それさえ斃せば同種の個体を一掃できるのだとしたら?
人類に、希望の光が射した。
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