静かになった青空を、ユウト機のザデルージュは飛んでいた。その横に、エイト機のフラッドが寄ってくる。
『ユウト!』
「エイト、メイミは助けた」
『その格好を見れば分かる』
「え? ……ああ」
ユウト機は腕を組んで飛んでいた。それは操縦室でメイミを抱きしめている操縦士のポーズと同期しているからだ。
「ユウトさん、早く顔が見たい」
耳元でメイミの切なげな声。今はその顔は見えない。
ユウトは顔にモニター用ゴーグルをつけているので。
救出時に表示をゴーグル付カメラにした少しのあいだだけ見たが、今はまた機体の頭部カメラと繋いでいるので操縦室内のメイミの姿は見えなくなっている。
そしてメイミのほうからは、ずっとゴーグルをつけっぱなしのユウトの顔は再会してからまだ一度も見れていないことになる。
ユウトは思案し、頷いた。
「分かった、地上に降りよう。そしたら、お互い顔を見れる」
「ありがとう、ございます」
『それがいい。母艦は今、不時着に向けて降下中だ。サーヴァス2機が着艦するくらい問題ないかも知れんが、航海長の邪魔になる。先に行って待ってようぜ』
「行先はヴァン湖だったな。じゃあ、その岸辺に」
『ああ』
ヴァン湖──トルコ最大の湖。アララト山の南西に位置する、琵琶湖の5倍の広さを持つ、塩湖。ユウト機とエイト機はその北東岸の、白い砂浜に着陸した。
腰を下ろして両脚を伸ばし、上体を倒して前屈する。こうすれば姿勢を安定させつつ、喉元のハッチを地面に近づけられる。
両手を掌を上にして両脚に置いたらハッチを開いて、掌の上に搭乗者が降りる。そこから機体を伝って地面へ──ユウトはメイミを連れてザデルージュを出て、砂浜に降りたった。
ジャリッ
ヘルメット、ゴーグル、マスク、全て脱いで地面に下ろし、素顔をさらすと、眼前に泣き顔のメイミ。両手でこちらの頬を挟んでくる。
「ユウトさん……!」
「ああ……メイミ‼」
「んっ!」
ユウトはメイミを抱きよせ、唇を重ねた。
メイミは一瞬、戸惑うも、すぐに応えた。
恋人たちを邪魔せぬよう、エイトは自機の陰に隠れた。
¶
翼を傷めて飛べなくなったノアザークは、ミナセ航海長の操艦で翼内プラズマジェットエンジンを下方へと噴かして緩やかに降下し、ヴァン湖へと無事に着水した。
「でかした、航海長」
「着水もだけんど、最後にネフィルの顔面に食らわせたのが! あれがなきゃダイチ大尉はやられてて、ネフィルを斃せなかったかも知んねぇ。おめぇさんがMVPじゃね?」
「命令もされずに勝手に撃ったのは問題なれど、それで世界を救ったのだから不問でありましょう。今回ばかりは認めてやるでありますよ」
「えっへへー♪ ブイ‼」
航海長は自らを称えるクサナギ艦長、ヒノミヤ砲雷長、アマオウ副長にVサインして答えた。規律もなにもない態度だが、それが許される空気になっていた。
オォーッ‼
艦橋以外でも、乗組員たちが沸きたっていた。ネフィリムの始祖ネフィルが核の炎に包まれたことは、降下中に確認している。
ネフィルは死んだ。
ネフィリムは親が死ぬと子も死ぬ。ネフィルが死んだことで、人類を滅亡の瀬戸際まで追いやったクマムシ怪獣ネフィリムは絶滅した。
戦いは終わった。
人類は救われた。
ネフィリムに脅かされることのない平和な日々が帰ってくる。ネフィリムに奪われた土地にも再入植が行われる。
「帰れるんですね、日本に」
機関室で歓声を上げる機関兵の部下たちの姿に目を細めながら、ウナバラ機関長がはーっと息を吐いた。
船出の日を思いだす。
祖国・日本がネフィリムの侵攻にもう耐えられないとなった時、自分たちノアザーク乗組員は商用タンカーを改造した急ごしらえのこの艦で日本列島を脱出した。
望む望まざるにかかわらず、国土と運命を共にすることになった大多数の同胞を見捨てて、自分たちだけ逃げた。
それを忘れぬため、日本艦は和名が通例のところ、この艦に英語で〖ノアの箱船〗を意味する名を与えた。
【Noah's Ark】
神の起こした大洪水で地上の人々がことごとく死にゆく中、神に選ばれたノア一家だけを乗せて難を逃れた、その船の名を。
そうして恥を忍んで落ちのびたのも、全ては生きてネフィリムと戦いつづけ、いつか勝利して世界に平和をもたらすため。その念願がようやく叶った。
見殺しにした故郷の人々にも、これまでの戦いで散っていった同志たちにも、これで顔向けができる。
「胸を張って、日本の土を踏める」
しみじみと、ツチクラ整備長がつぶやく。格納庫で、これから帰還するサーヴァス2機の整備の用意をする部下たちが浮かれているのを、たしなめる合間に。
そして医療区画の分娩室ではカネコ主計長の出産が、ここまで航海長の見事な操艦によって大して揺れることもなく安全に行われ、艦が湖に着水して間もなく女の子が誕生した。
オギャァ オギャァ……
赤子を取りあげたコグレ軍医長が、ベッドで横たわる主計長に胸元でその子を抱かせて、カンガルーケアをさせる。
「貴女の子よ。ハヤト君の面影があるわね」
「そうね……こんにちは。わたしがママよ」
「……」
まだなにも分からない様子で不思議そうな瞳をした我が子と、じっと見つめあう内に、主計長の目から涙がこぼれた。
「堕ろさなくて、良かった……!」
「ツカサ……」
「ありがとう、マモル。わたしが『こんなひどい時代に生まれても幸せになれないから、産まないほうが子供のため』って言った時、とめてくれて」
「『そのとおりだけど、誰もがそうしてたら人は絶える。どんなひどい時代でも子供が生まれてくるから、人は未来に希望を託せる』……って言ったかしら」
「うん」
「あの時は、こんな早くネフィリムを滅ぼせるなんて思ってなかった。わたしたちが成せなかった仕事をこの子たちに継いでもらおうって……そうならなくて、良かった」
「ええ……これでこの子が幸せになれる可能性は〖限りなくゼロに近い〗から、ぐんと高くなった。みんなの……そして、ダイチ大尉のお陰ね」
「彼、メイミちゃんを救いだしたそうよ」
「そう……! 良かったぁ。犠牲も多くて不謹慎だけど、今日は人生、最良の日ね」
主計長が愛娘の頭を撫でる。
その子は気持ちよさそうに、目を細めて微笑んだ。
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