だが、いくらぼんくらとは言っても奴が一国の王子であることには違いがない。しかも、王位継承権が一位の王太子だ。舐めた代償を払わせるにしても、一介の傭兵でしかない自分がそれを払わせるには無理がありすぎるように思えた。
そんな話をグレイにした時、グレイはそんなイザークに言ったのだった。
ならば、お前がまずは代償を払えと。その代償を払うのならば、お前が拳を振り下ろすのを俺が助けてやる。そして、その先を代償の向こう側を見せてほしいと。
代償。つまりは金のことなのだろうとイザークは理解した。その先、代償の向こう側とやらはグレイの言っている意味が分からなかったが、単に金がほしいことへの言い訳なのだろうとイザークは結論づけた。
そうして今、イザークはこの場にいるのだった。一国の王太子を襲撃する。言葉にするのは簡単だが、いざその時になってみると、今更ながら本当にそんなことが可能なのかと思ってくる。
確かにグレイが指摘したように、王国内で移動する王太子の護衛は少ない。統治が安定している王国内で誰かに襲撃されるなどとは、彼らは夢にも思っていないのだろう。
しかも、周囲にいる護衛兵とやらは実戦経験もないような有力貴族の子弟で構成されている。一対一では化け物じみた強さを持つグレイどころか、自分の相手にもならないだろうとイザークは思っていた。
だが、果たして一国の王太子を襲って逃げ切れることができるのだろうか。そこまで考えて、イザークは唇の端を曲げて少しだけ笑顔を浮かべた。
まあいいさと思う。どうせ、あの時の撤退戦で皆と同じように失くしたはずの命だった。たまたま近くにグレイがいたからイザークは落ち延びることができたのだ。
仲間もいなくなり今後の傭兵稼業も続けることが難しいというのであれば、ここで果てたとしても後悔はないのかもしれない。それにあの時と同じでグレイも近くにいるのだ。それだけでも逃げ切れる可能性が高まるというものだった。
しかし、この男は何を考えているのだろうとイザークは思った。一国の王太子を襲撃しようというのだ。金のためと言ってもその危険性を考えると、全く割に合わない気がする。
それともイザークと同様に自分たちが囮として使われたことに対して、表に出さないだけで度し難い怒りや恨みをグレイは抱いているのだろうか。いつもと変わらず無表情に見えるグレイの横顔だけでは、彼が何を考えているのかは皆目検討がつかなかった。
そのようなことを考えていたイザークの思考をグレイの低い言葉が止めた。
「来るぞ」
たった一言。それだけだった。そこには緊張や焦りの成分は微塵も含まれてはいなかった。
イザークはごくりと唾を飲み込んでグレイが指し示している方に視線を向けた。
何の警戒感も見られずに、ゆっくりと歩くように走る贅を尽くした豪勢な馬車。その周囲には五体の騎兵がいるだけだった。
王国内における王家の統治は盤石だ。その理由だけで、自分が国内で襲撃されることなどはあのぼんくら王子はやはり夢にも思っていないのだろう。戦場で傭兵たちにあれだけの惨いことをしておきながら。
「馬に乗っている連中は俺に任せろ。馬車の御史を始末した後、お前は馬車の中だけを狙え。馬車の中にも警護の者が一人や二人はいるだろうからな。気をつけろ」
グレイが珍しく警告めいたことを口にした。少しだけ驚いてイザークは改めてグレイの横顔を見た。だが、グレイの横顔はいつもと変わることはなく無表情だった。その横顔を見ながらイザークは思考を切り替えた。
いいだろう。仮に殺せないまでも、あのぼんくら王子の肝を冷やすことぐらいはできるだろう。それだけでも自分たちを囮に使った代償を払わせられるというものだ。
「行くぞ」
隣のグレイが短くそれだけを言った。その言葉に合わせて、イザークとグレイは抜き払った剣を手に立ち上がったのだった。
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