身体の痛みは想像よりも悪くなく、少しずつ引いている。
「これも『食事』のおかげなのかしらね……」
精神を統一し、全身の状態を確認する。
離れているにもかかわらず、自分の中に確かなシェンフゥの気配を感じ、リサは苦笑を浮かべた。
シェンフゥの『食事』がなければ、今こうして立ち上がることさえ出来なかっただろう。
「全部お見通しだったってこと……まさかね?」
一人呟き、魔導散弾砲に手持ちの弾を全て装填する。
いよいよ沈みかけた紅い陽に照らされた長刀は幸いにも刃こぼれひとつなかった。
「さあ、戦闘再開ね」
長刀の柄を握る手に力を込め、深く息を吸い込む。
「シェンフゥ、こっちよ!」
声の限り叫ぶと、シェンフゥの快活な笑い声と共に、頭上からウガルの咆吼が振った。
「攻守交代じゃの、ご主人!」
「任せなさい!」
シェンフゥと入れ替わりに魔導散弾砲をウガルに浴びせ、地下水路へと押し戻す。
「調子ニ乗ルナ、人間ゴトキガ」
鉛の散弾を鬣で払い落としたウガルは猛々しく吠え、唾のように火炎を散らす。
「そっちこそ、観念するのね」
崩れた地下水路の瓦礫に身を隠しながら素早くウガルとの距離を詰め、瓦礫の山を使って跳躍する。
「何!?」
虚を突かれたウガルはリサの長刀に胴を薙がれ、蹌踉めいて水路に片足を突っ込んだ。
「まだまだぁっ!」
汚水を巻き上げ、振り回される前肢の攻撃を躱しながら、リサは自分の身長の五倍はあろうかというウガルに攻撃を重ねていく。
ウガルの巨体に対し、リサの長刀は致命傷にはほど遠い攻撃力ではあったが、シェンフゥの挑発と素早く動き回るリサを追ううちに体力を消耗しているのか、ウガルの動きが僅かに鈍り始めた。
「どうしたの? 攻撃の手が止まってるわよ」
瓦礫に背を預け、肩で息を吐きながら挑発する。
「死ニ急ギタイカ!」
挑発に乗ったウガルが瓦礫を薙ぎ払うその隙に、別の瓦礫へと移ったリサは長刀をウガルの軸足となっていた後肢に突き立てた。
「小癪ナ!」
尾で退けられ、地下水路に落ちたリサが汚水に塗れる。
汚泥を浴びたリサは思わず顔を顰めて水路から飛び退いた。
「掃きだめに鶴というやつじゃのぅ。腐っても鯛、じゃったか?」
壁面のどこかからシェンフゥの声が響き、それと同時に冷たい水が降り注ぐ。
「どっちでもいいわ」
滝のように落ちる水を浴びながら裏側に回り、シェンフゥの姿を探す。
生活水と思しき水路を破壊したシェンフゥは、得意気に唇の端を持ち上げ、リサを抱きしめた。
「怪我はないかの?」
「かすり傷よ」
シェンフゥの腕から逃れながら、魔導散弾砲をその場に投げ捨てる。
長刀を両手で掴んだリサの腕にシェンフゥが舌先を這わせた。
「そのようじゃ。『食事』の効果が出ておるわい」
「ええ……」
これだけの間戦い続けていられるのも、傷の治癒が早いのも、もはやそれ以外に説明が出来ない。
リサの視線を受けたシェンフゥは目を細めて頷き、それからウガルの咆吼に目を見開いた。
「遊ビハ終ワリダ!」
流れ落ちる水越しでもはっきりと解る巨大な火炎弾が迫る。
「こっちじゃ!」
寸でのところで火炎弾を躱す。
それと同時に激しく沸騰するような音を立て、先程まで溢れていたはずの水がほとんど消失してしまった。
「奴もなりふり構っていられぬようじゃのぅ」
続いて放たれる火炎弾を狐火で防ぎながら、シェンフゥがぴんと尾を立てる。
歯を食いしばるシェンフゥからは、普段の余裕は微塵も感じられない。
妖術に全神経を集中させている様子が傍にいて痛いほどわかった。
「……シェンフゥ、最大火力までどれだけかかる?」
「どうするつもりじゃ、ご主人?」
「私があいつを引きつける。だから止めを頼んだわよ!」
シェンフゥの答えを聞く前に、狐火の防御盾からリサが飛び出す。
素早く反応したウガルが咆吼と共に火炎を吐いたが、リサはそれを高く跳躍して躱し、壁を走り、ウガルとの距離を一気に詰めた。
「ハッ!」
ウガルの目を狙い真一文字に長刀を薙ぐ。
前肢がリサを追い払うべく振り下ろされたが、リサが再び跳躍して追撃を喰らわせる方が早かった。
(行ける……!)
昨晩シェンフゥと気を交わらせたことで、実力以上の力がみなぎっている。
身体は羽が生えたかのように軽く、刀を浴びせる腕には確かな手応えがあった。
(でも――)
だが、リサが何太刀浴びせたところで、魔獣ウガルの攻撃は衰えない。
それどころか怒りに狂うウガルは凶暴さを増していた。
「リサ!」
研ぎ澄まされた鋭い爪を躱した着地点に、咆吼と共に火の玉が襲い来る。
「っ!!」
咄嗟に狐火を浴びせて軌道を狂わせながら、リサは通路を転げるように逃げた。
「あっ――」
その逃げ場を読んでいたかのように、ウガルの尾がしなり、リサの身体を鞭打つ。
長刀に狐火を纏わせて尾と後肢を薙ぐと、ウガルが怒りの咆吼を上げた。
「はっ、少しは効いてるみたいね」
肩で息を吐き、起き上がりながら長刀を構え直す。
背後に回ったリサを追うように、ウガルが頭部を振り向かせた。
「まだ溶けないでよね」
狐火を纏わせた長刀の柄を握りしめ、ウガルの前肢を躱して胴の下へと滑り込む。
「これで、どうだぁあああっ!」
下から長刀を突き上げるように渾身の一太刀をウガルに浴びせる。
自分の身体から出したものとは思えぬほどの怪力がその一太刀に宿り、ウガルの顎から下が激しく血飛沫いた。
「シェンフゥ、お願い!」
「おうよ!」
咆吼を上げ苦しむウガルから飛び退き、ウガルの後方に立つシェンフゥを呼ぶ。
「わしのこの手が真っ赤に燃える! 勝利を掴めと轟き叫ぶ!」
シェンフゥの声が地下水路に響き渡り、同時にその手のひらで狐火が激しく燃え上がる。
「ばぁぁぁくねつ! シェンフウゥゥッ、フィンガァァァーーーーッ!!」
ウガルの身体を覆い尽くすほどの巨大な狐火が放たれ、瞬く間にウガルを包み込む。
禍々しい咆吼を上げたウガルは炎から逃れようと水路に転がり込んだが、炎の勢いは止まず、その咆吼さえも飲み込んだ。
魔族としてのかたちを保てなくなったウガルの巨体がリサの目の前で崩れ、シェンフゥの姿が露わになる。
「シェンフゥ!」
リサが駆け寄り、思わず抱きつくと、シェンフゥはその肩を抱きながら崩れゆくウガルの身体を指差し、静かに口を開いた。
「お前はもう既に――死んでいる」
その台詞と同時に、あれほど巨体だったウガルの身体は乾いた土塊のように崩れた。
「……は?」
「どうじゃ? 惚れ直したかの?」
顔を上げたリサに、シェンフゥがキメ顔を向ける。
「真面目にやりなさい!」
無性に腹が立って、刀身が溶けてなくなった長刀の柄でシェンフゥを軽く殴る。
「うぎゃっ。なんじゃあ、倒せたのだからよいではないかぁ!」
大仰に痛がって見せたシェンフゥは、恨めしくリサを上目で見つめた。
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