「フィーしゃあん!!!!」
パエデロスの街ももうすっかり暗くなり、ミモザの店の前辺りまで来たところで暗がりの中の我の姿を見つけたのか、ミモザがトットットと駆けだしてくる。
「おっと、心配かけてしまったか?」
ドテっと転んでしまう前に抱きかかえて受け止めてやる。
なんとまあ身体も冷えてしまっているし、この様子だとかなりの時間、外で待ちぼうけにさせてしまったのかもしれない。
「ふぁい……」
しょんぼりとした顔で返事されてしまった。
どうしてこうも我の帰りが遅くなってしまったのかと言えば、実のところは、勇者の連中に誘い込まれて、あまつさえ殺されそうになっていたのだが、さすがにバカ正直に話すワケにもいくまい。
「ダリアの話が長引いてしまっただけだ。まったく、アイツめ。毎度毎度何かある度に我をからかいよって」
言っていることは大体間違っていないが、とりあえず言い訳をひとつ。
「ふへへぇ、ダリアしゃんもそれだけフィーさんのことを思っていると思うのれふ」
そういえばミモザも日頃はダリアのところで魔具についての指導を受けているんだったか。アイツめ、我のいないところでミモザとどんな噂話をしているのやら。
我の悪口ばかりミモザに言っておるのではないだろうな。
しかし、まあ、ダリアが我のことを思っているという点は否定できないか。
信用されていなければ我もダリアに殺されていた場面ではあったのだから。
そういう意味では、ダリアには命を救われたといえなくもない、のか。いやまあ、本日の一番のダメージ要因もダリアなのだが。
「さてと、夜もまだまだ寒い。今日のところはさっさと帰って湯浴みするか」
「はい、ごいっしょさせてもらうのれふ!」
そういってミモザは我の腕にギュッとしがみつく。
ああ、危うく我はコレを失うところだったのか。
それが言葉通りに重くのし掛かる。いや、ミモザはそんなに重くはないが。
腕を回し、ギュッと返す。こうすれば簡単には離れない。
今夜はまた格段と寒いしな、二人寄り添っていた方が早く暖まるだろう。
※ ※ ※
「はふぅ~……」
湯気のもくもくと立ちこめる浴場で、我とミモザは二人、湯船にその身体を沈めていた。古来より退廃的な風習などと呼ばれておるようだが、湯浴みする文化が廃れることはもうしばらくはなさそうだ。
「フィーしゃん、今日は疲れまひたねぇ」
我の場合、ミモザが思っているその二倍、三倍は死ぬほど疲れることがあったのだが、もはや何も言うまい。
ミモザが言っているのは、本日開店したばかりの魔具の店のことだ。
「ああ、あんなにも客が入ってくるとはな。今後が大変だぞ」
「はい。また沢山造らないといけないれふね……頑張りましゅ!」
今日のように客にひっぱりだこになるのは勘弁だが、これからも何度か顔を見せに行くこともあるだろう。せいぜいミモザの頑張りを拝ませてもらおう。
それにしたって、今日の客はなんだってあんなに我とミモザばかりにたかっていたのやら。ちゃんと金を落としていたのだから貧乏人や平民ではないのだろうが、異様とも思える数だった。
まあ、開店前に宣伝としてビラを配っていたのは我とミモザの二人だけだったから、たまたまそれで顔を覚えていただけということかもしれん。
できれば今後もリピーターになってもらいたいところだが、いかんせんミモザの造る魔具は性能が高く、勿論壊れにくいし、その上で多少なり値段も張る。
そんな店で常連客を期待するのは希望的観測が過ぎるか。
「あのぉう……フィーしゃん」
ちゃぷちゃぷと我の後ろ側に回りつつミモザが訊ねる。
「ん? どうした?」
「フィーさんには沢山お世話になってるから今日はお背中流させてほしいのれす」
「ああ、別に構わぬぞ」
まったく、あいもかわらず子供みたいな奴だ。
「ふひひぃ……ではこのスポンジを……」
何やら、背後の方でじっとりとした笑い声がもれたような……?
「ひゃんっ♥」
な、な、なんだ……? 今の我の声か?
何やら物凄い感触が背中から……。
思いもよらないミモザからの刺激でとんでもない声が浴場内に響き渡ってしまった。これは恥ずかしい、恥ずかしすぎるぞ。
「ごっしごっし、ごっしぃ~♪」
一方でミモザは我の状況を分かっているのか分かっていないのか、鼻歌交じりにまさかのスポンジ両手装備ときた。
「あっ♥ ちょ、ミモザぁ♥ ん、ん、ちょ♥ どこ触って♥ あひぃ♥」
「フィーしゃんの身体、とってもキレイれしゅよ~」
これ、本当にスポンジの感触なのかぁ?
よもや、ミモザの造った新たな魔具じゃなかろうな。
「んああぁぁっ♥」
「きれいきれいれしゅ~♪」
ちょ、これ、マジやばいんですけど。ミモザに主導権握られてるんですけど。
我の喉から出たことのない声がオンパレードなのだが。
まさか、我としたことがミモザにここまで押されてしまうとは。
「じゃあ、今度は前の方も……」
「い、いや、そっちの方はさすがにぃっ……!! いやああぁぁ♥♥♥♥」
結局それからミモザには余すことなく隅々まで洗われることとなった。
……なんか、負けた気分だ。色々と。
※ ※ ※
「はぁ……はぁ……」
「いやぁ、今日はいっぱいあったまりましらね」
風呂上がり、上機嫌なミモザが頭から湯気を出しながらはしゃいでいた。
今日は何かと色々な方面で危機に陥っているような気がする。
「……ねえ、フィーしゃん」
「ん、どうした?」
「フィーしゃんは、突然遠くに行ったりはしないれふか?」
それは一体何を意図した質問なのだろう。まるで何かを見据えているかのような、確信めいた言葉のようにも聞き取れた。
ひょっとすると、ミモザは薄々、我が何を考えているのか勘づいていたのかもしれない。もちろん直接的なことを全部ではないだろうが。
ほんの昨日まで持っていた勇者を打ち倒す野望。それが成就したときには、あるいは我はミモザのそばから離れることになっていた可能性だってある。
そうだな、それは昨日まで、だな。
「心配するな。我はまだしばらくミモザのそばにいる。離れるときがあったとしても突然消えたりはしないさ」
「本当れふか……?」
「ああ、安心しろ。それとも我がウソをつくとでも思うのか?」
ミモザの瞳がジーっと我の中を覗き込むように見てくる。
しばらくして、ニコリと表情が変わる。
「そうでふよねっ、フィーさんはウソつかないでふもんね!」
安堵した顔だ。はたして昨日までの我だったらこんな風にミモザを安堵させることができたのだろうか。
「ふわわぁ~……今日はもう疲れました。さ、フィーさん、一緒に寝ましょ」
そういってミモザが我の腕を引き、ベッドの方へと。
どうも、我が帰ってきてからミモザの態度が目に見えて積極的になってきたように思う。ああ、きっとそうだ。今にも我が消えていなくなりそうだったのだ。
我もミモザと離れるのはイヤだ。ミモザも我と離れるのはイヤなのだろう。
そんなわがままな感情が今日はドッと出てきたに違いない。
いつまでも子離れ、親離れできない家族みたいだが、まあいいだろう。
今日は、今日だけは思う存分、甘えさせてやろう。
きっと昨日までの我が、知らず知らずのうちにミモザを突き放してしまっていたのかもしれないのだから。その、埋め合わせだ。
ふかふかのベッドの上、お互いに毛布を掛け、その下で優しく体を抱き合う。
どうして我は一瞬でも、これを手放してもいいと考えてしまったのだろう。
まどろみの中、我はただただミモザの体温を感じ、優しく眠りに落ちた。
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