パエデロスの空は今日も快晴で、いたってのどかなものだった。街を歩けばエルフも笑顔で買い物しているし、獣人の店主が活気ある声量で客引きをしている。
異種族たちがごく当たり前の日常を過ごしているこのパエデロスは、異国から見てもかなりの異質な部類となる。しかし、そんな常識も直ぐに忘れさせてくれるのもまたこの街の魅力なのかもしれない。
冒険者たちの往来する商店街にも、まさにそんなパエデロスを象徴するような店があった。通称、天使の店。亜人娘だらけのこの店は知る人ぞ知る名店として他国にもその名が轟くほどだ。
この店の名物は、その店の前にも飾られている彫刻――そのモデルとなった、まるで姉妹のように可憐な二人の少女。
彼女たちこそがこのパエデロスにおける天使と信じて疑わないものもいるほどで、彼女たちの噂を聞き付けてこの街を訪れる貴族や王族もいるくらいだ。
しかし、ここしばらくは日中に彼女たちの姿は店内にはなかった。それというのも最近設立された魔導士学院に通学するようになったからだ。今ごろ、さぞかし麗しい学園生活を送っていることだろう、と常連たちは思い馳せる。
二人が欠けているからといって評判が落ちることはなく、冒険者たちにはその店で売られている道具の品質の高さをよく理解しているため、客足は途絶えない。
「ありがとうございましたぁ~、またのお越しをお待ちしておりますぅ~」
褐色肌で白髪のエルフ――デニアが、のほほんと間延びした声で客を見送る。店を後にした客の頬はなかなかに緩んでいた。
「ピークは越えてきましたねぇ。あとは店長が帰ってきてからもう一踏ん張りぃ~、ですねぇ」
うぅ~んと背伸びしながらもデニアが言う。そこでふと、商品棚に置いてある道具が目に付く。
「あらあらぁ……? お客様がうっかり壊してしまったのかしらぁ?」
見てみると、陶器製と思わしきその品の一部が欠けていた。破片も近くに落ちており、どうやら最初からこうだったというわけではなさそうだ。
「どうしましたか、デニアさん」
そんな様子を見て、小さな少女の容姿をしたドワーフ――サンシが店内に設けられた工房からトコトコと現われる。
「あぁ、サンシさん。ちょっとこれ欠けちゃってるみたいでぇ」
「ふむふむ……これは直さないとですな」
そういうと、デニアから欠けた品とその破片を受け取ったサンシは自分の持ち場である工房に運び、作業台の上に載せ、針状の工具を手に取る。
「こんな感じですかな」
「――ぇっ?」
次の瞬間にはもう既に商品は直っていた。ひび割れた痕も見当たらないくらい。
デニアの目には工具を手に取ったその瞬間までは見えていたが、何をしたのかを理解する前にはもうその状態になっていた。
「簡単な接着剤ですよ。ほっほっほ」
どうやら針状の工具の先に接着剤を付けて、破片に塗り込んで上手いことくっつけたらしいことまでは何となく察せたが、それはまさに目にも留まらぬ速さだった。
まず、いつ接着剤を取り出したのかもデニアには分からなかったほど。
「さすがはサンシさんですねぇ。見事な腕前。やはり、有名なキャラバンに所属していただけのことはありますね」
「いやいや、私など大したことないのですよ。凄腕の方々に囲まれていただけのことです。まだまだ精進せねばならないとも思ってるくらいです」
などと謙遜しながら上機嫌そうに笑みをこぼす。
見た目が少女なだけに、なんとも無邪気にはしゃいで見える。
「でも、サンシさんほどの腕前の方もそうはいないでしょ。どうしてまたキャラバン離れてパエデロスに来たんですかぁ? あ、いえ、特に深い意味もないですけど」
「建前だけ言えば、己を磨くため、ですな」
サンシは手元に工具を構えて何処か含んだ言い回しをする。
「ええと、以前からこの街に関心があったとかぁ、そんな感じですか?」
「厳密に言うとですな……、我々のキャラバン、もうご存じのことと思うのですが、鉱山巡りをして各所に売るのが主な生業なのですよ。それでたまたまその卸し先がここ、パエデロスだったというわけですな」
そこでデニアはやや首を傾げる。
あまり理由としては弱いような気がしたからだ。
「ほっほっほ、不思議そうな顔ですな、デニアさん。それもまあ、単なるきっかけなのですよ」
「パエデロスの市場で面白いものでもあったんですかぁ?」
「ええ、その通りですな。といっても、最初は仲間からの又聞きですが」
そういってサンシは徐に工房においてあった適当な大きさの鉱石を手に取る。
「恐ろしく目利きのご令嬢がいくつかの鉱石を買っていったとか。私どもの仲間でも魔力を見る目というものは希少なものですから、少々興味を惹かれたのですよ」
「おやぁ、それってもしかしてぇ……」
「お察しの良い。隠すこともないので明けますと、後々にフィー様だということが分かりました。いやはや、有名な人というのは情報の巡りが実に早いものですな」
軽く笑い飛ばして見せて、サンシは手元の鉱石を金属製の鎚のような工具で静かに、撫でるように叩き始める。
「それから、キャラバンの皆さんに無理言って私自身がこのパエデロスに訪れたのです。普段はそのようなことはしないのですが、会えれば面白いだろう、という興味本位でね」
「へぇ~……、じゃあフィー様とはそれで初めて会えたってわけですか?」
「いえ、そのときの私は希少なミスリル鉱石を積んで市場に露店を構えていたのですが、現われたのは……まあ、お嬢でしたよ。ほっほっほ」
次第に、サンシの手の中で鉱石が加工されていき、形を変えていく。
「あまりにも真剣な眼差しでミスリル鉱石の品定めをするものですから、実に印象に残りましてね。聞けば私と同じくらいの年だというではないですか。その場で意気投合してしまいましたよ。ほっほっほ」
ふと気がついたときにはサンシの手のひらに、宝石のような輝くものがあった。
つい今しがたまで光沢もない石ころと変わらぬ形状だったとは思えない。
「しばらくして、ですかな。お嬢が専属の加工屋を募集していると聞いて、キャラバンを抜けて降りてきた次第ですよ。お嬢は――ミモザ様は私にはないものを沢山持っておりましたので。先ほども言いました通り、己の磨くために、ですな」
「なるほどぉ~……職人気質ですねぇ」
そんな調子で感心した声をあげるデニアに対し、サンシは向き直る。
「それでは私の方からも伺ってもよろしいですかな。デニアさんは、どうしてパエデロスへ? 聞けば遠方の大陸より流れ着いたような言い方をされていたと記憶しているのですが」
「私はぁ、うぅんと、本当にしょうもない話なんですよぉ?」
うふふ、とニコニコ笑顔を見せながらも、デニアは適当な言葉を取り繕う。
「私のいたジャーカランダーという大陸。領土問題が深刻だったんですよね。パエデロスと違って悪い意味で多種族が共存していたというかぁ、拮抗していたと言えばいいのかなぁ。ともかく、今でこそ大陸全土が大国ということになっていますけど、正直ぃ、まぁ居心地が悪くて……」
「それはそれは苦労されていたのですね」
「そんな当時の私の食生活を支えていたのがジャガイモだったんですよぉ。それで、まあ、こっちに来たらジャガイモを売ってる店があったので、懐かしくてつい」
デニアはチラッと店内の棚に視線を送る。そこにはミモザチップスと命名されたジャガイモを使った商品があり、サンシは思わずクスリと笑っていた。
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