※ダリアサイド
人間やら亜人やら、冒険者やら貴族やら、存外、眺めていて飽きることはないだろうと思うくらいには、あれやこれやの輩が闊歩している辺境の街パエデロス。
そんな街の大通りを一人歩くのは、黒く長いローブを羽織り、黒く高い帽子を被る、赤く短い髪の女だった。
とりたててパエデロスでは目立つような容姿でもなかったが、その女のことを知らないものはあまりいない。
仮にいたとすれば、ごく最近よっぽどの田舎から移住してきたものくらいだろう。
彼女の名はダリア。女魔法使いのダリアだ。
その実力は折り紙付きで、例え今この場に筋肉隆々の種族であるオーガが十体くらい並んで襲いかかってこようが、鋭い爪や牙を持つ狩猟エキスパートの種族と謳われる獣人族が三十体くらい取り囲んでこようが、返り討ちにできるだろう。
何処か遠くの国では、黒蝶の魔女という異名で知れ渡っているほど。
ダリアの持つ逸話に触れようものなら、それこそ伝説級だ。世界を恐怖に陥れたとされるかの有名な魔王とも戦い、打ち勝ったこともあるという。
なんでまたそんな生きた伝説みたいな女が平然と辺境の街を歩いているのか。
理由としては、その実、そこまで複雑な話ではない。
かつて、パエデロスは酷く治安の悪い土地だった。
何せ辺境の地だったから得体の知れない連中の隠れ家としても都合が良く、また何の因果か近辺にはダンジョンも多かったため遠方から冒険者や行商人なども多く集まってきた。
パエデロスもなんだかんだ、色々な事情を抱え込んだ輩が自然と集まってくるものだから年々栄えていき、街としても大きく成長はしてきたが、なんといっても、そのよく分からん輩どもの入り交じる場所をそのまま放置できるわけもない。
そこで派遣されてきたうちの一人がダリアだった。誰もが認める実力者だったからこそ白羽の矢が立ったのだ。何せ、伝説級の実力者なのだから。
結果だけの話をすれば、ダリアはパエデロスの治安維持に貢献したといえる。
人間と亜人が目を合わせただけで殺傷事件になりかねなかった一触即発の街も、今に至っては、挨拶と会話することに何ら違和感のない程度には平穏になった。
とはいえ、ダリア自身、パエデロスの治安維持の仕事に就くことを望んでいたかと言えば、その答えは明瞭なまでに否。
その強さゆえに神経が図太いような言われ方をされてしまうが、好き好んで住民に畏怖の対象になりたがるほど面の皮の厚い女ではない。
黒蝶の魔女などと呼ばれているのも甚だ不本意で、はた迷惑にすら感じているくらいだ。それでもなお、ダリアがこのパエデロスの地に渋々いるのは、力を持つ者に課される責任感――ではなく、もう少し別な理由だ。
「よっ、みんなお疲れ~」
「「「チィーッス! ダリアさん、お疲れッス!!」」」
パエデロスの大通り、ダリアは目の前を巡回していたいかつい男集団に声を掛ける。すると即座に統率の整った返事がくる。
彼らはパエデロスを平和を守る団体。
力強く心強い、頼れるみんなのパエデロス自警団だ。
まだ色々な諸事情もあって法治国家には至らない、ただの辺境の街に過ぎないパエデロスの治安が保たれているのは彼らの功績も多い。
結成に至るまでの経緯は割と長く、当然のようにダリアもそこに噛んでいる。
「「「本日もパエデロスは平和です!」」」
「うむ、よろしい。引き続き頼むよ」
「「「イエス、マム!」」」
赤髪の女魔法使いダリア。またの名を黒蝶の魔女。彼女を知るものの多くは、彼女に敬意を表す。それはこのパエデロスでも例外ではない。
それともう一つ、周知されている事実として――
「ダリアの姉御! ロータス兄貴でしたら、今、西の居住区の方ですぜ!」
「ロータスさん、今日はまだ食事を済まされていないそうッス!」
「先ほど、兄貴は脱輪した馬車の対応をしてたからかなり疲れてるはずです」
特に誰にも求めてもいないのに飛び交ってくるのは、本日の勇者ロータス情報。
彼こそは、このパエデロスだけでなく、世界の功労者。勇者として名を馳せた唯一の男、ロータスである。
「あ、うん、ありがと」
素っ気ないフリをしつつダリアは肉だるま集団にお礼を添える。
あえてもう一度付け加える。誰もそんな情報求めていないし、ダリアも別にそういったことを催促などしてはいない。そんなことをすれば公私混同、職権乱用である。
しかして、そのような情報を聞きつけたダリアが真っ先に向かった先は、丁度近場にあったパン屋である。香ばしい焼きたての匂いをかぶりながらも、扉をくぐる。
「すみません、このパンと、このパンと、あとそのパンください」
「あいよ、1シルバと16ブロンね」
ダリアはサッと銀貨で支払い、お釣りを受け取り、思いの外少々大きめの包みを抱え、パン屋から出てくる。
包みの中身は手頃なサンドイッチ的なものがいくつか。軽食にしてはそれなりの量だろう。おまけに具だくさんで、一人で食べるにはやや多い程度。
次にダリアの足が向かった先は、西の居住区方面。
パンの香りに包まれながらも、トコトコと移動していく。
はたして、ダリアはどんな顔をしていたのかといえば、通りがかりに見ず知らずの人から見ても、はたまた読心術を習得していなくとも、察せる表情だ。
当人はパンを抱えて、何食わぬ顔をしているつもりだ。周囲をキョロキョロと見回している辺り、相当挙動不審ではあるのだが。
「あ、ロータス。奇遇だね」
「ん? ああ、ダリア。巡回お疲れ様」
さも、偶然であるかのように装いつつも、ダリアはようやくして見つけたロータスに声を掛ける。一方のロータスは当然言葉通りに奇遇としか受け止めていない。
「ロータスもお疲れ。何、その疲れた顔。ちゃんと休んでるの?」
「丁度さっき、そこの通りで馬車が横転してしまってね。トラブルが起きていたからその対応をしてたところなんだ」
「まったく……そんな雑用はアンタの仕事じゃないでしょ」
素知らぬ顔でダリアは呆れたフリをする。たった今初めて聞いた話かのように。
「ダリアの方は、これからご飯かい?」
「ん~、そんなとこ。ちょっとお腹空いてたから勢いでたくさん買ってはみたんだけど、さすがに買いすぎちゃったのよね。食べきれないから持っていってよ」
と、包みからサンドイッチを一つ取りだし、半ば押しつけるようにロータスの懐に突き出す。そうなってはロータスも渋々受け取らざるを得ない。
「無茶ばっかりして倒れたりしたら示しが付かないでしょ?」
「ああ、まあ。すまない。ありがとうな、ダリア」
「ちゃんと休みなさいよ! じゃあね!」
そういってパンの香ばしい匂いを残して、ダリアはロータスの前から風のように去っていく。もうしばらくは働くつもりだったロータスも苦笑いを残した。
その場面からやや離れた角、ダリアの背中が消えていく様子を伺っていた人影がいくつか。
「姉御ぉ……なんでそこで一緒に食べようって誘わないんスか……」
「くぅ~……なんてもどかしい……」
「相変わらずダリアの姉御は……」
ヒソヒソと、ダリアにもロータスにも聞こえない声で、何処かにいた男どもがぼやく。
それはパエデロスの街中で、密やかに行われる、そこはかとない日常の一コマ。
ロータスも知らない、ダリアも自覚していない、このパエデロスで囁かれる、黒蝶の魔女にまつわる周知されていることの一つ。
それはけして誰もが本人を前にして口にすることのない、誰の目にも明瞭な事実だ。だからあえてそれの言及はすまい。
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