辺境の地に栄えた大きな都市、パエデロス。その中央にそびえ立つのは城の如く存在感を放つネルムフィラ魔導士学院だった。
魔力を持たない者でも魔法が使えるようになるという触れ込みで生徒を募ったその学校は、他国にまで知れ渡るほどに大きな反響を及ぼした。
今日はその入学式が執り行われ、記念すべき開校初日が無事に終え、新入生たちが一人残らず下校していった後だった。夕闇に染まりつつある、そんなネルムフィラ魔導士学院の校門前に、一人の少年と、何人かの男が屯していた。
学校の制服を着こなすその少年の名は、コリウス・レッドアイズ。このパエデロスより遠方にある軍事国家レッドアイズの第二王子だ。
その王子を取り巻く男たちは勿論のこと、レッドアイズに仕える従者だった。
学校内を見学でもしていたのか、他の生徒たちよりもかなり遅れての下校だ。あるいは、意図的に人気がなくなっていくのを見計らっていたのかもしれない。
「王子、ご入学おめでとうございます。何か不備はございませんでしたか」
「うん、何もなかったよ。あとはクラス分けの試験結果が楽しみなくらいかな」
従者の問いかけに、えへへ、と無邪気に笑ってみせる。
はたして、コリウスは自分が一国の王子である自覚を持っているのかどうかはさだかではないが、新しい学校生活に期待を抱いている様子は見てとれた。
「ねえ、ボクも魔法使えるようになるのかな」
試験会場で配布され持ち帰った魔法の杖を手先で振りながらも、コリウスは純粋な疑問をこぼす。それに対して、従者は特に表情を崩すことなく答えた。
「勿論ですとも。学校のカリキュラムには我が国の最先端技術も関わっております。貴方様の兄君も認める魔導教育に間違いはございません」
「ありがとう。ボクも頑張って魔法を使えるようになって、それでお姉さんの……カシアさんのような人にも認められるくらい立派にならなきゃ」
そんな決意を抱きながらも、コリウスはグッと杖を握る手に力を込める。
軍事国家レッドアイズには、かつて栄光があった。世界を恐怖に陥れた魔王を討伐したという功績が。そして、そこに至るまでに積み上げてきた技術が。
しかし、魔王軍との戦争を終えてからのレッドアイズは、極めて芳しくない情勢の中にあった。
世界を救ったのだから持て囃されて然るべきなどとあぐらをかいていたツケが回ってきたと言い換えてもいいのかもしれない。
脅威になりうる力を持つ国の名は、他国からも敬遠されるようになり、それでも栄光にすがりついた国王の歩んだ末路は凄惨なものであった。
結果として、レッドアイズの第一王子ソレノスと、第二王子コリウスの兄弟は現国王の尻ぬぐいする立場に回されることとなる。
それが即ち、ネルムフィラ魔導士学院の入学に至った顛末。
それまで軍事国家としてあらゆる技術も秘匿のものとしてきたレッドアイズだったが、それを学び舎という場を設けて世界に周知させる方針に舵をとったのだ。
それこそがネルムフィラ魔導士学院の設立経緯であり、存在意義とも言える。
ただし、コリウス王子の目的はそれだけには留まらなかった。
「王子。もう日没です。そろそろ馬車の中でお待ちいただいては」
「……いや、もうちょっと待つよ」
何人かの従者に守られる中、頑なに手配された馬車に乗り込まず、暗くなっていく校門前で王子は待ち続ける。
日が暮れてしまえば、春という暖かな季節であっても外の風は優しくはなく、体を冷やしていく。それでもなお、王子は期待するようにただそれを待っていた。
ようやくすると、街灯の中、石畳を蹴る小さな影が一つ。
王子の前に姿を現したのは小柄なメイド少女だった。
「――大変お待たせしました、コリウス王子」
「待ってたよ、オキザリス。誰にもつけられてない?」
「ええ、問題御座いません」
恭しく、堅苦しく頭を垂れる。それは主君に対する敬意以外の何者でもない。
待ち人のコリウスは待ちわびたとばかりに笑みを口角に映す。
「よし、馬車に入ろう」
王子の一言に、オキザリスを含む従者たちが応じる。
そしてネルムフィラ魔導士学院の校門前から迅速に一行は馬車の中へと姿を消し、蹄の音が響いた後には静寂しか残らなかった。
「じゃあ、成果を見せてよオキザリス。そのためにずっと潜伏させていたんだから」
「御意」
そういってオキザリスが取り出してきたのは羊皮紙の巻物だ。
それもかなりの長さなのは見てとれた。少なくとも、昨日今日にこさえたものではないことだけは明白だった。
コリウスは期待の眼差しでその巻物を受け取り、馬車の中であることを構わず広げる。そこには、とある女性に関する情報の報告書があった。
「カシア・アレフヘイム……、太陽に照らされる小麦の如く麗しき黄金の髪に、何処までも澄み渡る大空のような青い瞳。そして、ミモザさんのお姉さん」
ワクワクを抑えきれないという様子で、興奮気味にコリウスは読み上げる。
「よく調べ上げたね。すごい。さすがオキザリス」
「お褒めの言葉、光栄です。有難き幸せに存じます」
シュルシュルと巻物を読み進めていき、大層ご満悦な顔。
「やっぱりカシアさんは滅多に帰ってこない感じなのかな」
「ええ、カシア様が姿を見せる事はあまり御座いません」
オキザリスの報告書に記されているカシア・アレフヘイムという女性は、コリウスの意中の女性である。その実、二度ほど救ってもらった経緯もあり、コリウスにとって憧れの女性でもある。
いつかは本人に直接プロポーズをしたいとも考えているくらいで、今回のパエデロス留学も本音で言えばカシアに会いたいという目的の方が強かった。
無論、自国の問題に関心がないわけではない。可能であれば、身分を隠してでも自身がパエデロスに赴くことも検討していた。
しかし、レッドアイズの情勢は他国から見ても難しい局面に立たされているのが現実であり、さしもの遊び盛りの幼い思考の王子でも踏みとどまる。
そこでコリウスは少しでもカシアのことを知りたく、パエデロスに密偵を送り込んでいた。それこそがメイドのオキザリスだ。
当初はカシアの妹であるミモザの営む店に送り込むことも検討されていたが、今のオキザリスが潜伏している先はパエデロスで最も有名とされている令嬢フィーの屋敷だった。
令嬢フィーは、ミモザの親友である。その知名度は遠方の他国に至るまで認知されているほどで、情報を得るのには都合もよかったのだろう。
何より、屋敷に多くの使用人を雇っていたこともあり、そこにオキザリスが潜入することはとても容易だった。
「オキザリス、フィーさんのお屋敷での仕事は大変なの?」
「そのようなことは御座いません。ワタクシめを含め従者は皆、満足しております」
オキザリスは嘘偽りなく答える。
そんな曇りなき眼を見て、コリウスも納得する。
その長い羊皮紙の巻物を読み解きながら、コリウスはカシアのことをただ想う。
一応はあれから何度か恋文をパエデロスに送っていたが、返事らしい返事もなく、再会すら叶わなかった。
「それでは、ワタクシめはここで失礼させていただきます」
「あ、うん。ボクはもう少し読ませてもらうよ。ここに全部書いてあるんだよね」
「――ええ。カシア様はミモザ様の姉君でエルフ。それが全てです」
オキザリスは、明確に嘘をついた。
そんな真っ直ぐとした眼を見て、コリウスは騙されているとも気付かず頷く。
そうして、オキザリスは馬車を降りると、夜の闇へと去っていった。
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