偽令嬢魔王

魔王軍を追放されてしまったので悪役令嬢として忍び込むことにしました
松本まつすけ
松本まつすけ

【くノ一】泰美

公開日時: 2021年12月7日(火) 00:00
文字数:3,000

 月光を叢雲の如く遮る、深淵の闇に飲まれた森の中、一陣の風のように草葉が一斉に靡かれていく。それは宵闇に紛れる影だろうか。


 ここは、とがった長耳の亜人部族が縄張りとする森。彼らは弓を携え、立ち入る侵入者を問答無用で葬る狩人だ。


 しかし、そんな森の民達もその影の姿を捉えるまでには至らなかったようだ。その俊足は虫の羽ばたきほどの音も無く、通り過ぎた後には踏み跡さえも残らない。


 彼女は、遠方の極東に在ると云われる島国より海を越えてやってきた忍びと呼ばれる偵察者であった。その名も泰美ヤスミ


 目にも留まらぬ俊敏さで彼女は今、森を駆け巡り、亜人の姿を数えていた。

 そして位置を把握し、何処からならばより効率的に忍び込めるか一瞬で把握する。


(集落は何処……?)


 泰美が今探していたのは、この森の何処かに存在しているであろう、その亜人部族達の集落だった。森の敷地はあまりにも広大すぎて、その位置を特定しきれない。


 しかも、長耳の亜人は泰美の把握している限りでは他にも別の部族があるらしく、今、泰美が立ち入っている部族以外の縄張りに迷い込んでしまう可能性もあった。


 だからこそ慎重にその領域を見極めながら森の深部へと進む必要があったのだ。


 聞くところによれば、部族の縄張りは異なる質の魔素を放つ樹を目印として区切られているとのことだが、泰美には魔素なるものを感じ取る才もなかった。


(ふがいない……せめて魔素が見れれば……)


 などと自分を卑下してしまう泰美だったが、むしろ魔素が見えなかったことの方が探索も潜入も著しく効率が良かったことを知るよしもない。


 森全体に広がる魔素は霧の如く周囲を覆っており、魔素を感じ取る事の出来る者からすれば、幾重もの幕が張り巡らされたかのような光景が広がっている。


 その点で云えば、泰美には魔素など視界に映ってはいないのだから余計な阻害もなく、また泰美自身も森の闇に馴染むのも容易のものとしていた。


 そうして森の中を走り抜けること数刻。泰美は部族の見張りの数や位置から逆算する事によりその集落の位置を特定するにまで至る。


 泰美が辿り着いたその場所は、森の中に切り開かれた都会だった。


 大樹そのものが幾重にも重なり、その中をくり抜くようにして造られた大自然の要塞だ。外界の一切から遮断されたその場所は、まさに森の民の里といえた。


 見張りの数はそれまで森の中に点在していた数とは比べものにならないほど尋常ではなく、入り口一つにしても数カ所から弓矢を放たれるよう死角もなかった。


 集落である大樹は他の樹木と距離を置いてあり、余程の跳躍、あるいは飛行しない限りは辿り着けず、仮に空から行こうものならいかに泰美でも矢の的だろう。


 つまり集落に入るには地上からでなければならないということ。泰美は周辺をさらにぐるりと探索し、入り口となりうる場所を全て探り当てた。


 入り口は計十数カ所。やはりそのいずれも死角になりそうな場所は見当たらず、強行突破が不可能であることも理解する。その見た目以上に要塞だったようだ。


(さて、どうやって入ったものか)


 泰美の中に諦めるという言葉はない。どれだけ厳重であろうが構わず、どれだけ危険を背負おうが厭わず、集落の中に忍び込む方法を模索する。


 周囲を巡りながらも泰美は建物や施設の数とその用途や役割と予測し、頭に叩き込む。無論泰美にとってここは異国の地。圧倒的に分からないものは多い。


 集落の拠点となっている巨木も枝分かれが多く視界を遮られ死角となって見えない施設もいくつかあったが、それでも泰美はその集落の地図を頭の中に構築させた。


(おそらくあの場所が――そしてその施設が――なら、ここは――)


 常人ならば、そもそも警戒心の強いと云われた部族の集落にまで辿り着くことがまず困難であり、さらには最も警戒の強い集落周辺ともなれば格段。


 にも関わらず、泰美はここまで部族に発見されることも感知されることもなく、情報を探り尽くしていく。一歩間違えれば、命を落としかねない状況だというのに。


 泰美の潜り抜けてきた死線の数は計り知れない。


 夜闇に紛れて月光をも避ける。極東の忍び、泰美は音も無く集落の死角も盲点も全てを網羅し始めた。げに恐ろしきは彼女の胆力か。


 小心者なればとうに心臓が破れているのではなかろうか。緊迫を強める中、彼女は一つの賭けに出る。それは確実な手段でもなければ安全な策でもない。


 それまで気配を押し殺していた彼女は、突如として周囲に悟られるほどの存在感を放つ。吐息、仕草、振る舞い、それらが色濃く現出されていく。


 次の瞬間には、泰美はその集落にある一つの入り口の前へと姿を現した。無論のことながら見張りからは明確にその存在を認知される。


 しかし、どうしたことか。ここは部族の集落の中心であり、とうに縄張りの一線は越えている地。にも関わらず、彼女には放たれる矢の一本もなかった。


 何故なら今の彼女は先ほどまでの容姿とはまるで異なっていたからだ。


 太陽に照らされる小麦が如くなだらかな黄金の髪を持ち、空色をした瞳と長いピンと伸びた耳。それはこの部族である亜人の特徴と一致するものだ。


 それだけに留まらない。泰美の顔つきは、あろうことか森の中ですれ違った見張りと同じ顔を模していた。通りすがりに顔を覚え、その顔を造ったのだ。


 手立てはそれだけに留まらない。顔を盗んだ亜人は今頃何処かの木の上で寝ており、本人がこの場に現れることは決してない。


 いつの間にそこまでの策を打ったのか? 当然、この集落を探り当てるまでの最中だ。その時点で、ここまでの状況を計画していたのだ。


 決して容易くなどはなく、これによって相手を誤魔化せる可能性は極めて低いだろうと泰美は予想立てていた。しかして、入り口の抜けるまで気は抜けない。


 四方八方から感じ取れる泰美への警戒の視線が一つ、また一つと外れていくのを感じた。殺気にも近い圧も徐々に薄れていくようだった。


 泰美は念を入れて顔まで変えてきていたのだが、実はそれも功を奏していた。この長耳の部族は数百数千といる仲間の顔も互いに全員把握し尽くしているからだ。


 髪の色や目の色を変えた程度ではこうはいかなかったことだろう。


 何はともあれ、泰美はついに集落の中にまで入り込めた。だが、目的はここではない。あくまで泰美の目的はこの場所の情報収集だ。


 泰美にとって、ここからが本番だといっても過言ではない。


(ここにお嬢がいるはず。気は抜けない。情報を掻き集めなくては……)


 泰美に集まる注目が解かれたそのとき、泰美は再び気配を殺し、宵闇の集落の中へと掻き消えていく。その様は、まるで煙の如く、実に鮮やかなもの。


 泰美には時間も限られていた。一刻も早く求めている情報を持ち帰らなければ、それは即ち、自分の仕えている主の命が討たれることを意味していたのだから。


 森の中に開拓されたこの集落は、外見からは把握しきれないほど内部が入り組んでおり、むしろ集落としてはその内部こそ本拠地と言えた。


 大樹の地下茎にまで至るその集落の広大さたるや。時間を惜しむ泰美とっては途方もなく苦心させられることだろう。


 それでもやはり、泰美には諦めるなどという言葉はない。


 それこそが、遙か遠方、極東の島国より海を渡ってまでこの地にやってきた、泰美という一人の忍びの生き様であり、誇りでもあった。


(お嬢……必ず貴女様を救い出します。それまでどうかもうしばらくの辛抱を)

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