※マルペルサイド
人間含む異種族が平穏に暮らせると評判の辺境の街パエデロス。そこには遠方からも様々なものが押し寄せてくる文化のごった煮のような場所。
都会でもなかなかお目に掛かれない珍しいものも多く、何処ぞの偉い考古学者や、名のある貴族や王族も強い興味を示される特異な場所。
そんなパエデロスで、特に名物とされているものは、謎の亜人令嬢フィーと魔具職人エルフ少女ミモザの二人だろう。彼女たちを一目でも見収めておきたいという旅人や冒険者は絶えない。時には王族さえも会いに来た逸話もあるほど。
ここでは誰もが周知している。令嬢とエルフは姉妹のようだと。
異種族の壁を越えた尊き存在であると。
そして、計り知れないポテンシャルを秘めていると。
事実として、パエデロスが今日のように栄えてきたのは、この二人の功績もある。金のある令嬢が経済を回し、技術のあるエルフが生活水準を高める。
その最たる象徴が姉妹天使の店とまで謳われる魔具店だ。
令嬢とエルフの二人が経営している素朴な店だが、そこを起点にパエデロスは回っていたといっても過言ではない。
凜とした銀髪の令嬢と、愛らしい金髪のエルフの二人は、まるで月と太陽のように相反して互いの魅力をも引き立てていた。二人の天使が、辺境の街に過ぎなかった掃き溜めとまで揶揄されたパエデロスを平和の街へと昇華させたのだ。
――と、そのようなことがまことしやかに囁かれてはいるが、今、まさに、今、パエデロスの姉妹天使は、史上最大、究極的な、絶体絶命とも言える、最低最悪な状況にまで至ろうとしていた。
「ぁぶぅー……ぁぶぶぅー……だぁだぁ……」
パエデロスでも随一の屋敷。それは件の亜人令嬢フィーの屋敷だ。
寝室のベッドの上、よだれを垂らして放心状態になっている、見るもみすぼらしい銀髪の少女は、おそらくはフィーと呼ばれていた令嬢だと思われる。
「フィーお嬢様、大分落ち着いてきましたね」
「そのようですね。では、ここはチコリー先輩たちに任せましょう」
フィーの様子を見守っていたメイド、チコリーとオキザリスが一先ずホッと胸をなで下ろす。はたして数刻前はどのような状況だったのか、想像に難くない。
「オキちゃんも来るの?」
そう訊ねたのは赤髪の女魔法使い、ダリアだった。
「ええ、お嬢様のためでもありますから」
幼児用の玩具でそのお嬢様と呼んでいるものをあやしながらオキザリスは答えた。
「あの子のことだからきっと何か思い違いがあると思います。話し合えば分かってくれるはずです。フィーちゃんのためにも行きましょう、ダリアさん」
その横で女僧侶のマルペルが、はしたない顔をしているフィーらしきものを眺めながら、かつての面影を追うように思いを馳せる。
今生の別れか、葬式か。どれだけ取り繕ってもこの室内の空気は重いと言わざるを得なかった。ベッドの上で赤子のように振る舞うソレは、紛れもなく令嬢フィー以外の何者でもなく、だからこそいっそ哀れに見えた。
事の発端は、姉妹天使とまで言われた令嬢は、同じく姉妹天使のエルフに、著しい拒絶されてしまったことから始まった。
その要因を、はたまた拒絶された現実を理解できず受け入れることもできなかった令嬢は、精神が壊滅的なダメージを負い、このような有様に成り果てたのだ。
「行ってまいります。お嬢様」
メイドのオキザリスは返事もできないフィーに向け、それだけ言い残し、ダリアとマルペルと共に屋敷を後にした。
※ ※ ※
フィーのお屋敷から比較的近い位置にその魔具店は建っていた。
姉妹天使の片割れであり、パエデロスでは多くの住民たちにフィーの唯一無二の親友と認知されているミモザの店だ。
「ミモザちゃ~ん、いるんでしょう? お話だけでも聞かせてくださ~い」
玄関の扉をコンコンとノックしながら訴えるのはマルペルだった。しばらく続いたが、とうとう返事はなかった。
「寝ちゃってるんじゃない? それか工房で集中してるか」
「それはありません。寝室の方からは寝息も聞こえませんし、工房の方にも作業している音は聞こえません」
店の玄関の前から一歩も動いていないオキザリスは、そう答える。
「つまり留守ってこと?」
「いえ、微かにですが、すすり泣く声が聞こえます」
どうして店の外にいるのにそこまでのことが分かってしまうのか、マルペルもダリアもソレについてを把握してか特に詳細を訊ねない。
「お嬢様からこの店の合い鍵を拝借してあります。いかがなさいましょうか」
しれっと主から盗みを働いている使用人のオキザリスに対して、二人はこれといった疑問を浮かべることすら惜しみ、小さく肯定の意味で頷く。
カチャリと扉を開き、メイドと女魔法使いと女僧侶の三人が店に侵入する。
店の中はカーテンが閉まっていることもあって薄暗く、ほとんどが静寂に飲まれていた。しかし、何処か片隅からその声が聞こえてくる。
お店のカウンターに突っ伏して小さく丸くなっているソレが小刻みに震えているのがそこからでも確かに見えた。
「ミモザちゃん……」
我先に駆け寄ったのはマルペルだった。
「ふぇ~……、ヒック、ヒック……、ふぇ~……」
ミモザは顔を伏せたまま泣きじゃくるばかり。ずびずび鼻を啜る音も聞こえる。
「どうしちゃったの、ミモザちゃん。フィーの奴とケンカでもしたの?」
「ちがうんれひゅぅ……ちがうんれひゅうぅぅ……」
カウンターにこすりつけるようにグリグリと頭を振る。
「ほら、ミモザちゃん、顔をあげて。誰も怒ってませんよ」
「ふぃーひゃんおこっれないれひゅか?」
もごもごと涙でくぐもった声で言う。
「ええ、フィーちゃんも怒っていませんよ」
そのかわりにとんでもないことが起こっていることについては、さすがのマルペルも伏せた。
「ぶええぇぇぇんっ」
ミモザが顔をあげると、想像通りと言うべきか、酷く崩れた顔をしていた。涙や鼻水でぐちゃぐちゃだ。すかさず、マルペルはハンカチを取り出し、優しく顔を拭う。
「ほらほら、可愛いお顔が台無しですよ」
「びえええぇぇぇんっ! わらひ、わらひ、ふぃーひゃんにひどいことぉ、ひどいこといっらのぉぉぉぉっ! びゃあああぁぁぁっ!」
泣き崩れたミモザが勢いのままマルペルに抱きつく。一方のマルペルは、よしよしと頭を撫でて優しくなだめる。
「ミモザちゃんは、フィーのこと、嫌いになっちゃったの?」
「ふぃーひゃんだいしゅきぃぃぃぃっ! ちぎゃうにょぉぉぉっ!!」
あまりにも言語化の乏しいミモザの感情が炸裂する。
このままでは会話もままならず、らちが明かないと察し、一先ずミモザには思うまま泣き叫んでもらうことにした。
しばしの時間をおき、マルペルの胴に頭をうずめる勢いのミモザを優しく、優しく抱擁から解く。
「少しは落ち着いた?」
「ひゃい……ごめんなひゃい……」
相変わらず、ずびずびと鼻を鳴らしながら舌っ足らずに答える。
「わらひ……、いつもフィーしゃんに、フィーしゃんに……」
「待って、ミモザちゃん。もしフィーに言いたいことがあったら、フィーに直接言ってあげた方がいいわ」
「ぇ……でもぉ……」
ミモザが、もじもじとまた顔を伏せる。
「大丈夫ですよ、ミモザちゃん。私たちがついていってあげますから。きっとその方がフィーちゃんも喜びますよ」
ミモザにはフィーに対して、嫌いという感情を抱いていない。マルペルもダリアも、そしてオキザリスもそれだけは確信した。
「ほら、フィーちゃんのところに一緒に行きましょ」
「……はいっ」
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