月明かりに照らされる中、その銀色に光る腕輪はいっそ映えてみえた。
それはもう、これまで手にしてきたどんな宝石よりも美しかった。
「あぅぅ、こんなミスリル製の腕輪なんて、フィーさんには安っぽくないでふか?」
「何を言うか。これは我とミモザとの絆の証であろう? 例えこれがオリハルコンであろうと、脆い銅製であろうと、その価値は揺るぎはしない」
そもそもミスリルが安っぽいわけがなかろう。
エルフの絆。この腕輪はそう呼ばれている。山の民であるドワーフが採掘してきた希少鉱石ミスリルを、森の民のエルフに献上したことがきっかけだったとか。
種族を超えた親愛の証。それこそが、この腕輪なのだ。
この腕輪に刻まれている文字は、エルフの言葉で掘られているが、それは魔法の術式などではなく、親友に贈るメッセージそのもの。
「こんなものを用意しておきながら、どうして離れていっているなどと」
当然の疑問をミモザに投げかける。
言わずもがな、ミスリル鉱石だって決して安価なものではない。もちろん、パエデロスで優れた魔具を売りさばき、稼いでいるミモザにとっても気まぐれで手を出せるような代物なはずもない。
ふさわしくないだとか、届かないだとか、離れていっているだとか、そんなことを言っている奴がホイホイと用意するのだろうか。
「……オークション会場で、フィーしゃんがあんな凄いお宝を見せたとき、わたしの腕輪なんて、大したことがないって、そう思ったんでふ」
どうして今の今まで、これを直ぐに渡さずに隠し持っていたのか。その理由が今、ハッキリと分かった。そんなくだらない理由で、懐に潜めていたのか。
あのとき、我は旧時代の文明から持ち帰った財宝の数々を、目の飛び出るような額で売りさばいていた。それこそ、希少鉱石であるミスリルも霞むくらいの。
思い返してみれば、あれが最後の一押しだったのかもしれない。
我にとって、価値のあるものとはどういうものなのか。
パエデロスでも随一と知られる令嬢。それはミモザも知るところだ。
だから、滅多に手に入らないこのミスリルを手に入れて、我にプレゼントする心づもりだった。
しかし、そんなときにオークション会場で、あんなものを見させられては、自分のプレゼントしようとしたものが酷く安っぽいものに見えてしまったに違いない。
ああ、そうか。そういうことか。
ミモザのことを最初に突き放してしまったのは、我自身だったのか。
全身からへなへなと力が抜けていくような気がしてきた。
途方もない脱力感が身体中にまとわりついて、我はそのままベッドに倒れ込む。
なんだかもう起き上がれる気がしない。
つられるようにしてか、ミモザも我の横にポスンと倒れてくる。
「ミモザ、お前は本当にアホだな」
我の手が、指先が、ミモザの頬をなぞる。
「んもう、どうしてそんなこと言うんれすか?」
目と鼻の先で、プクーッとふくれっ面を見せてくる。
「くだらんことを考えすぎだと言っておるのだ。……確かに今まで我は大事な秘密を隠し続けていた。それが心のとっかかりになっておったのであろう?」
銀色の月明かりがキレイだ。薄闇の中でもミモザの顔をはっきりと見える。
「なあ、ミモザ。我とお前は対等だ。もう何も隠し事はしない。お前の気が済むまで語り明かそう。勿論、ミモザの秘密も聞かせてもらうがな」
「ふぇ~……?」
「我も教えてやったのだ。これで対等というものだろう?」
ベッドの上でミモザと二人。こんな夜も、何故だか久しぶりのように思えてくる。きっとこれがミモザの感じていた我との距離感なのだろう。
今はただ、このミモザのぬくもりを間近で感じていたかった。もう届かないなんて言わせはしない。
今宵は満月。なら、何も包み隠すものもあるまい。
我とミモザは、一点の曇りもない銀色に照らされたベッドの上、初々しい女児の如く夜を語り明かした。ほどけ掛かっていた紐をもう一度締め直すように。
※ ※ ※
※ ※
※
その日は、久しく見ていなかった夢を見たような気がする。
何処ともしれぬだだっ広い草原を、ミモザと二人、手を繋ぎながら何処までも駆け抜けていく、そんなたわいもない夢だ。
視界の端まで途切れることのない遠くまで続く地平線を前に、我もミモザも何を思い馳せていたのかは明瞭ではない。
ただお互いにはぐれることのないよう、身を寄せ合うばかり。
全ての輪郭が雨に滲んだ墨のようにぼやけていく世界の中で、ミモザのその姿だけは、ミモザのその笑顔だけは目に焼き付くほどにしっかりと見えた。
我にとってのミモザとは何なのだろう。
ミモザにとっての我とは何なのだろう。
そんなことを思いながらもまた、我はミモザの身を抱き寄せて、ギュッと離すまいと背中まで腕を回した。
※
※ ※
※ ※ ※
朝の日差しを浴びて、ふと目が覚める。そのすぐ横、耳元から小さな寝息が聞こえてきて、我は安堵した。夢の続きかと思ったくらいだ。
どうやらミモザを抱き枕にして寝たらしい。
あるいは逆か。ミモザに抱き枕にされて寝ていたのかもしれない。
昨晩はお互いの秘密を晒しあって、すっかり裸になってしまった。
改めて気付いたのだが、我もミモザのことを多くは知らなかったのだな。
ふと自分の腕を見る。そういえば外さないまま寝ていたのか。少しだけ手首に痕が付いてしまっていた。灰色に輝く銀の腕輪。エルフの絆だ。
魔力も何も感じられないし、魔法を放つような魔具ではないことは分かっているのだが、不思議と身につけているだけで心が温かくなる、そんな気がする。
しかし、ミモザは知っておるのだろうか。歴史的な話をすれば、エルフの絆という腕輪は確かに親愛なる友に贈られる最上級のもので間違いない。
だが、それは歴史と共にそんな風習も変わっていき、昨今では婚約の腕輪としても使われていることに。よもや知っていて贈ったのではあるまいな。
まあ、多くは訊ねまい。
ミモザの太陽に照らされる小麦のような髪をそっと撫でてみる。
くすぐったそうにフフッと笑みをこぼし、毛繕いを求める小動物のように我の手の方に身を寄せてきた。
もうしばらくこのまま寝かせておこう。こんな安らぎに満ちた顔を見させられては起こすことにも罪悪感を覚えずにはいられない。
生きるものこそ美しい。さあ、我が腕の中で存分に安らぐがよい。
さて、とうとうミモザにも我が魔王であることを明かしてしまったな。
ミモザも本気で我が令嬢であることを信じて疑わなかったわけでもないようで、だからこそそこに猜疑心というものが根付いてしまっていたのだろう。
偽令嬢の魔王だなんてカッコつかないのだが、我の話を聞いてミモザは納得はしてくれたらしい。いっそ、同情もしてくれた様子だ。
人間どもにとっては悪役であっても、エルフにとっては直接的に対立していたわけではないなどという屁理屈にもならん理由ではあったが。
人の生き死にに関わっているという意味では、あのダリアも過去には数え切れないほどの命を奪ってきているし、当然ソレを総括している勇者のロータスだって、戦場で指揮を執って、我の視点からすれば殺戮の限りを尽くしてきた。
いずれもそれぞれの正義に基づいた行動であるが故にダリアもロータスも英雄と謳われる立場なのだ。逆に、そんなことをいちいち批難していたらワケ有りの輩で固められたパエデロスでは生きていけぬだろうな。
滑稽な話ではあるが、偽令嬢の魔王たる悪役な我もまだまだこの街に忍び込んでいけるということだ。
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