あらゆる種族が一堂に会することで有名な街、パエデロスには名物と呼べるものが実に沢山ある。亜人の令嬢が住んでいたり、エルフの魔具師が店を構えていたり。
中でも特筆すべき場所となると、教会が挙げられるだろうか。
その教会自体はそこまで歴史のあるものではなく、パエデロスに流れ着いた移住者が建てたもので、比較的新しめの建物となる。
その教会は、かつて世界中を恐怖に陥れたとされる魔王を見事討伐した勇者の仲間たちの拠点となっていた。
何を隠そう、彼らこそがこの異種族だらけの街の治安維持に尽力してきた経緯がある。彼らがいなければ今のパエデロスはなかったとってもいいくらいだ。
パエデロスで困ったことがあれば、ここに駆け込めば大概のことは解決する。そう言われるくらいには評判も良い。
そして、今日も今日とて、一人の少女が教会へと訪れていた。
「月の民……ってなんれすか?」
教会の奥に設けられた談話室まで足を運び、その疑問を突き出したのは、このパエデロスでも有名人と化している魔具屋のエルフ、ミモザだった。
「えっと、ごめん、ちょっと分かんない」
それに答えたのは、パエデロスの外でもかなりの有名人である勇者の仲間の一人にして赤髪の女魔法使い、ダリアだった。
何でも答えられる心づもりだったせいか、妙に気まずい。
「フィーしゃんは、月の民というものらしいのでふが……わたし、実は聞いたこともなくって……」
「フィーに直接聞いてみたら? ミモザちゃんになら全部話してくれると思うけど」
ダリアの答えに対してのミモザの反応は、ダリアのモノマネをしているのかというくらい気まずい表情だった。
「今さら聞くのもはじゅかしくて……。フィーしゃんには色々なことを教えてもらってたらか……? たから、知らないって言えないれふ……」
「そういうものかなぁ。でも月の民って名前しか聞いたことないのよね。やっぱり月に住んでたりしてたのかな」
「フィーしゃん、月からやってきたんれすかっ!?」
まさかまさか、という驚きの顔を見せる。世間知らずのミモザだって知っていることだ。月は夜空に浮かんでいるものであって、かなり空高くにあるもの。
そんな場所からやってきたなんて考えもしなかった。
もし月に住んでいたとしたら、月は一体どんな場所だったのだろうか。ミモザは月での生活は想像もできなかった。
というか、そもそも月に何があるのかすら見当もつかなかった。
「いえいえ、月の民は別に月の住民というわけではありませんよ」
二人の間を割ってひょっこりと入ってきたのは、この教会によく似合う女性。ダリアと同じく勇者たちの仲間である女僧侶のマルペルだった。
教会でのお勤めも一段落してくつろいでいたのか、普段被っている神官帽も脱ぎ、いつも帽子の下に隠れていた金のなだらかな長髪も降ろしていた。
どちらかといえばラフな格好のはずなのに、どことなく神々しさのオーラをまとっているように思わされるのは、神職者ゆえだろうか。
「マルペルしゃん。月の民のこと、知ってるんれふか?」
「ええ、まあ。その名前は御伽噺くらいでしか聞いたことはありませんが」
「御伽噺? そんなに古い伝承なの?」
そう問い訊ねられて、徐にマルペルは本棚に向かい、一冊の本を持ってくる。
古めかしい表紙ではあったものの、一目見てそれは古より伝わりし魔道書などではなく、幼児に向けた児童書であることが容易に想像できた。
「おつきさまとまほう。古くからある御伽噺です。似たような本も、おそらくこの大陸なら何処にでもあるでしょう」
「ぁー……、なんか読んだことあるかも。もうすっかり覚えてないけど」
「どういうお話なんでふか?」
そんなミモザの質問に対し、マルペルはにこやかな笑みを浮かべて返し、まるで幼児に読み聞かせるようにそっと本を開いて、ミモザの身をそっと自分に寄せた。
ミモザが本を覗き込むと、月のイラストが描かれたページが何枚も続いていた。
「昔、昔。私たちの住む大地には不思議な力が眠っていました――」
「長くなりそうだから掻い摘まんで、マルペル」
まだ読み始めて半ページにも満たないうちにダリアが面倒臭そうに言う。しょうがなく、マルペルもページをパラパラとめくりながらも話を要約して続ける。
「ええとですね。元々月は魔力の塊で、地下にあったそうです。それが、空から降ってきた大きな流星に押し出されて空に打ち上げられたと言われています。そうして夜になる度に月は空から魔力を地上に送っているんです」
「そうだったんでふか!?」
本に描かれたイラストには、月から放たれた光が平原や山々などに降り注ぎ、自然が豊かになっていく様子がありありと表現されていた。
「そして、元々お空に上がる以前から月の魔力の恩恵を受けていたのが月の民と呼ばれている亜人というわけです。地下から月が失われてからも夜に降り注ぐ魔力を糧に生き長らえている種族だと言い伝えられています」
パラ、パラ、パラとページをめくっていくと、地底から這い出てきた異形の生物らしきものが、月の光を浴びて喜んでいるような挿絵が出てくる。
少なくともそれは喜劇として描かれているものではないことだけは明白だ。
「……なんか、悪そうな人たちの絵ばかりなんでふけど」
「そうですね。月の民というのは強い魔力を持っていて、月は自分たちのものという意識が高く、魔力の全てを独占してしまう悪者というイメージの伝承が多いですね。これは御伽噺ですから、より分かりやすくなっているんですけど」
確かに言われるように、どのページをめくっても月の民とされる種族は、他の種族に対してやたらと迷惑を掛けている光景ばかり。特に、人間に対しては当たりが強く表現されているようだった。
「こりゃあフィーだね。間違いない」
「フィーしゃんはこんなんじゃないれすよ!」
もし、これを形容する言葉があるとしたら悪魔だろう。
頭から山羊のような角を生やし、背中からは蝙蝠のような黒い翼を広げ、夜の世界を暴れ回る種族。本の中では、これこそが月の民だと綴られている。
「私もフィーちゃんが魔王だったときの姿は覚えていますが、さすがにこのような格好はしていませんでしたね。今と同じように銀色の髪と真紅の瞳で――まあ、身長は巨人のようでしたが」
「今じゃあんなにちっこく可愛くなっちゃってね。ただのおてんばちゃんだもの」
そのようなことを言われても、そうなのかと納得した様子も見せず、ミモザは本のページをめくっては穴の空きそうなほど物語を目で追っていく。
しかし、やはり月の民という種族は、御伽噺でいうところの悪者の域から出てくることはなく、勧善懲悪の枠に収められたまま、退場していくのだった。
「まあまあ、これはあくまで御伽噺。脚色のされた作り話ですから、決してそれ自体が事実を綴っているわけではないのですよ?」
「ザッと読んだ感じ、月は元々地下にあって、それが空に上がったから地上に降り注ぐようになって、魔法が生まれた、って感じの話みたいね」
「でもだからってなんでわざわざフィーしゃんを悪く書くんでふか!」
ぷんすかぷんすかとミモザが不機嫌そうに言う。
「別にフィーではないでしょ。あ、いや、まあ、月の民という意味ではそうなんだろうけど。やっぱ物語にはこういう役もいないと面白くないからね」
ダリアのフォローにもならないフォローを横目に、ミモザは本の終わりまでたどり着き、そしてパタリと閉じられた。
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