パエデロスの市場をノッシノシと巨体が移動する。それは黒光りする筋肉を持ったハーフオーガのノイデスだった。
行き交う人々と比較しても頭一つ分ほど大きい彼女はとてもよく目立っていた。
別段、オーガという種族そのものはこのパエデロスにおいても珍しいこともなかったが、かの有名な天使の店で働く従業員であることも周知されているせいか、良くも悪くも注目を浴びている。
ぶっきらぼうな性格のことを加味しても、店員としての接客も満足にこなせず、営業時間にやっていることといえば用心棒とばかりに悪い客を追い出すことが殆ど。
とてもではないが、素晴らしい従業員とまでは評価されていない。
とはいえ、日頃から露出しているムッキムキの肉体美は見るものの気を惹くには十分すぎるし、よくよく見れば顔も可愛らしく、プロポーションも抜群。
欠点こそ多いものの、彼女もまたパエデロスの名物として囁かれている。
「お、あれが噂のノイデスちゃんか……見事な筋肉だ」
「ああ見えて手先が器用なんだぜ。天使の店の彫刻を造ったのも彼女だそうだ」
「へぇー、あの店の玄関のかい。ありゃあ何処の匠かと思っていたよ」
通りがかりにヒソヒソと冒険者たちが称賛の言葉を交わす。
口々に褒められているとは当人は知るよしもない。
「オヤジ、いつもの頼むよ」
「おうノイちゃん、いらっしゃい。いつものね、あいよっ」
露店の屋根を突き破りそうな高さからヌゥーっと顔を覗かせ、ノイデスが金を差し出す。さながら小人の家を襲撃する巨人のよう。
相手も慣れているのか、特に驚くことはなく、金を受け取ると束ねてあったそこそこ太めの木材をよいせよいせと重そうに持ち上げ、渡す。
対するノイデスはソレをひょいっと受け取り、担いでいった。
「ノイちゃんの造る杖は上質だって聞くよ。ま、おじちゃんは魔法なんて使えないから分からないけどね。ハッハッハ」
「俺が造れるのはガワだけだって。魔法のナントカの仕上げは師匠なんだよ」
「それでも十分さ。かわいらしい細工が施してあるって評判だ。やっぱりノイちゃんも女の子なんだな」
「バッ! バカ言え! か、か、からかうんじゃねぇよ! じゃあな、オヤジ」
うっかり露店の屋根に肘を引っかけそうになりながらも、顔をほんのり赤らめたノイデスはその場をそそくさと去っていった。露店の主は上機嫌に笑みをこぼす。
「そういうとこが女の子なんだよ、ノイちゃん」
木材を担いでいく黒光りの筋肉ムキムキ女の後ろ姿を見ながら、そう呟いた。
※ ※ ※
人間、エルフ、獣人、ドワーフ、オーガ……と、様々な種族が行き交っていくパエデロスの広場を、大きな木材を抱えて移動するノイデス。
あとはこのまま店に戻って作業に入るだけだったが、ふと見下ろしてみると、噴水の端でぴょんぴょんと動く小さな影がノイデスの視界に入った。
「んん?」
人垣を押しのけて近くまで寄ると、そこには目を赤く腫らした女の子が、一所懸命に飛び跳ねていた。どうやら背丈が足りなくて噴水を足場に辺りを見渡そうとしていたらしい。
「なんだ、迷子か?」
「きゃあっ!」
「あぶねえ!」
突然、ノイデスに声を掛けられてビックリのあまり足を滑らせた女の子は、危うく噴水に落ちかける。すかさず、ノイデスの腕が伸び、抱き寄せた。
「悪ぃ悪ぃ。でもそんなところで跳ねてたらいつか水にドボンしてただろうよ」
「ふぇぇ……、た、食べないでぇ……」
「食わねえよ! お前、迷子か?」
「ぴえええええぇぇぇっっ!!」
小さな女の子は、あまりオーガに馴染みがないらしい。自分よりも何倍か体格の大きいノイデスが接近してきたことがよほど怖かったようだ。
急に泣き出すものだからノイデスの方も竦んでしまう。
「な、な、何もしねえよ。大丈夫、大丈夫だから、な?」
木材を置き、膝をたたんで、身を小さくして、ノイデスは女の子と視線の高さを合わせようと必死になる。身長差がありすぎて、少々無茶のある格好だったが、泣きっ面の女の子はヒックヒックと涙をぬぐう。
「パパもママもどっかいっちゃったの……」
「そっかぁ。そりゃあ大変だ。まだ近くにいるかもしんねえな。ちょっと俺の肩に乗って見な」
そういって、ノイデスは女の子に背中を向ける。
女の子の目の前にムッキムキの筋肉が浮き上がる巨大な背中が出現した。かなり戸惑った様子だったが、おずおず、おっかなびっくり、背中によじ登る。
「よし、上がるぜ」
「ひゃっ! 高ぁい!」
ノイデスが立ち上がると、女の子は広場を一望できるくらいの高さにいた。
思わず足下が竦んで、ノイデスの頭にギュウっとしがみつく形になってしまったが、ノイデスは微塵も怯むことなく直立する。
「どうだ? お前のパパかママは見つかったか?」
「ううん……よく分かんない……変な人たちばっか」
「おいおい、変な人って言ってくれるなよ。お前、この街に来たのは初めてか?」
「うん……昨日、パパが大事なお仕事があるからって連れてきてもらったの」
言葉足らずではあったが、ノイデスは何となく察する。
どうやら女の子は人間以外の種族をあまり見たことがないようだ。
着ている服も上質なものに見えた。おそらくは貴族の娘なのだろう。
「ったく、しゃあねえなぁ。貴族街の方に向かうか」
パエデロスには、冒険者たちが立ち寄る繁華街や行商人たちが訪れる市場の他に、定住した商人たちの商店街や移住してきた貴族たちの居住区にあたる貴族街と呼ばれる区画があった。
さすがにそこまで向かえば誰かしら知っている人に会えるだろう。
そう予想たてて、ノイデスは女の子を肩車したまま、移動を始める。
「きゃあっ! すごい! すごい!」
「おいおい、はしゃいでないでパパママ探せよ。俺は顔が分からねえんだしよ」
ノッシノシ、ズッシズシと黒光りする筋肉を持つ巨体が女の子を担いで突き進む。
人垣をはねのける勢いでズイズイと進行する彼女たちを阻むものはない。
「おい、アレを見てみろよ。アレ、ノイデスじゃないか?」
「本当だ。迷子の女の子を助けてるのか? 優しいとこあんだな」
「バカいえ、ノイデスちゃんは最初から優しいだろ」
ヒソヒソ、ざわざわと、当人の知らぬ間にパエデロスでもやたらと目立つ彼女の評価は着実に伸びていく。
「ただのイカつい女かと思ってたけど、こう見ると可愛いな」
「腕っ節が強いだけじゃないんだな、あの女」
「オレは知ってるぜ。あの子、結構ウブなとこあるんだぜ」
そこかしこからノイデスの噂話が立ち上っていくが、やはり本人の耳には届くことはない。何も知らないノイデスは、ただただパエデロスを闊歩するだけ。
「やれやれ、貴族街に着いちまったよ」
ノイデスが溜め息をつく。結局女の子はパパもママも見つけられないまま、ここまでたどり着いてしまった。
大通りや市場と違い、貴族街周辺となると人間以外の種族はグッと少なくなる。それはつまり余計にノイデスがよく目立ってしまうということだ。
「お嬢様!」
「爺や!」
「お、使用人か? こいつ、広場で迷子になってたぜ」
数歩と歩く前に、遠目から身なりの整った老執事が現われ、ノイデスはスッと姿勢を落とし、女の子を降ろす。
「ありがとうございます! 旦那様も奥様もずっと探しておりました。いやはや、このご恩は忘れません!」
「ありがと! ムキムキお姉ちゃん」
「おう、今度は迷子になるなよ。じゃあな」
それだけ言い残し、ノイデスは貴族街を去っていく。
そして後に、貴族街にて心優しいオーガの噂が広まるのだった。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!