※使用人サイド
何者も拒まない自由の街、パエデロス。その街には酔狂でお屋敷をおっ建てる貴族なんかも決して珍しくはなかった。
なんだったらそういう連中の別荘地と化している区画もあるくらいだ。
そんな中、パエデロスでも一際大きいお屋敷があった。
それが謎のご令嬢フィーのお屋敷だ。何が謎なのかって、爵位は持たないくせに金だけは持っている。街でも有名だというのに家族の話もてんで聞かない。
どれを聞いたってハッキリとしない話ばかりだ。
最近になってこの謎のご令嬢フィーの噂はパエデロスでも、いやむしろ近隣の街や遠方の国々を巻き込んで加速度的に広まりつつあった。
というのも、ついぞ最近、軍事国家として名を馳せているレッドアイズ国の王子よりプロポーズを受けたからだ。
それまではせいぜい街の名物くらいの認識だったご令嬢フィーも、影を潜めていた裏話から、何処ぞの誰かが吹聴しているホラ話まで、一気に沸いて出てきてしまっている有様だ。
噂の渦中にいるご令嬢フィーも、それはそれは気が滅入っている様子ではあったが、彼女に雇われていた使用人たちもまた同様に、困惑するばかりだった。
フィーの屋敷の中庭で、箒を両手に構え、地面を撫でるばかりの新人メイド、チコリーもその一人。上の空といった虚ろな表情で、溜め息をつく。
「チコリーさん? いつまで同じ場所を掃いてらっしゃるの? そこはもうよろしいでしょう?」
見かねた先輩メイドが、ズカズカと歩いてきてチコリーに言い放つ。
「すみません、先輩。つい、ボーッとしてしまって」
ハッとチコリーは慌てて箒を意味もなく持ち直し、その場を離れようとする。
「最近、あなただらしないですわね。一体どうしたのかしら?」
「ええ、まあ……フィーお嬢様のことが気に掛かってしまいまして、その、プロポーズのこと、が」
キツい言葉を投げかけられ、チコリーは足を止め、ぎくしゃくと振り返る。
ぼんやりしていたあまり、要らぬ言葉で返してしまったな、と今さら気付く。
「そういえば、あなた、その場に居合わせたんでしたわよね」
「はい……、たまたまなんですが、ミモザ様のお店の会計を任されておりまして……ソレノス王子ともお会いしてしまいました」
動揺しているのか妙に語調の崩れた言い回しでチコリーが答える。
それに対し先輩メイドは、ふぅん、とあからさまに不機嫌そうな態度を見せる。
自分もその場にいたかった、という強い嫉妬が感じられる。
このお屋敷に勤めている使用人は、時折、ご令嬢フィーの親友であり、優秀な魔具の技術者でもあるミモザの店の手伝いに回されることもあった。
特に当番制というわけでもないので、人数あわせで誰が行くのかといった担当は決まっていない。チコリーがその場にいたのは本当にたまたまだった。
決して先輩メイドがハブられたとか、そういうことではない。
「素敵な殿方でした。まさか、あの場でフィーお嬢様に、プロポーズを……ああ、思い出しただけでも顔が熱くなってしまいますね」
その言葉通りに、頭から湯気でも噴き出しそうなくらいポッと頬を赤らめる。
あまり、そういう人の色恋沙汰には耐性がないのが傍から見て丸わかりだ。
「それで、フィーお嬢様はなんて?」
「政略的結婚であることにご不満な様子でした。返事は保留となってしまったのですが、乗り気ではないようなことも口にしていました」
政略的結婚という不可解なワードが飛び出してくる。
どうしてレッドアイズ国の王子が、謎多き令嬢フィーにプロポーズなんてしてしまったのか。根も葉もない噂も沢山あるが、その理由として有力とされているのが、彼女が人間ではないからとされている。
令嬢フィーが人間ならざるものなのかどうかなど、真偽は確かではない。
ただ、屋敷の使用人たちからも、またパエデロスの住民たちからも、まことしやかに囁かれている噂の一つだ。
そして、レッドアイズ国では、逆に種族差別の根強い国として有名だ。
このことから、王族が異種族と婚姻することによって種族差別をなくす政治的アピールを企てているのではないか、と言われている。
以前より、ご令嬢フィーが人間ではないことは噂されていたが、今回のプロポーズの一件によってそれはより濃厚な話として広まっていた。
やはり、そうだったのか。やはり、噂は本当だったのか、と。
「ですが、身分を偽るご令嬢……そして、平和という名目で政略的結婚を迫られる王子……なんだか御伽噺のようで、素敵だな、って」
チコリーの瞳が何処か遠くの空を見ている。おそらく、それは現実ではない。
「フィーお嬢様は、乗り気ではないのでしょう? それだったらもう破談となる可能性も高いのではなくて?」
妙に苛ついた様相で、先輩メイドが切る。
よっぽどその現場にいられなかったことに憤りを感じているのだろう。
「乗り気ではない……そういう態度ではいましたが、どうもフィーお嬢様もあれから王子のことを意識しているようでして、溜め息が多くなったように思います」
先輩メイドもそれには心当たりがあったのか、合点のいった顔をする。
そして思い返してしまう。
日頃、色恋沙汰のなかったあのツンとしたクールなご令嬢が、憂鬱な表情を浮かべて、何をしていたわけでもないのに頬を赤く染めたり、突然妙に不自然なくらいに不機嫌な態度を露わにしたりと、情緒不安定っぷりが炸裂していた、あの様を。
「やはりフィーお嬢様も、うら若き純情な乙女ですのね」
ちょっとだらしない笑みをこぼしながらも先輩メイドが言う。
そしてチコリーと先輩メイド、揃って、はぁー、と色のついた吐息をもらした。
「しかし、私たちはこれでいいのか、不安になることもあります」
「それはどういうことかしら?」
「だって、レッドアイズ国は差別大国なのですよね? お嬢様が結婚することになれば波乱が巻き起こると思うんです。王子も国では人気のあるお方と伺っていますし、他国からこのお屋敷に押し寄せる方々も増えるのではないかと」
思わぬチコリーの返しに、先輩メイドもおののく。
そこまではあまり視野には入れてなかったようだ。
王子との結婚を夢見ていた貴族や王族が攻め込んでくる様を想像してしまう。
このパエデロスも今より治安が悪い時期はこの屋敷にいわれなき誹謗中傷を投げかける輩も後を絶たなかった。
それでもフィーお嬢様を守るために尽くしてきた。
今でこそ、そういう輩もグンといなくなってきたものの、件の噂は今まさに広まっている最中だ。結婚に至らなかったとしても、またそういった良からぬ輩がこの屋敷に押し寄せてきてもおかしくはない。
「わ、私たちは全力でフィーお嬢様をお守りするだけですわ」
ほほほ、と乾いた笑いで答える。
「それができればいいのですが……街だけの話に留まらず他国からも恨みを買ってしまったりすれば、フィーお嬢様もこの地を捨てざるをえない決断をされてしまう……そういう可能性もあるのではないかと」
「お嬢様が私たちを捨てるなんて、あ、あ、あるわけないでしょう?」
「でも、お相手は軍事国家ですし、フィーお嬢様を匿うとなったらそちらに移住された方が安全かと。このお屋敷は要塞でもありませんし……」
「お、お嬢様に、捨てられる? いえ、いいえ! 例えお嬢様がこのパエデロスを離れることをご決断なさったとしても、私は、断固として、お嬢様のお傍についてまいります!」
「……私も、同意見です」
その鼻息の荒い先輩メイドを見て、チコリーは優しく、笑った。
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