行き交う人々に大した差別もない、何者も受け入れる平和な街パエデロス。そこには人間だけでなく、亜人と呼ばれる者たちも影を潜めることなく過ごしていた。
かつては、掃き溜めとまで言われるほどに治安の悪い辺境の街ではあったが、今に至ってはその住民すら絵空事のように感じているくらい。
そんな、パエデロスの清々しく白い空を見上げて、我は彼方まで飛んでいきたい気持ちでいっぱいだった。
「フィー、機嫌なおしてよー、誤解、誤解なんだってば」
「ふは、ふはは……、我は、居場所を、失って、しまったのかもしれぬ」
「ああ、ダメだ。完全に目がイッてる。ホントごめんってばぁ」
パエデロスでも随一を誇る屋敷のバルコニーの上から見下ろす街の雄大さよ。
ああ、大きいな~、広いなぁ~、飛んでいきたいなぁ~。
「フィーしゃん、長旅で疲れちゃったんれふか?」
「み……、ミモザぁぁ……」
「うわぁ、また泣き出した。まだ涸れないのかアンタの涙は」
あろうことかダリアなんぞに傷物にされてしまうとは……ああ、ミモザぁ……。
「だから傷物にしてないっての! いい加減目を覚ましなさいよ!」
「あげっ!? ――キサマ、我を殴ったな? こともあろうにグーで我の頭を殴りおったな!? 我の崇高なる頭脳がおかしくなったらどうするつもりだっ!」
「いや、アンタ既に頭おかしいから。帰ってきてから数分だけで十分壊れ果ててたから。どんだけミモザちゃん欠乏症だったのよ、アンタ」
ぐぬぅ、ダリアめ、よく分からんことをごちゃごちゃと。
くぁー……目の前を星が散っておるようだぁ……。
「ぁぁー、フィーさん痛い痛いれすぅ」
そういってミモザが我の頭をさすってくれる。治癒魔法にでも掛けられたかのように一気に痛みが引っ込んでいくかのようだ。
「そういえばレッドアイズ国はどうれしたか? お土産話聞きたいですっ!」
「んん? ああ、そうだな。色々とあるぞ。まずは何から話したものか――」
軍事国家レッドアイズ。その国の王族は代々軍人で、その力によって築き上げたといってもいいくらい巨大な国だった。
しかしながらあいにくと、我とは相容れない事情がある。なんといってもかつて我が魔王を名乗っていた頃、この国とは長らく戦争をしていたからだ。
そして、その戦争の終結は和解ではなく、我の死、即ち魔王軍の敗北だった。
それ以降も魔王軍の残党狩りと称して、レッドアイズ国や、その近辺の冒険者たちが兵力を持ってしてボッコボコのギッタンギッタンにしてくれちゃったわけだ。
んでもって、魔王軍の残党は捕虜としてレッドアイズ国に連れていかれ、あろうことか生命の秘術にして禁忌の秘術、ゴーレムの材料として加工されることになる。
一躍して、さらなる力を得たレッドアイズは発展、発展、また発展とズンズンと大きくなっていき、この街、パエデロスの令嬢――つまり、我と王子との結婚によって財力までも得ようとした。
ああ、何故か我に求婚してきたのだ。王子が。
……まあ、レッドアイズも知らんかったからな。
まさかかつての宿敵である魔王が、人間社会に紛れ込んでいた。果てや、何だかよく分からない金持ちのご令嬢になっていただなんて。
そんな目立つことをしでかした我も我なのだが、ともあれ婚約を破棄するべく、わざわざ行きたくもないレッドアイズ国に出向いて――――中略――――国王の不祥事を暴いて、今に至る。
無論こんな話、一割だってミモザに説明するわけにもいかない。
我が世界を恐怖に陥れた魔王フィテウマ・サタナムーンだったのもかつての話。
今ではそう、パエデロスに住む謎のご令嬢フィーでしかない。
魔王だったことを知っているのは、我と直接的に対峙した勇者の一行だけだ。
それ以外に明かす気もない。もう余計な騒ぎはごめんだしな。
話せるのはせいぜい、レッドアイズ国王がなんやかんややらかして、我の婚約が破棄されたということくらいまでだろう。
「そんな……、フィーさん、婚約破棄されてしまったのでふか?」
と、掻い摘まんだ話をしたら途轍もなく哀れむ目で見られてしまった。
ミモザの胸中からすれば、王子に結婚を迫られて、揺れる乙女心がどうたらというドラマティックな展開にときめいていたところなのかもしれない。
とはいえ、そもそものそもそも、我は結婚なんぞせん、ということを突きつけに言ったのだからどういう展開に転んだって婚約破棄は当然の帰結だろう。
「ふぅーん……?」
ダリアはダリアで、噛みきれない肉を咀嚼するような目でこちらを見ている。
さすがに途中を端折りすぎたせいもあるのだろう。
なんだったら、国王がなんやらかんやらの箇所に一枚噛んでいることすら察しているんじゃなかろうか。あの目は「後でもう少し詳しく聞かせて」と言っている。
「ま、我の話せるところはこれくらいだ。あとはそうだな、手土産をいくらか用意しておいたぞ」
レッドアイズ国では魔王討伐感謝祭だかなんだかお祭りをやっていて、売っているものの大体はロータスごっこみたいなグッズか、我を小馬鹿にしたようなグッズばかりだったが、なんとかミモザへ渡せそうなものは見繕えた。
肩から提げたポシェットの中身をごそごそと漁り、それを取り出す。
結構押し詰めてあったが、大丈夫そうだな。長旅ご苦労であった。
「ほぇー……、これは魔具れすか?」
「ああ、正確にはこれは玩具だがな」
我が取り出したソレは、あのレッドアイズ国を脅威のスピードで行き交っていた魔導列車の模型だった。
先頭車両一つ分だが、造詣も凝っているし出来はいい。大きさ以外はあの時見たものと相違ない。なんだったら魔力を与えれば走らせることもできる。
「レッドアイズ国はなかなかに文明の進んだところだった。こんな形の乗り物が馬車の代わりにビュンと走っておったのだ」
「これ、乗り物なんれすか?」
興味津々にミモザが前のめりになってくる。我の手から列車の模型を受け取り、まじまじと眺める。上から見たり、下から見たり、手の中でくるくると回しながら。
どうやらミモザには喜んでもらえたようだ。良かった良かった。
「実物は馬車よりも大きかった。これに似たような車両が後ろにいくつか繋がっておってな。引き連れるように走るのだ。芋虫のようにな」
そういってポシェットから別の車両も取り出す。本当はもっと沢山買ってきてもよかったが、ポシェットの容量的にいっても三両編成くらいで精一杯だった。
「ふひゃぁ……、しゅごいれしゅねぇ……」
心なしか、いつもより言葉が崩れているように思えた。
ミモザが魔導列車の模型を眺めたり、連結させたり、はたまた床に置いて自分の手でグイグイと動かしながら走らせてみたり、夢中になっていた。
こういうところを見ると、ミモザも子供にしか見えないな。
「……」
で、なんでダリアはさっきから硬直しておるのだ?
お前にはお土産なんぞないぞ。というか、元々お前はレッドアイズ国に所属していた身なんだから物珍しいお土産も何もないだろうしな。
魔導列車の模型にご執心のミモザを眺めて、何を思っているのやら。
「こういうの、作ってみたいでふね」
「ははは、さすがに規模が大きすぎると思うがな。だが、ミモザなら作れてしまうかもしれんな」
何故か今のやり取りで一瞬ざわめいたような気もするが、気にすることもないか。
どうせ大したこともない話だ。
一先ずは、我はパエデロスに帰ってきた。
今はただそれをこうやってミモザと戯れることで噛みしめようと思う。
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