遺跡の最深部、石造りの広い部屋の中、我と夢魔は対峙していた。
我自身の実力を見誤っているつもりはなかったが、勝ち目があるように思えない。
「さあさあさあ、魔王様。ワタシを倒さないと腕輪は手に入らないよ~?」
相手は弱体化すらしていない純粋な夢魔。対して我は、魔力の大半を失い、魔石の力を借りないとまともに魔法も繰り出せない状態。それに加えて、既に結構な手傷を負っていて、心身共にヤバい。
おまけにこの夢魔、認識をねじ曲げる力まで持っているときた。
また今度、ミモザの幻を見せられたらどうなるか分かったものではない。
ミモザに見えている、のではない。ミモザだと認識してしまう。
相手がどんな行動を取ろうと、我にはミモザとしか思えないのだ。
明らかにおかしいと分かっていても、そこで判断が鈍ってしまう。
さっき、あの夢魔に触れたときに強烈な認識の歪みを感じた。
おそらくそれが発動条件か。
下手に喰らっていると何もできないまま終わってしまう。
「何もしてこないんだったらさ~、大人しくワタシのご飯になってもらうよ? きゃははっ、ずぅ~っと楽しい夢を見ながら死ねるの。あー、でも魔王様って一応不死ぃ? なんだっけ? ひょっとしたら死んでも夢見られるかもよ」
どうしよう。今からでも土下座して逃がしてもらおうか。
いや、多分それでも許してくれるような相手ではないだろうな。
うぅ……頭がフラフラする。さっき自分から石柱に突っ込んでいったからな。
普通に血もドクドク出て……。……ん? なんだ、この違和感は。
――どうして痛いのは、頭なんだ?
「魔王様の欲望、いただきまぁ~すっ!」
まずい、また来る。
空中を走るように、夢魔がビュンと飛ぶ。
考え事をする隙もありゃしない。
避けて、避けて、避けて。
壁際に寄らないよう、石柱を障害物にして。
攻撃を一撃でも食らったらダメなんだ。
飛んで、跳ねて、伏せて。
完全に向こうに遊ばれてしまっているが、仕方ない。
夢魔の縦横無尽な攻撃を回避しなければならないのだから。
「避けてばっかりじゃん、魔王様。萎えちゃう~」
と、ふわふわ浮かんで、逆立ちし、ブラブラする。
なんのジェスチャーなんだそれは。
さっきから、何か引っかかるんだ。何かを見落としているような……。
……なんで、我、アイツの攻撃を避けられているんだ?
「魔王様、作戦タイムっすかぁ? きゃはぁ、考え事してる暇があったら反撃の一つくらいしたらどうなのかねぇ~」
もう手段を選んでる場合じゃない。一か八か、試してみるか。
我はまだ残っていた服のポケットからそのメガネを取り出し、掛ける。
「あらぁ~、かわいいメガネ美人~。それって幻覚避けのつもり? メガネ掛けちゃったら幻覚もシャットアウトとか思っちゃった感じぃ?」
何も見えない。なるほどな。
「メガネをかけたくらいでどうにかなるわけないでしょ~がっ!」
集中だ、集中しよう。フラつく頭を、今だけはどうにかさせろ。
我の考えていることが間違いじゃなければ、これに賭けるしかない。
夢魔が目の前まで、迫ってきている。焦るな、焦るな。
もう何回もできることじゃないんだ。
そう自分に言い聞かせ、我は詠唱する。
「星々の挿入歌っ!」
我の手の先から拳大程度の魔法の弾が放たれる。
これはさっき夢魔にあっさりと弾かれたはずの魔法だ。
本当に意味がないのなら、またペシッとやられて終わりだ。
数個ほどの魔石のストックを消費し、我が放つ魔法弾は、目の前の夢魔に向けてではない、我の認識がそのままであるならば何もない空間に向けて拡散される。
「ぐぎゃっ!?」
いくつかに拡散された魔法弾のどれかが何かに当たったらしい。
聞き逃すな。集中しろ。今の位置を、方角を、狙え。
「鋼鉄巨神の黒弾丸!!!!」
今度は、拳大なんてちゃちなサイズじゃない。我の身長を悠に超える特大サイズの魔法弾が、そこに向けて放たれる。
途中、石柱を何本がバコバコとなぎ倒しながらも、とっておきの魔法弾は壁に向かって猛進するだけだ。
「あばばばぁっ!!!?」
手応え有り。何かが壁に激突したようだ。
目をこらして、よく確認してみる。するとそこには確かに何かがいた。ただし、我が思っていたようなものではなく、多分は夢魔らしき何かというくらい。
「な、なんでぇ……? どうやってぇ……?」
ソイツがありったけの疑問を吐く。
自分の居場所はバレないとでも思っていたのだろう。
「お前が自分で言ったのだろう? 認識させないんじゃない、誤魔化すだけとな」
いくつかの違和感があった。
確か我は最初の攻撃で、横っ腹を殴られたはずだった。だが、いつの間にか頭の痛みの方が強烈に響いていて、そっちの痛みが分からなくなっていた。
つまり、認識が誤魔化されていたわけだ。
さらにいえば、この部屋に入ってから奇妙な気分だった。まるで誰かに捕捉されるかのような魔力の流れを感じていた。
単純にソレは夢魔を呼び出す召喚魔法か何かの仕掛けだと思ったが、違う。
最初から、我は幻覚にハマっていた。少しずつ認識が歪められていたのだ。
ここにくるまでのトラップは、ただの嫌がらせだったわけじゃない。あれは精神ダメージを負わせることに意味があったんだ。
考えてみればそう。嫌がらせだけのトラップで侵入者を撃退できるはずがない。強力な夢魔一体だけでどうにかさせようというのも妙な話だ。
「認識を歪ませるのにも条件があった、ということだな」
精神的に弱っている相手、直接触れた相手などが条件だったのだろう。
最初からいきなり完全に認識を狂わせる魔力だったら、我も為す術なく負けていたに違いない。
「へぇ~……やるじゃん」
目の前で倒れてる男を見下ろして、我は認識を改める。
コレもおかしいと思った。なんであんな露出度の高い痴女みたいな奴が、我のことをマヌケな恰好などと言えたのか。
正解は、この夢魔はそんな恰好をしていない男だったからだ。
「俺の負けさぁ……。まさかあそこから逆転されるなんてよ。マ~ジびびっちまったわ。一体どうやって誤認識を解いたんだ?」
ヘラヘラと笑っていやがる。
「このメガネはな、我の親友が作ったお手製のもの。これで見た相手の能力を測る術式が込められている。このメガネを通して、何も見えなかったから確信できたのだ。我が認識している相手は目の前にはいない、とな」
我がずっと夢魔だと誤認識していたのは、石柱だった。
突然高速で右に移動したり、左に移動したり、ずいぶんと攪乱させられたが、本当は動いてもいなかったのだ。
あちこちに立っていた石柱をただそう認識させられていただけ。
心身共に弱っていた我が、何故か連続で攻撃を避けられたのも、そもそも攻撃なんてされていなかったから。だからバカみたいに動き回る我の消耗を待って、石柱の影からでも隙を突いて触れるだけでよかった。
「ちぇ~。さあ、腕輪を持っていきな」
「ああ、いただこうか」
そういって、我はソイツの腕を引っ張る。すると、夢魔は心底残念そうな顔をして、口をとんがらせる。
「くそ、完敗だ。じゃあな――」
それだけ言い残すと、夢魔の全身はブワアァーっと光の粒となり、ちりぢりに掻き消えて、我の手元には腕輪だけが残った。
誰も幻惑の腕輪が部屋の中央の祭壇にあるなんて言っていない。
夢魔自身が腕輪だったのだ。
うっかり祭壇に取りに行こうものなら偽物の腕輪を掴まされてたことだろう。
幻惑の腕輪を手に入れたと誤認識してな。
「まったく……散々引っかき回しおって……」
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