その店内はほどほどに客足も途絶えることなく、当たり前のように冒険者やら貴族やらが買い物していた。
天使の店などとうたわれているが、肝心の天使と呼ばれている店員が不在の今、このくらいの忙しさが並み程度だった。
「毎度ありがとうございます。またのお越しをお待ちしております!」
元気いっぱいの笑顔と持ち前の明るさを振り撒く、変な髪型の少女、ヤスミがまた一人、丁寧な接客をこなす。
最近では、密かに彼女を目当てにした客もいるくらいには評判も良い。なんといっても、この店には派閥争いが起こるくらいには美女、美少女が揃っている。
一部の酒場では争いを避けるために天使の店の話題禁止令がしかれるほどだ。
そんな噂の種にされていることも実はひっそりと調べてあるヤスミは、これといって表情を変える素振りも見せず、店員としての仕事を全うする。
「ごめんください」
そんな店内に素朴なメイド少女が現われる。
「いらっしゃいませ~! あ、貴女は確かフィー嬢のところの召使いさん」
「はい、いつもお世話になっております」
「今日はいかがなされましたか?」
「実はちょっと修理をお願いしたくて」
そういうと、メイドは手荷物の中からちょっとしたポットを取り出す。見たところ、何処かが欠けていたり、ヒビが入っている様子は見られない、ごく普通のティーポットのように見えた。
「分かりました。修理ですね! サンシさ~ん、今、お仕事大丈夫ですか~!」
ヤスミがそう声を掛けると、店の一角に構えていた工房からこれまた一段と小さなドワーフ少女、サンシがひょっこりと出てくる。
「どうしましたかな、ヤスミさん」
紳士のように礼儀正しく振る舞うサンシは優しい顔をしながら、貴族の娘ならとてもじゃないが持つこともできそうにない金属製のハンマーを携え、訊ねる。
「こちらの、フィー嬢の召使いさんから修理の依頼ですよ」
「あの、いつもすみません」
「ほっほっほ。別にそんな改まる必要はないのですよ。どちらを直すのですか?」
おずおずとメイドがポットを差し出し、サンシはそれを受け取る。
鑑定するかのように両手でしっかり抱えて持ち、上下左右に回しながら見る。
「ふむ、こちらはお嬢手製の魔具ポットですな」
「ええ、そうなんです。中のお茶を温めたり冷やしたりできるものなんですが、どうも調子が良くなくって……直りますか?」
「大丈夫ですよ。中に仕込んである魔力の蓄積石が空になってるだけのようです」
と、言うやいなや、サンシは工房に置いてあったいくつかの石を掴みあげ、作業台の上にポットを置いたかと思えば、ちゃっちゃと手早い動きで、何かをした。
それは傍から見ても、何かをした、としか言いようのない作業だ。
「新しい魔石を入れておきました。これでまたしばらくは使えるでしょう」
「あ、ありがとうございます! これでまた美味しいお茶が出せます!」
「いえいえ、どう致しまして。ほっほっほ。お仕事頑張ってください」
サンシはポットを渡し、メイドから何度も会釈とお礼の言葉を受け取りつつも、お代は要りませんと一言を返し、戸惑うメイドを何とか説得させるに至る。
そうして、出口を潜るまで何度もまたお礼を繰り返しながらも去っていった。
「さすがはサンシ殿。拙者、感服しました。いやはや見事な腕前で」
「ただ魔石を入れ直しただけですよ。ほっほっほ」
「それでも素晴らしいと思います。何分、拙者には先程のポットの何がどう調子悪いのかも分かりませんでしたし。魔力が見えるなんて羨ましい限りです」
「確かに、魔具を扱う上では魔力が見えないと難儀する場面も多いですな。私の場合は経験の中で会得しましたが……」
ふむふむとヤスミが頷き、サンシが何処となく照れ臭そうに視線を明後日の芳香に滑らせていく。
「しかし、私としてはヤスミさんも十分に素晴らしい方だと思うのですよ。遠くの異国の方とは聞いておりましたが、ただの小娘ではないですよね」
小さな小さなドワーフ小娘は冗談っぽく笑ってみせる。それは自虐のジョークのつもりなのか、ただおどけているだけなのか判断しづらいところだったが、とりあえずヤスミは調子を合わせてぎこちなく笑う。
「昔は故郷でそういった稼業だったのですか?」
「ええと、まあ、そんなところですね。拙者も足を洗った身。もう隠すことはないと思いますが……」
ポリポリとヤスミは頬を掻く。
「何分、狭苦しい世界で生きてきましたから、ある意味では故郷から出てこれて清々しているのでござる」
「ゴザル?」
「あ、いえ、清々してるんですよ、あはは」
何かを取り繕うようにヤスミがハッとする。
「こちらの大陸の言葉はまだまだ勉強中の身なもので、ついつい変な口調に……」
「いえいえ、確かに癖のあるイントネーションですが、なかなかお上手ですよ。大変ご勉強なさったのですね」
「えへへ……ありがとうございます、サンシ殿」
元々ヤスミはこの街、パエデロスよりも遙か遠くに位置する島国の出身。言語は疎か、文化も風習も何もかもが知らないものだらけだった。
今でも様々な戸惑いがある中、この店では何一つ辛い顔を見せることなく、いつも明るく振る舞っている。
日頃からそんな調子だからこそ、同じ店で働く従業員仲間のサンシとしては、ヤスミの本心を何処か測りかねていた。あるいは、得体の知れない裏稼業に携わり、殺意を押し殺しながら身近な誰かの命を狙っている可能性すらあるのだから。
「あまり触れてはいけない話題でしたら申し訳ありません。ひょっとするとヤスミさんは極東の島国にて活動しているというシノビという暗殺稼業だったのですか?」
「うぅぅぅん……ご存じなんですね」
「いえ、詳しいことは知らないですよ。ただ、そういった隠密に特化した組織的なものがあるというだけで」
ヤスミは、ちょっぴり、困ったな、といった表情を浮かべる。
それでもあまり笑顔は崩すことなく、まるで赤裸々の青春の思い出を語るような、そんな口調で言葉を続ける。
「忍と呼ばれていたのももう結構前のことです。偉い人の下について、色々とやらせていただいてました。ちょっと……、ドジ踏んじゃって、本当は処刑されるところだったんですけど……師匠に、助けてもらって」
そのヤスミの顔に張り付いた笑顔は仮面か何かだったのだろうか。
あまりにも真意が窺い知れない、そんな表情に見えた。
「師匠は、拙者に全てを教えてくれた人。ちゃらんぽらんなところもあったけど、今も尊敬してるんです。それでその師匠が拙者をあの島国の外まで連れ出して、言ったんですよ。『あんな仕事やってらんね』と。その瞬間、拙者の中で何かが弾けた気がしまして」
「ほほう。それでヤスミさんはシノビの仕事を辞めてしまったと」
「まあ、辞めてしまったというか、続けることができなくなった、というのが正解なんですけどね。えへへ、そんなこんなで世界を旅するようになって、気付いたらこの街に流れ着いちゃった、という感じです」
「それで、そのお師匠さんは?」
「何と言いますか、それっきり……です。『俺はもう自由に生きる。お前も好きにしろ』とだけ言い残して、何処かに行ってしまったんですよね」
そこでふとサンシは何処か腑に落ちなかった違和感のあるピースを拾い上げたかのような、そんな気がしていた。
ただ、憶測に過ぎない言葉を口にするのも憚られたからか、次にサンシからヤスミに向けての言葉は簡単な一言だ。
「良いお師匠さんなんですね」
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