葉宮織羽……29才のOL。目が覚めたら源氏物語の登場人物・女二の宮になっていた。
女二の宮・蓮花……今上帝の二人目の姫。母を若くして亡くなったことから光源氏の息子・薫に降嫁している。
現代日本みたいに“とにかく早く・5Gに生きよう”とはいかないがこの世界にしては早いほうなのだろう、翌月には浮舟ちゃんが邸にやってきた。
邸に入る前しゃっちょこばった使者を寄越し、ひっそりと離れの一隅に居を構え、「落ち着いたら挨拶に伺う」との丁寧な文も貰っている。
だが私はそんなタイミングをうだうだと待つ気はない。この世界の物忌みだの吉日だのに付き合ってたら事が進みやしないのだ。
なので私は浮舟ちゃんが邸に着いて人心地ついた頃を見計らって彼女の部屋を訪れた。
先導の女房が私の訪れを告げると室内から小さく悲鳴が聞こえた気がしたが気にしない。
すっと中に入り、
「どうぞ皆さまそのまま休んでいらして。急な引っ越しでお疲れの所ごめんなさいね?」
出来るだけ威圧しないように言ったつもりだったが室内にいた女性たちは皆固まっている。
うーん、重すぎる身分って色々やりにくいわねー。
「貴女が浮舟さまかしら?」
この日の為に揃えられた女房たちに囲まれるようにして奥に座している少女にアタリをつけて声をかける。
少女は弾かれたように、
「は、はい!お初に御目文字いたしますのにこのような見苦しい有様で申し訳ございません!」
とひれ伏した。
「まあ、見苦しくなんてなくてよ?今日の為に大将殿が誂えさせた装束、良く似合っていてよ。水面に浮かぶ花を描かせるとはなかなか風流ですこと__貴女の名前に擬えたのなら差し詰め川は宇治川かしら?」
「勿体ないお言葉ありがとうございます、薫大将の君にもこのような格別な待遇を賜り__…」
尚もひれ伏す浮舟に、
「格別なんてことはなくてよ。貴女は先々代の八の宮様の姫君でしょう、私とも血縁だわ」
「そ、そのような……!」
という言葉は几帳の向こうからあがった。
嗚呼、やはりいらしたのね。
「この娘は当時の八の宮様から認知されなかった身、そのように名乗ることは許されますまい」
この方は浮舟の母君だ。八の宮に手を付けられて浮舟を身篭ったものの当時の八の宮に「知らぬ存ぜぬ」を通されて捨てられ、常陸の介(いわゆる受領身分、地方領主みたいなもん?)の後添いとなった方だ。身重の女性をそんな風に放り出すとかあり得ない、現代ならギルティ即社会的抹殺物件だわそんな男。
『常陸の介は成金で粗野な男だけれど「一時の過ち」と蔑むだけだった八の宮と違い私一人だけを妻と扱ってくれた』の辺り泣ける。苦労が偲ばれるわ。
そんな鬼畜な真似仕出かしておいて「心は聖」とか良く言えたな!それを理想の師と仰ぐ薫も大概だけど!
どちらにしろ___この親子に罪はない!
「ええ。本当に酷いこと」
「え……」
「お、お方様……?!」
付いてきた女房達も皆驚いて窘めようとする__ここ数日ですっかり慣れた晶を除いて。彼女は蓮花が晴れやかな顔で居られれば他はどうでも良いようなので、織羽からしても気がラクである。
「当時の八の宮様がお認めにならなかったとしても兵部卿の宮(匂宮)に添われた中君様と亡くなられた大君様にこの浮舟様が同じお血筋なのは誰が見ても明らかなこと__当の八の宮様がお隠れになられてもう幾とせ……今となっては御仏も咎めだてなどなさいますまい。それに今宵貴女様は薫大将の君の奥方となられたのです、堂々としておられませ」
この言葉に誰よりも感動し泣き伏したのは浮舟の母君で、次いで浮舟の乳母、続いて浮舟本人も泣き伏してしまい大変居心地が悪かったが、向けられる眼差しは特段非難めいたものじゃなかった。
そりゃ、口にこそ出さないもののそう思ってる人はいておかしくないよね?
大体男にばかり都合良すぎなのよこの世界設定。
「私、片親のいない娘として生涯侮られて生きていくものだと、それが宿命なのだとばかり…。」
涙ながらに語る浮舟ちゃんは可愛い。うん、蓮花の方がパーツの整い具合からいくと美人だけど可愛さや可憐さを求めるなら浮舟ちゃんだよね。
薫はアテにならないけど、うん、私が守る!
そう決心して、
「今後母君も是非こちらには気軽に会いにいらしてあげてくださいませ、慣れない邸に来られたばかりで浮舟様も不安でしょうから」
「い、いえ、そのようなわけにはっ……!本日の付き添いとて本来なら受領の妻の身であれば辞退すべきところ__」
「母が子に会いに来て何が悪いのです、良いから気兼ねなくおいでなさい__皆もそのつもりでね」
「勿体ないおおせ、痛み入ります。ですが私のように軽い身分の者がこの邸に出入りしては大将の君が__」
「この邸の女主人は私です。その私が良いと言っているのです。誰にも口出しはさせません、たとえ旦那さまであっても」
「……!……」
「女二の宮様……!」
先程から何とか受け答えしていた母君は絶句し、浮舟はまるで眩しいものでもみるように瞳を潤ませた。
「まあそんなに泣かれては、私が苛めてしまったと思われるわ、せっかく可愛いらしい顔立ちをなさっておられるのだから貴女はどうぞ笑っていらして。私、それを言いにここへ来たのよ」
手を取って言うと涙目ながら僅かに微笑んで頷いてくれた。
そうそう、そうやって笑ってあの薫を虜にしてせいぜい振り回してやってくれ、期待しているよ?浮舟ちゃん。
私が退出してから、室内ではその女二の宮の話題で持ちきりだった件を私は知らない。
「なんとまあ、女二の宮さまは心映え優れた方なのでしょうか」
「ええ。それにあの砕けたご口調、さりげなくこちらが緊張しないようにと気を配ってあえて慣れないお話かたでこちらを気遣ってくださって……」
実際は中身が現代人というだけなのだが。
「気高いばかりの方だとばかり思ってたのに……」
「ええ。降嫁されたとはいえ今上帝の姫宮様、こちらはきつく当たられても仕方ないと思っていたのに」
「お優しそうな方で良かったですわね」
女房たちが次々に口にする賞賛に、
「本当に。浮舟の身ばかりか私のような者のことまでお気遣いくださるとは」
母が心底畏れ多い調子で言うと、
「……私、頑張りますわ」
浮舟も答えるように強く呟いた。
__あの方は取るに足りない私のことを「大将殿の奥方」と言って下さった。「堂々としていなさい」とも。
あの方の御心に、答えられる自分でありたい。
織羽からすれば、
「とりあえず匂宮に寝取られエンドは回避したから、後は思う存分幸せになって!ついでに薫を虜にしてあの取り澄ました顔を精々取り乱させてやってくれ」という意味でしかなかったのだが、
「あの気高い奥様が治める邸に不似合いな田舎者がいる などと誰の口の端にも誹られることのないように、立派な女人になって女二の宮様のお役に立ってみせますわ……!」
__何故か、当の浮舟には明後日の方向に解釈され無駄に自分の株が爆上がりしていることに織羽は気が付いていなかった。
知らず人を緊張させてしまうということは、言い換えれば一時たりとも気が休まらないということ__要するに、常に緊張を強いられていた浮舟及び側仕えの者たちは疲れきっていたのだ。
そこへ、当の薫大将の君が頭の上がらない奥方から「寛いで、しっかり休みなさい」「泣かずに笑っていらっしゃい」と言われたのだ。
そりゃあ、心象爆上がりして当然である。
ついでにただおっとりしていると思われている浮舟だが薫が何かにつけ亡き人(大君)と比べては失望めいた溜め息を漏らしているのに気が付いていたので、薫の心象などはこの時どうでも良くなっていた。
浮舟の母は嬉しさと興奮を隠しきれず帰路につき、行き先も告げずにどこへ行っていたと喚く常陸の介に事の次第を報告し黙らせた。
以前から継子である浮舟に興味のない常陸の介には邪魔をされると面倒なので事が全部成ってから話そうと黙っていたので、
「そ、そんな雲の上のお方と……?!」
と仰天して腰を抜かすさまがたまらなく愉快で、これも気高い女二の宮様のお陰、と深く感謝されたことなど織羽は知りようがなかった。
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