葉宮織羽……29才のOL。目が覚めたら源氏物語の登場人物・女二の宮になっていた。
女二の宮・蓮花……今上帝の二人目の姫。母を若くして亡くなったことから光源氏の息子・薫に降嫁している。
この世界が私をどうしたいのか知らないが、帰り方がわからない以上どうしようもない__、ふむ。
名にしおう薫大将の君とやら、ひとつ顔を拝んでやろうじゃないの。
「晶、大将の君のところにいくわ、仕度を」
「えっ……」
晶が絶句した。
「大将の君って、旦那様のことですよね?姫様御自ら行かれるのでっ……?」
「ええそうよ。一応夫婦なのですものおかしくないでしょう?ああ先触れが必要かしら?」
「そ、それはそうですが何故わざわざ姫様がお出ましにっ?呼びつければ良いではないですか、そうでもしないと来ないのだから!あ いえ__」
蓮花と乳姉妹だという女房はこの世界の人にしては はっきりものを言う。今だって殆ど全部言ってから口籠ったし。__気が合いそうだけれど事情を話して物の怪付き認定されても困る。
私は悪霊じゃない、ただの迷子だ(たぶん)。
「いつも呼びつけているようなものですもの、たまにはこちらから伺うのも一興でしょう」
実際には、“なにごとにも動じず、年に似合わず常に泰然としている”と評判の貴公子がどんな反応をするのか見てみたい。
薫は都にかまえる邸の指図をしていた。
そこへ先触れこそあったものの大して時間差なく蓮花が現れたので、側近はじめ家来たちは右往左往していた。
無理もない、降嫁してからというもの一切邸から出ることのなかった姫宮の急なお出まし しかも表向き念仏を唱えるため、その実 都に愛人を迎え入れるための家__を建設中に正妻が突撃の図だもんね?
既に出来上がっている一部を休み処としているらしい一室へ通されて間も無く、芳しい香りが漂ってくる。続いて僅かな衣擦れの音と共に一人の青年が几帳の向こうに座した。
(来たな、女の敵)
織羽は扇越しに目の前の男を睨み据えた。
「女二の宮様、本日はまたこのような何も整っていない場にお出ましに__、何か邸に不都合でもございましたでしょうか?」
いかにも誠実かつ心配を滲ませたその顔はなるほど美男である。
すっと整った目鼻立ちにくどさはなく、配置のバランスが完璧で粗が見つからない。直衣姿も相まってなんとも涼やか、見ているだけで心が洗われる美男と言えよう。
この蓮花と並べばお似合いの美男美女、いや薫って今二十七とかのはずだから美男と美少女か。ひと回り下のこんな美少女嫁にもらっといて何が不満なんだ?
「__女二の宮様?どこかお加減でも?」
返事がないのを訝しく思ったのだろう、薫が近づいて来るのを扇で制し、
「いいえ」
と発した。
「女二の宮様……?」
心底不思議そうな薫の顔と声に、私は決心した。
この世界の理や思惑など、知ったことか。
この男がこれ以上女性を不幸にしないように矯正してやろう、と。
「私、旦那さまにお願いがあって参りましたの」
「そうでしたか……!あ いえ、言ってくださればお伺いに参上いたしましたのに、」
「旦那様は大層お忙しそうでいらっしゃいましたので。宇治と都を往き来なさるのは大変でしょう?」
「女二の宮様っ!、そのようなことを誰がお耳にっ……?」
「まぁ。誰も告げ口などなさってはおられませんよ、今や都じゅうで噂になっておりましてよ?彼の薫大将の君は若くして亡くなられた大君の異母妹にあたられる方を都に呼び寄せてお世話するつもりだと」
「都じゅうで噂に……?」
そんな馬鹿な、と顔に書いてあるしまあ実際嘘である。
浮舟(今の身分は常陸介の継娘と身分が低い。父親である宮が子供まで作っときながら死ぬまで知らん顔を決め込んだからである)と薫大将の君との恋は匂宮(源氏の孫、薫にやたらライバル心を燃やし香しさでも勝ろうとこれでもかと香を焚きしめるのでこう呼ばれるようになったらしい)に引っ掻きまわされて破綻を迎えるが、本人たち以外には世間によく知られないまま終わる。
現状を女房たちによる情報から整理してみたところ、多分今は『浮舟は既に匂宮に出逢ってしまっているが、直ぐに居を移してからまだみつかっておらず、決定的な出来事には至っていない』状況だ。このまま人気の少ない山荘に浮舟を置いておく期間が無駄に長いので匂宮に寝取られるのである。
しかもそれを知った薫は一点、「やはり大君に似ているのは見た目だけ、あっさり宮に靡く軽々しい娘だったのだ」と自分の不手際は棚に上げて嘆く。
いや、いきなり宮さまに踏み込んで来られたら逃げようも拒否のしようもないだろが、なんで浮舟を責める?
お前の方が謝罪しろよっ!!
読んだ時めちゃくちゃそう思った。
だから、先ずは浮舟ちゃんからだ。
「彼女を、私の住む邸に迎えてくださいな。もちろん女房などでなく、正式に旦那さまの奥方として部屋を用意してお世話してあげてくださいまし。私に気兼ねなさらず__と言いたいところですがあちらは気になさるかもしれませんので一番遠い局にでも」
「なっ……」
びっくり眼で呆けたように口を開き絶句する姿に、少しだけ溜飲が下がった。
が、次の瞬間言い放った言葉に額にぴき、と青筋がはしった。
「なりません!あの娘は、女二の宮様のように高貴な方と同じ邸に住まわせるような筋のものではありません!田舎で育ち、何事もわきまえていないのです!」
それ、どれも本人のせいじゃないでしょーがっ!
「それが?」
瞬時に氷点下まで下がった声音に薫は慄く。今まで女二の宮がここまで感情を言葉にのせたことがなかったからだ。
「お、女二の宮さま……?」
「わきまえておらぬなら導いて差し上げれば良いでしょう、その為にお手元に引き取られたのでは?今のまま人手の足りぬ邸に住まわせておいては手段を選ばず色を好むお方に浚われてしまうやもしれませんよ?」
「っ、女二の宮様ともあろうお方がそのような__「そうそう、かの方は以前中君(大君の妹で匂宮に嫁いだ)様の処に身を寄せていらしたとか。そこで香り高い方にお会いしていないとも、限りませんわねぇ」……!」
私の例えが誰を指すかわかったのだろう、薫が黙る。
相手が言い終わらぬうちに口を挟むなどかなりの不調法にあたるのだろうが知ったことか。
外見が蓮花でも、私は織羽だ。蓮花じゃない。
「心配なさらずとも、苛めたりしませんわ。私と旦那さまとの結婚は父である今上帝の命によるもの。父には私から上手く伝えておきますゆえご安心を。宇治の大君を亡くされて以来塞ぎこんでいらした大将の君がとくに望まれたとなればそう嫌な顔もなされますまい」
「いえ、私のようなものの為にかようなお心遣い感謝致しますがそこまでされては、」
自分の矜持が許さない、と続くような言葉に、
「__私のお願いは以上です。あのような邸に一人では退屈なので、たまさかお話相手にでもなってくれたらと思っておりますわ。それでは」
言うだけ言ってその場を後にした。
話を聞かないよう離れて座していた共の者達は珍しく話が弾んでいるようだと安堵していたところにいきなり姫宮が立ち上がって、
「帰ります」
と険のある声で告げたのでぎょっとしたものの「何があったのか」と二人に尋けるはずもなく急いで姫宮の帰り仕度を整え、その場を後にした。
一方、薫の方はあまりの女二の宮の変わりように狐に化かされたような気がしたが「匂宮が浮舟に懸想している」という言葉にいてもたってもいられず、「吉日を選んで都にお迎えする」という旨の文を宇治に遣わし、女二の宮の住まう邸の一角の、ほんの一隅の目立たない場所に浮舟の為の部屋を急ぎ設えさせた。
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