長きに渡り『TEST SCENE』のご愛読、ありがとうございました。
あとがきを書くほど大したものではないのですが、本作は特別な想いとと共に執筆したと同時に、思い入れの深い作品となりました。
・TEST SCENEとは結局何だったのか?
このシンプルな問いに注目しつつ、解説も含めてお話をさせていただきたいと思います。
長いですので、気になったところだけお読みいただくのをオススメします!
それでは、The Manuel……スタートです!
The Manuel
《目次》
はじめに. TEST SCENEとは?
本作は、本来ならデビュー作になる予定でした。最初に出す作品として構想していたのです。
初めて描く物語。やるからにはもちろん本気で。けれども、まだまだわからないことだらけ。さまざまシーンを「試験的に書いてみよう。たくさん挑戦してみよう」と意気込み、プロット作成アプリのファイル名を『テストシーン』と名付けたのが始まりでした。
作品名の命名センスが壊滅的な私。ストーリー構成が完成した後も、作品名決めに悩みました。散々悩んだ挙げ句、ふと『テストシーン』というプロットのファイル名を見て、そのまま作品名に引っ張ってきたのが、この作品が完成した瞬間です。
「さあ投稿だ」と思ったのも束の間。デビュー作ということもあってか、気に入らない箇所を修正するうちに作り込みが激化。結局、投稿できたのが数作品後という本末転倒の結果を迎えてしまいました。
1. プラムとアローは幸せにはなれない
いきなりぶっ込みますが、プラムとアローは幸せにはなれません。ラストシーン、彼女たちは2人を見送りました。
[1]留学する黒川翔斗
[2]汚職がバレて海外逃亡を図る政治家
この2人にどんな意味が込められているのか。
それはずばり、希望と絶望です。
翔斗は留学し、自分の未来を切り開くために飛行機に乗りました。対して、汚職政治家は自分の保身のために海外逃亡を図ります。しかし、逃亡の手引きを依頼したGroup Bellにハメられ、行き先の空港で捕まり始末される運命にあります。
このように、ラストシーンには、希望と絶望を運ぶ飛行機を見送るプラムとアローが描かれています。
では、彼女たちは今後どうなるのか……?
……そう。希望と絶望のどちらにも行き着きません。彼女たちはこの先もずっと、闇の人間として生き続ける運命にあります。一度踏み込んでしまった世界。ポンコツコンビとはいえ、彼女たちの業は深いのです。
これからも闇の引力に囚われ続ける。そのせいで、希望にも絶望にも行き着く飛行機に、乗ることができない。プラムとアローはこれからも、ただひたすら虚無の世界を彷徨うのです。
2. 裏社会モノにしては女性が多い理由
いま、こんなことを言ってしまうと周りの人から怒られそうですが、こればかりは私の癖です……笑
だってカッコいいんだもん!笑
カッコいい車をスーツ着た女性が運転するシーン、やりたかったんだもん!!笑
3. 異世界転生モノに対するアンチテーゼ
これは書こうか迷いましたが、頭に来てるので書きます笑
あまり読まないほうがいいかも……笑
異世界転生というジャンルが一世を風靡した時期がありました。
異世界転生モノとは読んで字の如く、主人公が何らかの理由により死亡→復活→そこは異世界→冒険開始……といったストーリーの流れを持つ作品の総称です。
異世界転生モノの中には、素晴らしい名作も多数存在します。それこそ、海外にまで名を馳せた作品まで……。
さて、問題はここからです。
異世界転生モノを描く際、非常に便利な点があります。何かと言いますと、説明が要らないという点です。
[主人公が死ぬ→目覚めるとそこは異世界]
これを他に例えますと……。
[鳥山明先生が『DRAGON BALL』で孫悟空とセルを戦わせる→場所は都会→風景を描くのが面倒なので荒野に場所を移す]
……と、言えるかと思います。どういうことかと言うと、この世の理から脱出できるんです。
ここは異世界だから、魔法が使える。
ここは異世界だから、魔獣が出てくる。
ここは異世界だから、簡単に空を飛べる。
科学の現世ではありえませんよね。しかし「異世界だから」という理由さえあれば、当たり前のように何でもありの世界が作れちゃうんです。
いいですよね、これ。本当に一種の革命だと思います。
しかし、世の中の自称創作家たちは何を勘違いしたのか。世界観の説明が不要という利点を悪用し、ただ主人公に都合のいい世界を作る人が出てきました。
許せないのは、主人公と作者様自身を重ね合わせ、その人が青春時代に経験した理不尽・不条理への復讐を作品内で果たしたり、作者様の妄想の中で描かれる理想郷をただ書き殴っただけの作品が、簡単に評価・書籍化され、アニメ化までされているという現実です。
これだけなら世の名作にもあります。作者が過去の経験に復讐している作品はたくさんあるんです。
しかし……。そんな名作と昨今に蔓延る異世界転生モノには天地の差があります。
それは、主人公含めすべての登場人物は、作者様の理想郷のための駒であるという点です。関節部分を糸で繋がれ、操られる人形そのものです。
作者様(主人公)は現世(三次元)では上手くいかないから、自殺(転生)して異世界(二次元)に逃げ込む。その先に広がるのはまさに理想郷。
ほどよいワクワクドキドキのダンジョンを冒険し、ほどよい緊張感とスリルの中で魔王を倒す。理由も説明もなく数々の出会いに恵まれ、ほどよい恋愛の駆け引きを楽しみ、傷心することなくヒロインと結ばれる………。
はっきり言います。これらは創作世界への冒涜的な行為です。こんな世界観の説明すらサボるようなご都合主義、子ども騙しだ。ていうか子どもでも怒るわ! 子ども舐めんなよ。創作者なら、己の想像力で独自の世界観を表してみせろ! それが創作だろ! お前たちがやってることは自慰行為だ! 侮辱するのも大概にしろよ?!
……てな具合で、私は本当に嫌いです。
なぜここまで怒るのか……もちろん理由があります。
私はアニメが好きです。
アニメはその昔、子どもが見るものとして見下されていました。そんな時代に登場したのが、手塚治虫先生、高畑勲監督、宮崎駿監督、富野由悠季監督といった偉人の方々です。
この方々は、当時下劣とまで言われたアニメに人間ドラマを盛り込み、日本のアニメーションを世界の映画文化に負けず劣らずの巨大文化に大成させました。
二次元(アニメ)の中に三次元(人間ドラマ)という奥行きを生み出したのです。
今、我々がアニメに溢れた生活を送れるのも、偉人たちの功績があってこそなんです。
それが、異世界転生モノときたら……。
作者にとっての理想郷……? 異世界だから魔法が使えて当たり前……? 異世界だからとりあえず西洋風建築……? 異世界だから可愛い女の子と付き合える……? 異世界だから自分最強……?
二次元(アニメ)の中に二次元(理想郷)を描いちゃあ、そりゃ子ども騙し以下にもなりますね。
いま、世の中は鬱屈としています。現世に疲れた人々が、せめてアニメや漫画くらいは手軽に幸せを感じたいのです。
アニメや漫画は、いまや現世に疲弊した人々の足裏マッサージ機として機能しているようです。
本作は、そんな人々の疲れた心につけいる自称創作家と異世界転生モノへのアンチテーゼでもあるのです。
4. アローに見る『出会いと別れの軽さ』
アローは非常に冷酷です。プラムと比べるまでもなく、作中ではトップクラスに倫理観が欠如しています。
長い付き合いだった古着屋の店長を、迷うことなく笑顔で射殺しますし、共に死線を潜ってきた黒川翔斗との別れも「じゃあね〜」のひと言。非常にあっさりしています。
当初はあんなに興味津々に質問していたのに……と思うかもしれませんが、あれは彼女の尋問だと考えてください。
任務に必要な情報をかき集めている……と言った方がカッコいいでしょうか。
アローにとって、出会いと別れとは朝起きたら顔を洗うのと同じくらい当たり前なんです。
こんな人になっちゃダメだぞ!
……という気持ちを込めてます笑
5. ランエボは物言わぬ主人公
まずはじめに、作中に登場するランエボとは、ランサーエボリューションⅦのことです。本作の表紙をドドンと飾っていますね。
なぜランエボかと言いますと、実は実家にある車なんです(笑)。いつか物語に登場させて、思いっきり動かしたいという想いがあり、プラムの愛車として登場させることになりました。
さて、本題です。
本作は明確な主人公を設定していません。
限りなく主人公に近い存在は、強いて言うならプラムでしょう。ですが、プラムはあくまで物語の中心にいるだけ。主役級の役割を果たしたかと言われると、YESとは答えられません。アローを中心にして描いくこともできましたし。
では、この物語の主役級の存在は?
そう、ランエボです。
プラムとアローを常に見守っていたのも、翔斗の命を守ったのも、打ち上げロケット破壊に成功したのも、すべてこのランエボのお陰です。
本質的には『モノ』なので、ランエボが口を利くことはありませんし、ストーリーを通して成長することもありません。しかし、彼の働きは間違いなく、作中の人物たちの運命を決定付けました。まさに、主人公の働きです。
6. 無駄話で躍動する人物たち
本作は、びっくりするくらい無駄話が多いです。無駄話ならまだしも、ストーリー進行にはあまり関係なシーンもたくさん入れています。
なぜ無駄話が多いのか……?
結論から言いますと、それが『TEST SCENE』だからです。
本作の舞台は現世における表社会と裏社会。
世界を裏から支配しようとする悪い奴らを、それよりももっとタチの悪い奴らが潰しにかかるのが、大まかなストーリーです。
しかし、メインはそこにはありません。
『TEST SCENE』における最重要のテーマは、むしろ無駄話のシーンにあります。
どういうことか?
無駄話のシーンだけ、皆が素になるんです。
人物が自然体になるんですね。
特にプラムとアローに多い無駄話。車の話をしたり、やらかしエピソードを話したり、サービスエリアで食べ損ねたアイスクリームへの無念を語ったり……。
彼女たちを中心に、すべての登場人物はストーリー進行にまるで関係ない会話のシーンでこそ、生き生きと動き出します。
ストーリー進行のために喋らせることも大切ですが、それのみだと登場人物がただの歯車になってしまう。それが嫌だったし、みんなに好きに動いて欲しかったから、本作は無駄話が多くなっております。
7. 信仰の表社会と信用の裏社会
舞台の話に移ります。
本作の舞台は表社会と裏社会です。
裏社会の住人であるプラムとアローは、表社会の住人である黒川翔斗の護衛任務に就きます。
ここで初めて、表と裏が交わりました。
普段は接触するはずのない者同士……思考や行動を通して、両者の間にズレという不具合が生じ始めます。
初めに両者の間で生じた不具合は、ランエボの中での会話で起きました。翔斗が自身の置かれた境遇を愚痴るシーンです。
「なんで自分がこんな目に……」
……と嘆く翔斗に対し、プラムは「知らんがな」のひと言で一刀両断してしまいます。
これには翔斗も唖然。彼はこれを機に、プラムとアローという人間は、不幸であるはずの自分を慰めてくれる存在ではないということを理解し始めます。
その後も、噛み合っているようでまるで噛み合っていない両者の会話は続きます。
なぜ、両者の間にこのようなズレが生じるのか? そこには、互いに信じるものが根本から違うことが関係しています。
プラムとアロー=裏社会
黒川翔斗=表社会
と捉えてみましょう。
プラムとアロー=裏社会は、信仰心を持っていません。
ここで言う信仰心とは……いわゆる神はいるとか、神はいないとかの話ではなく、畏怖の念を抱く存在があるかどうかです。
プラムとアローには、畏怖の念を抱くような存在はいません。怖いものと言えば、上司であるベルとエマくらい。その「怖い」というのも「やらかしたら怒られる」程度のもの。
それが畏怖の念じゃないの? ……違います。本作における畏怖の念とは、もっとシンプルな構造をしています。それは何か……?
死を畏れているかどうかです。
それは「死ぬかもしれない・殺されるかもしれない」という『自分自身の死』だけに限った話ではありません。
「死に追いやるかもしれない・殺してしまうかもしれない」という、第二、第三者への『死』も含みます。
プラムとアローは『死』に対して畏怖の念(信仰心)を抱いていません。彼女たちは『死』に対して、金券や銃に値する『根拠のある信用』を見出していないのです。彼女たちの生きる世界は『信用』がすべてですからね。
彼女たち(裏社会=二次元)にとって『死』とは、道端の石ころ同然。自分が死ぬのも、人を殺すのも、アルバイトの一業務程度にしか思っていないのです。
対して、翔斗はどうでしょう。
彼は『死』に対して畏怖の念(信仰心)を抱いています。そりゃあ、誰だってそうですよね。どんな理由であれ死ぬのは怖いし、人を殺すだなんてまっぴらゴメンです。
死ぬのが怖いから、死後の世界、せめて天国に行けるように徳を積む。地獄に落とされないように、日頃から人を傷つけないように注意する。
翔斗(表社会=三次元=私たち)にとって『死』とは、人生の最後に待ち受ける最新で特別なイベントなのです。
両者の世界観には、これだけのズレがある。会話に不具合が生じるのも仕方ないですね。
なんたって、表社会(三次元)と裏社会(二次元)ですから。テレビ画面の中の人物にいくら話しかけても応えてくれないのと同じです。
しかし、本作は両者の違いを描きこそしましたが、両者が「そこからどう変化したか」が描けていません。何やってんだか……。
『TEST SCENE』も、結局は子供騙しに終わったようです。
本日はここまで! 長い!笑
読み終わったら、ポイントを付けましょう!