「意外な任務?」
「ええ、そう。やらかし続きのアンタたちにぴったしのね」
たった今まで雑談を楽しんでいた空気は一変し、ベルのにこやかな目つきは悪徳商人のような目つきへと変貌していた。彼女はデスクの引き出しを開けてA4サイズの紙を数枚取り出すと、机上にひらりと投げ置いた。
その紙を拾い上げたプラム。その隣から、アローも紙を覗き込む。
プラムが手にした紙面の右側上部には、履歴書に使用する証明写真ほどのサイズの顔写真が貼られていた。センター分けの髪型の男性。顔つきからして、日本人の少年だろうか。顔写真のすぐそばには、明朝体で『黒川翔斗』と書いてある。
「単刀直入に言うわ。この子を守ってほしいの」
「ウッス」
「了解でーす!」
少年についてまだ何も知らないというのに、ふたりはまるで小さな水たまりをヒョイと飛び越えるかのように、軽く、あっさりと任務を承諾してしまった。
「よろしくね!」
そんなふたりの反応を、これまたあっさりと受け取ったベルの悪徳商人のようだった顔つきが、先ほどの雑談で見せていた、にっこりとした可愛らしい女性の笑顔に変わった。
「アンタたち何でもしてくれるから助かるわ〜。ホント大好きよ」
「そりゃどうも」
「エッヘヘー」
賞賛の言葉を送られたふたりは、少しだけ頬を赤らめた。
「予定してる契約期間は3週間。報酬はたんまりよ。詳しいことはその資料に書いてあるから、ちゃんと読んどいてね」
「でもベル姉。この仕事の何が意外なんスか? 護衛なら何回かやったことあるっスよ」
プラムが聞くと、ベルは少し苦笑いした。
「あー、そのことなんだけどね……。今回護衛するこの『黒川翔斗』ご本人様からの注文なんだけど、彼の高校生活をなるべく邪魔しないようにしてほしいのよ」
「はぁ? 守ってもらう側が何を偉そうに」
「つまりどういうことなんですか?」
「つまりね、アンタたちには、教育実習で帰ってきた卒業生という設定で彼のそばにいてもらうわ」
プラムとアローに、まるで落雷のような衝撃が走る。それと同時に、非常に面倒な仕事になりそうだと、がっくしと肩を落としてしまった。
「ちょっと待って、うそでしょ? アタシらに学校の先生になれと?」
「そうよ〜。実際に授業もしてもらうからね」
「えぇ?!」
「すごーい! 楽しそー!」
困惑するプラムと、目を輝かせてはしゃぐアロー。ベルは更に続けた。
「理事長さんにはもう承諾を貰ってるわ。逆に、理事長さんと校長さん、そして『黒川翔斗』以外は、アンタたちの正体を知らない。彼らはみんな一般人。迷惑かけないようにね」
「それは分かりますけど……もっとこう、ありません? 正体バレずに校内で動く方法。校舎の清掃員とか」
プラムが言うと、ベルは両手でバツ印を作り、ブッブーと言って唇を少し尖らせた。
「清掃員だと『黒川翔斗』と離れる時間ができちゃうからNGよ。トイレ掃除中に殺されたり攫われたりしたら、本末転倒だしね」
それを聞いて、プラムはさらに肩をがくりと落とした。その肩を、アローは笑いながらポンポンと叩いた。
「いいじゃん面白そーじゃん!」
「このお気楽ヤローめ。まあ、ベル姉の頼みだからやるけど」
「そうこなくっちゃ!」
気合いを入れるふたりを見て、ベルはどこかホッとしたような、一瞬だけ嬉しそうな顔になると、再びデスクに両肘を立てて寄りかかり、両手を口元に添えた。その顔は、いつのまにか不敵な笑みへと変わっていた。
「任務は2日後。日本時間午前7時、護衛対象の送迎をもって開始よ」
「ウッス」
「りょーかいです!」
「あ、そうだ」
ベルが、にやりと笑った。その顔は、まさに悪人に相応しい歪み方であった。
「さっき、一般の方々に迷惑をかけるなとは言ったけど……。私たち『Group Emma』の邪魔をする奴は好きにしていいわよ」
「もちのろんっス」
「合点承知!」
元気よく返事したプラムとアローも、にやりと口角を釣り上がらせた。やがて、ふたりはベルに別れを告げると、部屋を去った。
数分後、ドアをノックする音がした。デスクの上、ベルの手元に置いてあるタブレット端末ほどの大きさの小型モニターは、体格がしっかりした男を映している。それを確認したベルが「どうぞー」と言うと、ドアがガチャリと開くと共に、背の高い男がヌッと現れた。
「失礼します」
「もうトイレ掃除は終わったの? ビット」
「はい」
「今さっきまでプラムとアローが顔出してたんだけど、ちゃんと会ってあげたの?」
「いえ」
「んもぉ〜、1年ぶりの再会だったのに。アンタって人はホント、自分のルーティンに厳しいわよねぇ」
「次は会えるようにします」
少々しゃがれた、低く渋い声で淡々と返事をするこの男は、まっすぐにキッチンスペースに向かうと、背の高い食器棚に並べてあるコーヒーカップを2つ取り出した。次に、同じ棚の下部の収納口を開けて、コーヒー豆の入った袋を4〜5袋ほど取り出すと、男はベルに向かって無言で袋を見せつけた。
「あ、私グアテマラ。中挽きね」
ソファ生地でできたチェアに座ったままのベルが言うと、男は無言で『Guatemala』と書かれた袋と『Columbia』と書かれた袋だけを台所に残し、残りの袋は元あった収納スペースに戻した。まもなく、男は袋を開けて豆を取り出し、台所のカウンターに置いてあるミル付きのコーヒーメーカーに入れ始めた。
開始ボタンを押し、コーヒーメーカーが異常なく動きだしたことを確認した男は、そのまま冷蔵庫を開けて黒い箱を取り出し、中に入っていた高級なチョコレート菓子を小さな平皿に盛り付けた。
少しして、コーヒーメーカーから完了を知らせる音がなったので、男は淹れたてのコーヒーと小さな平皿に盛り付けたチョコレートをベルの元まで持っていくと、真っ黒なデスクに優しく置いた。
「ありがと! 美味しそうね」
「残り物です。ご容赦を」
「充分よ」
にこにこ笑顔でコーヒーをひと口飲み、チョコレートを頬張ったベルは、おいしい! と言って目を輝かせた。
「本当はあの子たちとの再会を祝って、飲みに行きたかったんだけどねぇ〜」
「リーダーは本当にあのふたりがお好きですね」
自分のコーヒーを淹れ終わったビットは、そのままキッチンでコーヒーをひと口飲んだ。
「そりゃそうよ。私のかわいい部下だもん。エマさんもあの子たちのこと気に入ってるしね。ビットだって、そうでしょう?」
「まぁ、嫌いではありませんが」
そう言うと同時に、ビットはカップで口元を隠すようにコーヒーを飲んだ。その様子を見て、ベルはクスッと笑った。
「あーそうだ。これ、プラムとアローから。アメリカ旅行のお土産だって」
黒いスーツのポケットからディズニーキャラクターのキーホルダーを取り出したベル。ビットは台所にコーヒーカップを置いて、ベルの座るデスクに足を運び、そのキーホルダーを受け取った。
「どう? かわいいでしょ。私も貰ったの」
ベルが、自慢げに自分の分のキーホルダーを見せつけてきた。
「なるほど。これは確かに良いですね」
依然として真顔のまま、ビットはキーホルダーをズボンのポケットに入れた。その間、ベルはずっとにこにこと笑顔を浮かべていた。
「嬉しそうですね」
「ええ。お土産なんて久しぶりだもの」
「言われてみれば、そうですね」
…………。
ここで少し、過去の忙しかった記憶が蘇ったベルは、フッと軽いため息を吐いて、デスクに置かれたコーヒーとチョコレートを見つめた。
「『黒川翔斗』の護衛……結局あの子たちに任せちゃったわ」
「大丈夫なんですか? 裏が複雑だと聞きしましたが」
「心配が無いわけではないわ。けど、あの子たちならきっと大丈夫よ」
「リーダー……貴方は時に、プラムとアローに甘い部分が見受けられます」
ベルは、コーヒーをひと口、グイっと大きく飲んだ。
「確かに、あの子たちは行く先々で問題を起こすポンコツコンビよ。けど、あのふたりには、それ以上に立派な強みがあるってこと、ビットも知ってるでしょ?」
不敵な笑みを浮かべるベル。ビットは真顔のまま、渋く低い声で答えた。
「はい。彼女たちには、何にも勝る最大の強みがあります」
「あの子たちは、どんなにやらかそうとも、必ず任務を遂行して帰ってくる。これがいかに大きな力か。頼むわよ……プラム、アロー」
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