暗殺と諜報のプロ集団『ALPHABET』の構成員、Cを倒して、2日が経過した。黒川翔斗を護衛するプラムとアローは、予想より早く訪れた平和な日々を過ごしていた。黒川翔斗の記憶も、たった2日前に自身が殺されそうになった出来事の端々は朧げになり、強く印象に残った場面のみが脳裏に思い浮かぶ。いつもと変わらぬ教室で、いつもと変わらぬ授業を受けて、退屈に何もない廊下を眺める。教壇にはアローが立っている。終始、にこにこと笑みを浮かべながら、教育実習生として日本史Bの授業を進めている。そんなアローの授業を、少し離れた場所……教室の出入り口で見守る中塚先生は、心配なのか、不満なのか、難しい顔をしてアローの授業を見守っている。
「……ってことで、日本は二度にわたる元の襲来を退けたんですね〜」
教育実習生の皮を被っているにしては、アローの授業はうまい。話がシンプルで分かりやすいし、比較的ゆっくりと進めてくれるから、苦手な生徒もやりやすそうだ。けど……。
「神風ってすごいですね〜。日本は運良く元を撃退できたらしいですよー………っなわけあるかぁ!!」
そう、これ。
「神風で元を撃退?! 日本は運が良かっただけ?! ぜんっぜん違ーう!」
どうやらアロー。大の日本史好きらしい。翔斗のすぐ後ろで授業を見守るプラムが、そう言っていた。だから翔斗は、たった今起きたアローの暴走を予測できていた。しかし、突然声を張り上げたアローに、ウトウトと居眠りをしていた生徒の肩がビクリと跳ねる。それ以外の生徒も、中塚先生も、唖然として教壇に立つアローを見つめた。
「日本が元を撃退することができた最大の理由は、鎌倉武士団が死ぬほど強かったからに決まってるでしょーが!! この教科書は説明が足りなーい!!」
「ちょっ………西く……」
「いいですか生徒諸君! 歴代の武士において、鎌倉武士団は最強! そして野蛮! 狂人たちの集まりだったんです!」
中塚先生がアローを止めに入ろうとするも、アローの凄まじい勢いに押し負けてしまう。聞いたことがない鎌倉武士団の姿に、生徒全員が自然とアローに釘付けになっていく。
「鎌倉武士団、元軍に人質にされて肉の盾にされた日本人ごと平気で攻撃してるんです! 元が鎌倉武士の士気を下げようとして、隊長クラスの首を獲って掲げたら、逆に鎌倉武士の闘争心に火をつけちゃって猛攻撃を喰らう羽目になったんです!」
いつの間にか、翔斗もアローの語りに夢中になっていた。握っていたペンが、指からぽとりと転げ落ちたことにも気づかぬほどに。
「そもそも、鎌倉時代に使用された弓矢の威力が凄まじいのよ! 数十メートル離れた敵の首も吹っ飛ぶレベル。日頃から訓練してた成果も出て、馬に乗りながら弓を扱うのがうますぎるのなんのって」
熱弁するアローを、翔斗の後ろ、掃除用具収納棚に寄りかかって眺めるプラムは、呆れの混じったため息が出た。
「ていうかね、文永の役の前に、元は日本に何回か手紙を送ってんのよ。けど内容が舐めててね? 「なんでお前ら俺らに一通も手紙寄越さねーの? 仲良くしよーぜ。俺らを父親だと思って服属していいぜ? あ、承諾しなかったら軍派遣すっから」なのよ! これには北条時宗もブチギレてね。ガン無視決め込んだ挙げ句、手紙を一通だけ返すのよ。いろいろあって、結局その手紙が元に届くことはなかったんだけどね」
なんて返したんだろう……。
「途中まで、その手紙の草案は「あ? 元? そんな国なんぞ知らねーな。俺らは何も思ってないのに、急に軍派遣とかアタマおかしいんか? 俺らは神の国だぜ。そもそもが戦う以前の問題だってことよく考えろやボケカス」って内容だったの! バチバチでしょー?!」
教室全体が、おお〜という謎の感動で包まれる。自身たちが思っていた以上に、当時の日本は強く逞しかったようだ。
やがて今日の授業はすべて終わり、翔斗は職員室の前で、プラムとアローが出てくるのを待っていた。職員室では、中塚先生による今日の授業の総評が行われていた。
「東先生。君はもう少し声を出しなさい。授業の進行自体はそこまで悪くないから、あとはしっかり抑揚をつけて」
「ウッス」
東(プラム)の、面倒くさそうな態度を我慢しながら、中塚先生は懸命に反省点を挙げていく。
「あと、ふざけた質問をしてくるお調子者の生徒は放っておいて構わんから。いちいち睨みつけて圧倒しなくていいぞ。いや、たしかにちょっとスカッとしたけど」
「どうも」
「えー、そして西先生」
「はーい!」
来た! 西(アロー)は、中塚先生からの評価を心から待ち望んでいた。なぜなら、あんなに生徒が夢中になって話を聞いてくれたのだ。きっと自分の授業への熱意が伝わってに違いない。
「君は、余計なことを授業で喋っちゃダメだよ」
「ありがとうございまっ!…………え?」
「え? じゃない。元寇のくだりは「日本は神風で勝利した」で終わりでいい」
「え?! なんでですか! 今は通説が違って……」
「それは、生徒自身があとで自分で調べて理解していけばいいんだ」
「だからって、日本が神風だけで元を撃退したなんて嘘、言えないですよ!」
ムキになるアローに、中塚先生の顔が赤くなっていく。
「なんだね君は! 私の評価に不満があるのかね!」
中塚先生の怒鳴り声に、職員室中の視線が集まる。
「あるに決まってんでしょ! このハゲ!」
「し、失礼な!」
「おいバカ、アロ……西! 落ち着け!」
荒ぶるアローを必死に抑えるプラム。中塚先生の怒りは頂点に達し、蒸気機関車の汽笛の激音が鳴り響く。
「ハゲとはなんだっ! けしからん!」
「ハゲって言ったらハゲよ! このハゲ!」
「なッ?! 教育実習生の分際でなんという口の利き方だ!! これだから平成生まれはバカな女が多いんだ!」
「何ですってぇ?!」
いよいよアローの拳が前に出そうになるのを、プラムは慌てて止めに入る。
「ちょ、落ち着けって! たしかにハゲてるけど!」
「いや君も失礼だぞ!」
職員室の先生という先生がプラムたちを見ている。すると、言い合いをする両者を見つけた鈴木校長が、慌てた表情で飛んできた。
「ちょ、なに喧嘩してるんですか!」
「校長先生! 西先生が私に無礼な言葉を浴びせてきましてね!」
「まぁまぁ、落ち着いて。西先生、中塚先生になんと言ったのですか?」
「……ハゲ、とひと言だけ言いました」
「嘘をつくな! 何度も言っただろう!」
「まぁまぁ、中塚先生。ハゲてることは事実ですし、多めに見てあげましょう」
「な…………っっ!!!」
思わず体が固まる中塚先生を放っておいて、校長先生は頬に汗を垂らしながらプラムとアローに言った。
「君たち、今日はもう帰りなさい。一日反省してまた来なさい。いいですね」
「ウッス」
「……はーい」
ナイス校長! と言わんばかりに、プラムはウインクを校長に送ると、即座に校長もウインクで返してきた。職員室を出ると、黒川翔斗がふたりを出迎えた。
「悪い。待たせた」
「………」
軽く謝るプラム。その隣で、ムスッとした表情を浮かべるアロー。職員室で何があったか知らない翔斗は、暗い顔をするアローに尋ねた。
「……何かあったの?」
「別に〜」
「いいよほっとけ」
プラムに言われて、翔斗はそれ以上アローに何も言わなくなった。夕日がさす駐車場まで行くと、ランエボの隣に黒い車が停まっていた。その車のそばには、黒いスーツを着た細身の男が立っている。男は3人を見つけると、笑顔で手を振って駆け寄ってきた。
「姉貴〜!」
「あれ? バンじゃん。何してんの」
プラムが聞くと、バンはニコッと笑った。
「リーダーがアローさんをお呼びですんで、自分がお迎えに来ました!」
「え、リーダーがあたしを?」
「はい! 用件は知りませんけどね。アローさん、行きましょう!」
「分かってたー。じゃ、プラム、また後でね」
「おお、分かった」
やりとりを終えると、アローはバンが運転する車に乗り込み、ベルが待つGroup Emma日本支部に向かっていった。
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