「それでは、示談のお話に移りましょう」
空気が一変した。39委員会から派遣されてきた森と田ノ上の目つきが変わる。
「お手元の資料をご参考ください」
先ほど応接テーブルに置かれた数枚の紙。ベルは紙を持ち、内容を黙読し始めた。
「今回、Cの死を事故として処理いたしますので、お手元の資料の3ページ目、ケース2をご覧ください」
淡々と読み上げる田ノ上の案内に従い、ベルはホチキスでまとめられた資料をめくる。
「39委員会の要求は3つです。まずひとつはCの遺体の引き渡し。次に損害賠償。C本人の損失に加えて、Cに代わる人員を補充するまでの空白期間に発生する損害額のお支払いをお願いさせていただきたいと考えております」
「額はどれほどでしょうか」
「1億3千万円ご用意をお願いしたいです」
「なるほど。もうひとつの要求は何でしょうか」
「御社を対等な新規取引先として、友好関係を構築したいと考えております」
「なるほど」
読んだのか、読んでいないのか。ベルは資料を隣に座るビットに手渡すと、田ノ上と森をまっすぐと見て微笑んだ。
「Group Emmaと39委員会との取引とは、具体的にどういうものなのでしょうか」
「すでにご承知おきのことでしょうが、現在、39委員会は現代戦を様々な方面で支援する事業に力を入れております。しかし、日本国憲法の強大さから、日本での事業展開は厳しく、未だに都心部への進出に苦戦している状況です」
「はい」
「そこで、都心部に拠点を置く御社に我々の事業進展のためお力添えをいただきたいのです」
「なるほど。あなた方の注文を私たちで遂行してほしいと。私たちの取り分は?」
「40%です」
ベルの目が、鈍い光を帯びる。
「ずいぶん美味しい話ですね。いいんですか? そんなに貰って」
「秘密的組織としての活動になりますので、その分危険も伴います。また、Group Emma日本支部の方々は、優秀な人材が多く在籍していると聞きます。それこそ、世界に誇るALPHABETの構成員を退けているのですから。我々大阪支部としては、40%でも足りないと本部に訴えたいほど、御社の魅力は底知れません」
「この上ないお言葉ですわ」
「ありがとうございます。もしよろしければ、こちらの契約書にサインをいただきたいのですが」
田ノ上が言うと同時に、森がカバンから1枚の紙とペン、朱肉を取り出して、ベルの前に置いた。
「是非、39委員会と共に歩みませんか」
田ノ上がにっこりと笑った。ベルは用意された契約書には一瞥もくれず、ふたりに向かってにっこりと微笑んだ。
「契約の前に。こちらからもいくつか質問させていただきたいのですが」
「はい」
「……なぜここが分かったのですか?」
「はい?」
「なぜ、ここの住所が分かったのか、とお聞きしたのです。我々とあなた方は、本日まで赤の他人だったはずですが」
「それは、特殊メールで送付されてきたファイルに書かれていた住所を見ましたので……」
「そのファイルなのですが、あとで確認したところ、ファイルを作成した部下が誤字をしていましてね。こことはまったくかけ離れた場所の住所を書いてしまっていたんですよ。私含め、一同パソコンが苦手でして」
「それは……」
「それで、あなた方がこちらに到着される2、3分前に慌てて訂正したファイルを送信したのですが、目を通された痕跡が無いようでして」
「…………」
「それともうひとつ。Cさんとの事故発生後、プラムが運転する、黒川翔斗とアローを乗せた護衛車を、不審な車が十数分に渡って尾行したという報告が入っています。見た目30代の男性がひとり、運転していたとのことですが。ALPHABETと何か関係でも?」
「いえ、存じ上げません。本部からも、大阪支部からもALPHABETに対してそのような任務は依頼していません」
ベルはにっこりと笑ったまま、ふたりに対して「分かりました」とひと言だけ言うと、わずかに目を細めた。
「Cさんの遺体の引き渡しと、損害額の支払いは了解いたしました。近日中に責任を持ってお届けします」
「ありがとうございます」
「そして取引契約ですが、前向きに検討させていただきます。遅くとも、1週間以内にはお返事をしたいと思います」
「承知致しました」
ベルとビット……田ノ上と森が一斉にソファから立ち上がった。
「本日は、わざわざ遠方よりお越しくださり、ありがとうございました。御社のますますのご活躍を、弊社一同、心より祈念しております」
「こちらこそ、急な訪問にもかかわらずお時間をいただき、ありがとうございました。御社と共に歩む未来を、弊社一同願っております」
互いに深々と礼をした後、田ノ上と森は警備員に連れられ、ビルを後にした。リーダー室に残ったベルとビットは、しばらく立ったままだったが、ベルがどさりと倒れるようにソファに座り、今まで帯びていた緊張を解いた。
「はあぁ〜、疲れたわねぇ〜朝から」
ビットが田ノ上と森に出した茶菓子を、ベルは手に取って頬張った。
「美味しっ! アイツらなんでコレ食べなかったんだろ。もったいないわね」
「毒を疑ったのでしょう」
「ヤダ、失礼ねぇ。私がアイツらと同じような事するわけないじゃない」
「しかし奴ら、護衛も付けずに2人きりで……。相当な実力を持っているのは確かです」
「ええ。それはひと目見て分かったわ。私ひとりじゃすぐやられちゃうわね。ビットは余裕だろうけど」
「いえ」
視線を逸らすビットに、ベルは優しく微笑んだ。
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