都内某所。夜の街を煌びやかに彩る建物の光。時間はとうに深夜を回っているというのに、街に集まる人の数は、まるで朝方の通勤ラッシュのよう。信号が赤から青になると共に、四方八方から大勢の人々が入り混じり、賑やかに各々の目的地へ向かっていく。
この人混みの中に、ひときわ存在感を放つ人物がいた。白いスーツを着た男。額から目にかけての凹凸は大きく、見る者を思わず魅了させる透き通った蒼い瞳。すらりと通った高い鼻は、明らかに北欧人のそれを思わせる。
身体の大きさときたらなかった。2メートルを裕に超えているであろう身長。千年の時を生きる大樹の幹と見間違うほどの首に、以上に発達した僧帽筋から伸びる、メロンのような肩。大の大人が手のひらを目一杯広げても及ばぬほどの、極太の腕。分厚い胸筋からは考えられないほど、ウエストが細く見える。
まさに豪傑。大男。弁慶とも表せるほどの体格をしているというのに、佇まいは静そのもの。巨漢特有の荒々しさはまるで無く、猫のように滑らかに、柔らかく、悠々と交差点を歩いている。
そのギャップが、彼とすれ違った人々を振り返らせていた。しかし巨漢は、自分が注目されていることなどは気にも止めず、ただまっすぐと交差点を渡り切ると、高級感を醸すBARに続く地下階段を降りて行った。
入り口に辿り着き、店に入ると、つい先程までの大きな交差点の賑やかな音は掻き消え、薄暗い照明と落ち着いた雰囲気のバーカウンターが目の前に現れた。奥にはいくつかテーブル席も用意されており、高級スーツを身に纏った貴族のような男性や、ドレスを着た上品な女性が数組、店の高級酒と料理を楽しんでいる。
白いスーツの巨漢は、迷わず一直線にバーカウンターに向かうと、背もたれのない丸い椅子に静かに腰掛けた。
「いらっしゃいませ。お久しぶりですB様」
バーテンダーの男が会釈をすると、Bと呼ばれた巨漢は表情を変えることなく、わずかに会釈した。バーテンダーは嬉しそうに微笑むと、Bに語りかけた。
「貴方様が久々に来日されると聞いて、奥のテーブルをご用意していますが」
「いい。俺にとっては、ここが特等席だ」
真面目な表情で語るB。懐かしむように、バーテンダーは微笑んだ。
「そうでしたね」
「いつものを頼む」
「かしこまりました」
バーテンダーは素早く、正確な動作でカクテルを作ると、Bの前に静かに置いた。
ギムレット。Bはカクテルグラスを優しく手に持つと、その美しさをひと通り楽しみ、静かに口に運んだ。しばらく、ゆったりとした静かな時間が流れた。どこを見るでもなく、ただぼんやりと、Bはギムレットが放つ白色の美貌を眺めていた。
「……相変わらず」
「……?」
「貴方様は相変わらず、何をお考えになっているか分からない顔をされます」
グラスを拭くバーテンダーは、Bを見るでもなく、話しかけてきた。
「ただ、今日は違う。……何か、大切なものを失くされたのでしょうか?」
「……Cは記憶の中にしかいない」
思わず、バーテンダーはBを見た。わずかに眉間に皺を寄せる彼の顔には、切なさが見え隠れしている。
「C様はお美しい方でした」
「昔の話だ。彼女は任務に失敗した。それだけのことだ」
Bはギムレットをひと口、静かに飲んだ。
「無駄が許されない世界で私は……。彼女を殺したのは私だ」
「どうか、ご自身を責めないでください」
「一目惚れなど……」
「……………」
少し、項垂れているようにも見えるB。バーテンダーは、Bから目を逸らし、再びグラスを磨き始めた。
「生前、C様がお越しになりました」
Bが、わずかに顔を上げた。グラスを拭き終わったバーテンダーは、次に拭くグラスを手に取った。
「C様は、貴方様のことをご心配のご様子でした。会話の節々で、貴方様が仕事で無茶をしているのだと、私にこぼしていらっしゃいました。貴方様のように」
「…………」
「過去はもちろん、互いの本名さえ知らない。そんなおふたりが、意思のみで会話をしていたのを、私は見ました」
「そうか……」
Bはギムレットを飲み干すと、人差し指をピンと立てた。バーテンダーはグラスを置き、再びカクテルのシェイカーを用意した。その様子をぼんやり眺めながら、Bはしみ込むような声で語った。
「互いに次の任務を終えたら組織を抜けて、どこか自然の豊かな場所で静かに暮らそうと、約束していた」
「………」
「その時初めて……互いの名も、生い立ちも、想いも、何から何まで明かし合おうと、約束していた。………嫌気がさしていたのかもな。長くこの世界にいて」
バーテンダーは作り終えたギムレットを、Bの前に静かに差し出した。
「………すまない」
「いえ。私が貴方様にしてさしあげることができるのは、これくらいですから」
再び、しっとりとした時間が流れた。ふたりには、もう会話すら必要なかったのだ。しばらくして、ギムレットを飲み終えたBは、バーテンダーの方を向いた。
「……困ったことはないか?」
「ご心配なく」
「……………。どこに絡まれているんだ」
「………お恥ずかしながら最近、河原会の三次団体に目をつけられていまして」
「……みかじめ料とやらか」
「ええ。時代錯誤なものです」
すると、Bの背後の出入り口のドアから、バンッと大きな音がなった。
「中村さんいる〜?」
男の声と共に、中村と呼ばれたバーテンダーの前に数人の男たちがぞろぞろと店内に入ってきた。
「みかじめ料、まだぁ? そろそろ組長が怒りそうなんだけど?」
「以前も申し上げましたが、当店は暴力団関係者の方々との繋がりは一切お断りしております」
「なーに言ってんだテメェは。誰のおかげでココに店構えてられると思ってんだ?」
「それは……」
「勘違いしてんじゃねぇよ。さっさとみかじめ料払え。店の売上の3割な」
「そんな……!」
暴利を突きつけられるバーテンダー。にやついた顔の男たち。丸坊主で大柄な男が、白いスーツを着た男に近寄った。
「兄ちゃん。今から大事な話し合いするからよ、そこどいてくれや」
「………」
「おい、聞いてんのか」
そう言われて、白いスーツの男はゆっくりと立ち上がった。坊主の男の目線がゆっくりと、下から真ん中、やがて上へと昇っていく。男のあまりの大きさに、ヤクザは驚いた。
「Oletko tuholaisia?」
「なんだテメェは!」
「喧嘩売ってんのか!」
騒ぎ立てる彼らを無視して、Bは静かに懐に手を入れると、トカレフを取り出しヤクザに向けて迷わず発砲した。
突如鳴り響いた激音に驚いた客たちが、一斉にBの方を向いた。Bはトカレフを懐にしまうと、次は札束を取り出してバーカウンターに置いた。横たわる数体の死体には一瞥もくれず、バーテンダーに語りかけた。
「また、ここに来れてよかった」
「B様……」
「En voi lopettaa」
バーテンダーにひと言、そう言ったBは、電話を取り出しながらBARを後にした。
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