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迷子の句読点
迷子の句読点

【第二十七話】誓う

公開日時: 2024年7月24日(水) 21:23
文字数:2,778

 都内某所。夜の街を煌びやかに彩る建物の光。時間はとうに深夜を回っているというのに、街に集まる人の数は、まるで朝方の通勤ラッシュのよう。信号が赤から青になると共に、四方八方から大勢の人々が入り混じり、賑やかに各々の目的地へ向かっていく。

 この人混みの中に、ひときわ存在感を放つ人物がいた。白いスーツを着た男。額から目にかけての凹凸は大きく、見る者を思わず魅了させる透き通ったあおい瞳。すらりと通った高い鼻は、明らかに北欧人のそれを思わせる。

 身体の大きさときたらなかった。2メートルを裕に超えているであろう身長。千年の時を生きる大樹の幹と見間違うほどの首に、以上に発達した僧帽筋から伸びる、メロンのような肩。大の大人が手のひらを目一杯広げても及ばぬほどの、極太の腕。分厚い胸筋からは考えられないほど、ウエストが細く見える。

 まさに豪傑。大男。弁慶とも表せるほどの体格をしているというのに、佇まいはそのもの。巨漢特有の荒々しさはまるで無く、猫のように滑らかに、柔らかく、悠々と交差点を歩いている。

 そのギャップが、彼とすれ違った人々を振り返らせていた。しかし巨漢は、自分が注目されていることなどは気にも止めず、ただまっすぐと交差点を渡り切ると、高級感を醸すBARに続く地下階段を降りて行った。

 

 入り口に辿り着き、店に入ると、つい先程までの大きな交差点の賑やかな音は掻き消え、薄暗い照明と落ち着いた雰囲気のバーカウンターが目の前に現れた。奥にはいくつかテーブル席も用意されており、高級スーツを身に纏った貴族のような男性や、ドレスを着た上品な女性が数組、店の高級酒と料理を楽しんでいる。

 白いスーツの巨漢は、迷わず一直線にバーカウンターに向かうと、背もたれのない丸い椅子に静かに腰掛けた。


「いらっしゃいませ。お久しぶりですB様」


 バーテンダーの男が会釈をすると、Bと呼ばれた巨漢は表情を変えることなく、わずかに会釈した。バーテンダーは嬉しそうに微笑むと、Bに語りかけた。


「貴方様が久々に来日されると聞いて、奥のテーブルをご用意していますが」


「いい。俺にとっては、ここが特等席だ」


 真面目な表情で語るB。懐かしむように、バーテンダーは微笑んだ。


「そうでしたね」


「いつものを頼む」


「かしこまりました」


 バーテンダーは素早く、正確な動作でカクテルを作ると、Bの前に静かに置いた。

 ギムレット。Bはカクテルグラスを優しく手に持つと、その美しさをひと通り楽しみ、静かに口に運んだ。しばらく、ゆったりとした静かな時間が流れた。どこを見るでもなく、ただぼんやりと、Bはギムレットが放つ白色はくしょくの美貌を眺めていた。


「……相変わらず」


「……?」


「貴方様は相変わらず、何をお考えになっているか分からない顔をされます」


 グラスを拭くバーテンダーは、Bを見るでもなく、話しかけてきた。


「ただ、今日は違う。……何か、大切なものを失くされたのでしょうか?」


「……Cは記憶の中にしかいない」


 思わず、バーテンダーはBを見た。わずかに眉間に皺を寄せる彼の顔には、切なさが見え隠れしている。


「C様はお美しい方でした」


「昔の話だ。彼女は任務に失敗した。それだけのことだ」


 Bはギムレットをひと口、静かに飲んだ。


「無駄が許されない世界で私は……。彼女を殺したのは私だ」


「どうか、ご自身を責めないでください」


「一目惚れなど……」


「……………」


 少し、項垂れているようにも見えるB。バーテンダーは、Bから目を逸らし、再びグラスを磨き始めた。


「生前、C様がお越しになりました」


 Bが、わずかに顔を上げた。グラスを拭き終わったバーテンダーは、次に拭くグラスを手に取った。


「C様は、貴方様のことをご心配のご様子でした。会話の節々で、貴方様が仕事で無茶をしているのだと、私にこぼしていらっしゃいました。貴方様のように」


「…………」


「過去はもちろん、互いの本名さえ知らない。そんなおふたりが、意思のみで会話をしていたのを、私は見ました」


「そうか……」


 Bはギムレットを飲み干すと、人差し指をピンと立てた。バーテンダーはグラスを置き、再びカクテルのシェイカーを用意した。その様子をぼんやり眺めながら、Bはしみ込むような声で語った。


「互いに次の任務を終えたら組織を抜けて、どこか自然の豊かな場所で静かに暮らそうと、約束していた」


「………」


「その時初めて……互いの名も、生い立ちも、想いも、何から何まで明かし合おうと、約束していた。………嫌気がさしていたのかもな。長くこの世界にいて」


 バーテンダーは作り終えたギムレットを、Bの前に静かに差し出した。


「………すまない」


「いえ。私が貴方様にしてさしあげることができるのは、これくらいですから」



 再び、しっとりとした時間が流れた。ふたりには、もう会話すら必要なかったのだ。しばらくして、ギムレットを飲み終えたBは、バーテンダーの方を向いた。


「……困ったことはないか?」


「ご心配なく」


「……………。どこに絡まれているんだ」


「………お恥ずかしながら最近、河原会の三次団体に目をつけられていまして」


「……みかじめ料とやらか」


「ええ。時代錯誤なものです」


 すると、Bの背後の出入り口のドアから、バンッと大きな音がなった。


「中村さんいる〜?」


 男の声と共に、中村と呼ばれたバーテンダーの前に数人の男たちがぞろぞろと店内に入ってきた。


「みかじめ料、まだぁ? そろそろ組長が怒りそうなんだけど?」


「以前も申し上げましたが、当店は暴力団関係者の方々との繋がりは一切お断りしております」


「なーに言ってんだテメェは。誰のおかげでココに店構えてられると思ってんだ?」


「それは……」


「勘違いしてんじゃねぇよ。さっさとみかじめ料払え。店の売上の3割な」


「そんな……!」


 暴利を突きつけられるバーテンダー。にやついた顔の男たち。丸坊主で大柄な男が、白いスーツを着た男に近寄った。


あんちゃん。今から大事な話し合いするからよ、そこどいてくれや」


「………」


「おい、聞いてんのか」


 そう言われて、白いスーツの男はゆっくりと立ち上がった。坊主の男の目線がゆっくりと、下から真ん中、やがて上へと昇っていく。男のあまりの大きさに、ヤクザは驚いた。


Oletkoお前たちが tuholaisia害虫か?」


「なんだテメェは!」

「喧嘩売ってんのか!」


 騒ぎ立てる彼らを無視して、Bは静かに懐に手を入れると、トカレフを取り出しヤクザに向けて迷わず発砲した。

 突如鳴り響いた激音に驚いた客たちが、一斉にBの方を向いた。Bはトカレフを懐にしまうと、次は札束を取り出してバーカウンターに置いた。横たわる数体の死体には一瞥もくれず、バーテンダーに語りかけた。


「また、ここに来れてよかった」


「B様……」


「En voi lopettaa」


 バーテンダーにひと言、そう言ったBは、電話を取り出しながらBARを後にした。





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