TEST SCENE

迷子の句読点
迷子の句読点

【第二十九話】撃鉄

公開日時: 2024年8月2日(金) 17:00
文字数:2,790

 ただ黒かった景色に、光が差し込む。うっすらと青みを帯び始めた空。山の木々は朝特有の穏やかな静けさに。鳴いていた虫も当番制のように変わり、どこからか蝉のジージーという声が聞こえてくる。

 プラムとアローは身支度を済ませると、翔斗を連れて山道を出発した。3人が乗るランサーエボリューション7が向かうのは、山を降りた先……彼女たちの拠点、Group Emma日本支部ビルの付近だ。そこで、翔斗の身柄を養護施設の派遣員に移送する……これが、プラムとアローが翔斗のために着手する、最後の任務だ。

 翔斗にとって、今日という日がどれほどまでに来てほしくないものだったか……プラムもアローも、その想いを知る由はない。峠を下ってゆくランエボに揺られながら、いつもより高い心拍数を落ち着けようと、黙って努力している。

 そんな翔斗の気持ちなどに気づくはずもなく、プラムとアローは今日も平常運転。取り留めのない会話を弾ませては、笑ったり、ムカついたり。……後部座席、自身の隣で、昨日から放送が開始された新作アニメの話題で盛り上がるアロー。彼女のニコニコとした笑顔。運転席で、相変わらず眠たそうな顔でアローが振った話題を捌くプラム。


 翔斗は、ようやく理解した気がした。

 取るに足らない会話、くだらないケンカ、意味のない自慢、趣味への熱意……全部、全部、彼女たちにとって。彼女たちのかけがえのない財産なのだ。いつ死に目に遭うか分からない。たった今、事故に遭って死ぬかもしれない。スナイパーに撃たれて死ぬかもしれない。そんなこと、彼女たちには当たり前のこと。僕だって……いや、世界中のみんなも、たった今、まさにその場で死ぬかもしれないんだ。それを知っているから……誰よりもわかっているから、プラムさんもアローさんの、この何気ない会話が弾けるラムネソーダのように楽しくなるんだ。


 

 やがて、山を降りたランエボは市街地に入り、十数分後に拠点であるGroup Emmaの日本支部ビルの裏に到着した。ビルは、いつもとは違いしんと静まり返っている。

 世間はすっかり朝となり、すぐそこの道路では仕事に向かう社用車やトラックが通過していく音がする。

 ビルの裏には、既に児童養護施設の派遣員が待機しており、ランエボから降りてきたプラムたちに向かって軽く会釈をしてきた。顔馴染みなのか、プラムとアローも軽く会釈をして、挨拶をそそくさと済ませてしまった。


「なんだよシン。保護課だったのか」


「ほーんと。気づかなかった〜」


「ええ。急な異動でね。副リーダーから話は聞いてるよ。ここも危ない。早く散ろう」


「おうよ」


 シンと呼ばれた黒服の男が、プラムとアローの間に立つ翔斗に会釈をした。


「はじめまして。Group Emma保護課のシンです」


「は、はじめまして……黒川翔斗です。……よろしくお願いします」


「いろいろ話したいところだけど、今は時間がない。早速行こうか」


「はい……」


 シンが、翔斗に手を差し伸べた。その手を見つめる翔斗。もう、行かねば。


「翔斗くん、じゃあね〜!」


 右隣で、にっこりと笑うアローが元気に別れを告げる。


「じゃあな」


 左隣で、眠たそうなプラムが淡白に別れを告げた。


「……………」


 

 足が、前に進まない──。




 





「ちゃんと出馬しろよ」


 ………………!!



 思わず、心臓が跳ねた。背後からかけられたたったひと言が、翔斗の頭の中をぐるぐると駆け回り、何度も繰り返し再生されていく。



 …………………。



 ………………よし。



 翔斗はプラムの方へ振り向くと、力強く頷いた。何も言わず、シンの方を向き直り、足を前に出す。


 さようなら……。










 その時、音がした。手を差し伸べていたシンの額に突然大きな穴が開き、スイカのようなものが翔斗に向かって飛び散った。


「伏せてッ!!!」


 すかさずアローが翔斗の前を覆うように立ち塞がり、ビルの物陰に向かって走り出した。


 連続する激音。


「ゥギッ………!」


 翔斗を覆うように走るアローの左肩を、銃弾が貫いた。銃弾の雨を奇跡的に避け、辛うじて物陰に逃げ込んだ3人。その遥か前方の草陰から、白スーツの巨漢が姿を現した。



「逃したか」





「ハァッ……ハァッ……」


「大丈夫か」


 物陰に逃げ込んだ3人。プラムはアローの肩を抱きかかえ、非常口の緊急解除システムを動作させ、ビル施設内の小さな応急救護室に隠れていた。左肩に被弾したアローは壁にもたれかかるようにして座り、プラムの応急処置を受けている。黒スーツを脱ぎ捨て、真っ赤な血が滲む左肩に包帯を巻かれながら、異常な量の汗をかくアロー。頬に肩まで伸びる長い髪がべったりと張り付いている。息は荒く、にっこりとした笑顔もぎこちない。


「へッ………ヘッチャラよぉこんくらい……」


「ああ、お前は最強アローだもんな」


「アハハ……たまにはいいこと言うじゃん……」


 途切れ途切れの、弱々しい声。


「ハァ……ハァ……。アイツが……Bでしょ……?」


「だろうな。運がよかった」


 ふたりを見つめることしかできない翔斗は、その場でただ立ち尽くすのみだった。

 包帯を巻き終わったプラムはズボンのポケットから鍵を取り出すと、アローの手に半ば強引に握らせた。


「ランエボのキー。ここはアタシが片付ける」


「なぁに、言ってんのよぉ…………ウッ……」


「お前ならランエボを預けても良いって言ってんだよ」


「ハァ……ハァ……」


 プラムの表情が冴え渡っている。何かを感じ取ったのか、アローは息を切らしながら小さく頷いた。


「無事に出られたら、ベル姉と保護課に状況を伝えてくれ」


「了解……ッ!」


 そう言って、アローは応急救護室を出ると、ビルの非常口に向かっていった。その後ろ姿を見届けたプラムは、懐から銃を取り出すと、弾を込め始めた。そして、室内で依然として立ち尽くす翔斗に静かに告げた。


「6階に行くぞ。隠し通路から脱出する」


 いつもは眠たそうな表情が、まるで別人のような冷たさを帯びている。

 


 正面玄関からビルに侵入したBは、異様な静けさに疑念を抱いていた。


 誰もいない……。罠か……? だとしたらマズイ……。


 袖のボタンに内蔵してある小型無線機を口に近づけて、本部との連絡を試みる。


「こちらB。ビル施設内はもぬけのカラだ」


 しかし、耳に装着した無線機のイヤホンから返答はなく、砂嵐のようなノイズが終始、Bの耳を覆うだけだった。


 ………ジャミングか。


 イヤホンを耳から取り外し、床に放り捨てる。すると、外から車のけたたましい排気音が聞こえてきた。


 女の車。いや、アクセルの操作音に若干の違いがあった。プラム──奴は間違いなくここにいる。


 数十分後には39委員会の私兵がここに来る……。全てを理解したB。体内の血がふつふつと煮えたぎる。温度が上昇し、地鳴りのような震えが全身を波紋の模様に覆っていく。

 今、自身が置かれた状況………任務と、Cの仇。せめぎ合う。Bは、にやりと不敵な笑みを浮かべた。


 Mielenkiintoista.おもしろい。

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