さて、『黒川翔斗』の護衛任務当日となった。プラムとアローは今日から契約期間満了まで、ひとりの高校生を守り通さねばならない。かと言って、ふたりに緊張した様子はなく、いつものように黒スーツを着て、ランエボで黒川邸に向かいながら、いつものように無駄話をしていた。
やがて、カーナビが設定された住所への到着を知らせた。大きな家だ。ゲートが閉じられた入り口の前で、プラムはランエボを停車させた。黒川邸のあまりの広さを、ふたりは口を半開きにして眺めていた。
「おっきいわね〜」
「普通に羨ましい」
すると、ゲートがひとりでにガラガラと動き出した。
「おいおい自動かよ。すげえ」
「入っていいんじゃない?」
プラムはギアをニュートラルから1速に入れると、徐行しながらランエボをゲートの中に入れた。中は玄関まで続く石畳の一本道と、砂利敷きの地面が広がっていて、家を囲うように松の木なんかの植物が植えられている。まるで庭園。いかにも「和」を感じさせる。ある程度進むと、玄関の扉から女性がひとり飛び出してきた。家政婦だろうか。エプロンをつけている。
「誰か出てきた」
「翔斗くんじゃない?」
「黒川翔斗は男だろ」
「じゃあ誰?」
「さあ」
「窓開けたげたら?」
アローに言われて、ようやくプラムは窓を開けた。窓がすべて開くと、エプロンを着た女性はふたりに挨拶もナシにものを言いだした。
「ちょっと困りますよ! せっかくさっき砂利を整え終わったのに!」
「え?」
いきなり怒り出した女性に理解が追いつかないプラム。アローは窓を開けると、ランエボが踏み進んだ砂利敷きの地面を覗き込んだ。砂利の下の地面がめくれ、タイヤの通った跡が付いてしまっている。
「あちゃー、ここ庭だったんだ。どーもスミマセン」
謝るアローに続いて、プラムも一応、ペコリとお辞儀した。
「もう……次からは気をつけてくださいね」
女性は不貞腐れた様子で玄関まで戻ると、誰かに声をかけた。すると玄関から、右肩にカバンを担いだ、ブレザー姿の少年が現れた。
「あ、あれ! 黒川翔斗くんじゃない?」
「多分そうだろ」
ふたりは車を降りると、こちらに近づいてくる少年と対面した。少年は挨拶するでもなく、終始真顔でふたりを見ている。目も微妙に合わせてこない。暗い雰囲気などお構いなしと言わんばかりに、アローははつらつとした声であいさつを始めた。
「はっじめまして〜! あたしアローでーす! 君が黒川翔斗くんだよね? 今日からよろしくね〜!」
「あたしプラム。よろしく」
ふたりの熱量の差がありすぎる自己紹介に戸惑うでもなく、少年は黙ったまま首だけコクリと折下げた。
なんだコイツ。感じワリーなぁ。
緊張してるのかな? かっわいい〜!
少年に対して抱く印象もまるで違うふたり。いつのまにか少年の元まで来ていたエプロン姿の女性が、プラムとアローに深々とお辞儀をした。
「どうか、御坊ちゃまをよろしく頼みますね。それでは御坊ちゃま、気をつけていってらっしゃいませ」
その時、少年が微かに舌打ちしたのを、プラムとアローは見逃さなかった。
「はいよ。任しといて」
「じゃあ翔斗くん、行こっか!」
ランエボの後部座席のドアを開けたアローの案内にお礼も言わずに、少年は終始不機嫌そうな顔で、黙ったままランエボに乗り込んだ。続いてアローも少年の隣に乗り込み、運転席に座ったプラムはエンジンを始動させた。エンジンの、唸るような音が庭園に響き渡る。
「一応防弾ガラスにしたけど、できるだけ頭下げといて」
プラムに言われて、少年は少しだけ頭を下げた。同時に、ランエボが砂利敷きの地面を進み始めた。
「あたしの膝の上に寝てもいいよーん」
「……」
ニコニコとした笑顔で少年をからかったアローだが、鮮やかに無視されてしまった。まもなく、ランエボは黒川翔斗の通う稽進学園高校は続く道路へと出た。向かう間、黒川翔斗の隣に座るアローは、ニコニコ笑顔で仕切りに質問を繰り返した。
「翔斗くんって、好きな食べ物何なのー?」
「………別に」
「えー! あたしうどん! きつねうどんが一番好き〜! じゃあ、嫌いな食べ物は? あと、趣味とか!」
「……………知らない」
アローの元気のいい問いかけも虚しく、黒川翔斗は不機嫌そうな表情のまま、ボソッと呟くように答えるだけ。かと言って、アローは凹むわけでもなく、終始ニコニコとして黒川翔斗に話しかける。
「じゃあさじゃあさ、あたしたちに何か質問ある? 今ならなーんでも聞いていいよ! 趣味とか、好きな色とか、彼氏いるの? とか!」
「……………」
プラムの運転する車に揺られる少年の表情が、わずかに変わった。
「……………あの……」
何か言いかけた少年。しかし、思いとどまったか、すぐに口を閉じてしまった。
「なになに? なんでも聞いて!」
明るい笑顔のアローに、やっと少しだけ心を許したのか、少年は恐る恐る口を開いた。
「……………ふたりは、こ」
その時、アローのズボンの左ポケットからスマートフォンの着信音が鳴りだした。
「ごっめーん! ちょっと待っててね」
振動するスマートフォンを取り出したアローは、すぐに通話ボタンを押して右耳に当てた。
「もっしもーっし。お疲れ様でーす! いやいやとんでもない! 全然大丈夫ですよ〜。急にどーしたんですかリーダー」
ん? ベル姉から電話……?
ハンドルを握るプラムは、後部座席で電話するアローの会話を聞くことにした。
「ハイ……ハイ……え?! やっぱそーだったんだぁ! けど意外だな〜! ……ハイ、ハイ。りょーかいでーす!」
会話を終えたアローは、スマートフォンをポケットにしまうと、懐から黒いゴム手袋のようなものを取り出して、はめ始めた。その様子を、プラムはバックミラーでちらりと見た。
「ベル姉から?」
「うん!」
「なんて言ってた?」
「柴崎竜介って覚えてる? 『Second Ocean』って古着屋のオーナー店長」
「あ〜、一緒にアロハシャツ買ったトコ?」
「そうそこ。少し前、Group Emmaとの取引で資金の横領事件があったでしょ? アレ、やっぱり柴崎店長が犯人だったらしいよ」
「えー、マジ? まぁたしかに怪しかったけど」
「ねー。いい人そうなのに、意外よねぇ。……ってことでさ、悪いけどSecond Oceanの近くに停めてくんない?」
「オッケー」
隣でニコニコと話す女性と、前で眠たそうに話す女性。その会話の妙な異質さに、黒川翔斗は戸惑っていた。やがて、プラムはSecond Oceanという看板が取り付けられた古着屋の近くにランエボを停めた。
「どっち使おっかなー」
「ん〜。サプレッサーがどんだけ役立つか知っときたいかも」
ギアをニュートラルに入れ、楽な姿勢になったプラムが言うと、アローはニッコリ笑顔のまま、懐から黒い物を取り出した。隣に座る黒川翔斗はギョッとして、思わず背筋が凍ってしまった。しかし、そんな彼をアローは気にかけることも、配慮したりすることもなく、ただニッコリ笑顔で黒い物をまた別の黒い物に取り付けた。
「じゃ、ちょっくら行ってくるわね〜」
「ういー」
やりとりを終えると、アローはドアを開けてランエボを降り、まるで買い物でもするかのような足取りでSecond Oceanに向かっていった。その様子を、黒川翔斗はただ呆然と眺めることしかできなかった。
Second Oceanは、2階建ての小さな建物だった。アローが小さな入り口のドアを開けると、ドアに括り付けられた小さなベルがカランカランと鳴った。それと同時に、アローはたくさんの古着が置かれたおしゃれな店内へと足を踏み入れた。
「柴崎店長おひさ〜! 元気してる〜?」
店内ではちょうど、パーマで髭を生やした男性が、アローに背を向ける形で服を畳んでいた。男性はアローの声に気づくと、くるりと振り返った。
「あーアローちゃん! ひさしぶ……っ」
パンッ。
乾いた音が、ランエボの中で待機するプラムと黒川翔斗にも確かに聞き取れた。やがて車に戻ってきたアローは、特に疲れた様子もなく、ぶつくさと文句を言いながら黒川翔斗の隣に座った。
「何よコレ〜。フツーにうるさいじゃないのよぉ。不良品じゃないの?」
「使い方が悪いんだよ」
アローの文句を一蹴したプラムは、素早くランエボを発進させ、学校に続く道路に復帰した。ものの数分の出来事に、黒川翔斗は理解が追いつけなかった。
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