辺りはすっかり暗くなり、住宅街にぽつぽつと明かりが灯る。黒川翔斗護衛のため、黒川邸に宿泊することになったプラムとアローは、貸し出された広い客間の立派なソファでくつろいでいた。
護衛任務なので、もちろん翔斗も同じ空間にいなければならず、不本意にもどこか掴めない女性ふたりと寝食を共にすることになったのだった。
「でさぁ、翔斗くんはさぁ〜」
「だから、彼女なんかいないって」
朝、謎の殺し屋に襲撃された翔斗は、心底疲れている。なので、今日はもうゆっくり休みたいのに、おしゃべり好きなアローがそれを台無しにする。
「え〜? ウッソだぁ。じゃあ好きなタイプとかいないの? あたしはねー、Black BabyのKAITOみたいな人がタイプ! 知ってる? Black Baby。イケメンバンドなんだけど」
「知らないってば」
しつこく話しかけてくるアローの隣で、プラムはソファに寝転がり、スマートフォンで何やら動画を見ている。動画からは、車のけたたましい音と共に、何やら実況解説者が視聴者に向けて熱く語っているのが聞こえてくる。大方、どこかのレースのライブ配信でも見ているのだろう。
すると、客間の襖が開いた。その瞬間、プラムとアローの表情が一変したのを、翔斗は見逃さなかった。……客間に入ってきたのは家政婦だった。
「おぼっちゃま。お夕食は何にされますか?」
「……いらない」
「それではお体に障ります。何か軽くでも召し上がってください」
「…………ハンバーグ」
「うわー! いいなぁ! おいしそー!」
「なんだ、ここは夕飯も家政婦さんが作ってんのか?」
「そうですが何か」
「………」
不機嫌そうに答える家政婦。翔斗の顔に虚しさが現れたのを、アローはハッキリと見ていた。プラムとアローのあの一変した表情も、いつのまにか元に戻っていた。
「おふたりの分も用意しますので、少しお時間いただきます」
「あー待て待て」
ソファからプラムが立ち上がった。ドタドタと客間を去ろうとした家政婦が、不思議そうに振り返る。
「悪いけど、任務だから炊事の見張りさせてもらうよ」
「はい?」
「ハンバーグに毒か何か盛られたら話にならんだろうが。その見張り」
「し、失礼な! あなた、黒川家家政婦の私を信じていないのですか?!」
「仕事だから仕方ねえだろうがよ。あたしも手伝うから、文句言うな」
「見ていただくだけで結構です! おぼっちゃまのお夕飯が不味くなります!」
そう言って、プラムは家政婦と共にキッチンに行ってしまった。客間には、アローと翔斗だけが残った。
「………ごめんね〜翔斗くん。プラムが余計なこと言っちゃって」
「……別に」
「お母さん、優しかったの?」
「……知らない。小さい頃父さんと離婚して、それから一度も会ってない」
「えーもったいない。会えばいいのに〜」
「嫌だ」
「どうしてー?」
「他の男とつるむような奴は母親なんかじゃない。父さんも、仕事仕事って家庭を犠牲にして、最後には白山さんを殺したんだ」
「知ってるー」
「あんなの、親なんかじゃないよ。人ですらない!」
思わず大きな声が出てしまった。しかし、アローは終始にこにこと笑っていて、そんな翔斗などまったく気にする様子がなかった。
「じゃあ家出なよー」
「え?」
「翔斗くんの言う通りだもん。そんなクズ親なんかさっさと捨てて、家出ちゃいなよ。めっちゃ楽しいわよ〜!」
にこにこ笑顔のまま言うアローに、翔斗は返す言葉が見つからずにいた。
「いや、あっでも……僕、まだ高校生だし」
「今年でもう卒業なんでしょー?」
「それは……まぁ、うん……」
「チャンスじゃん! 働けるよー!」
「………でも、来年からは大学生だし……」
「あ、大学行くんだ〜いいじゃーん! 時給のいいアルバイト教えてあげよっか? 学費もチョチョイのチョイ!」
「いや……あの……」
しどろもどろな翔斗。終始、まったく気にかける様子のないアローは、翔斗の肩をポンポンと叩きながら笑った。
「アハハ! 大丈夫よ〜闇バイトじゃないから! いっくらあたしでも、健全な青年の手を悪で汚すわけないじゃーん!」
………。
やがて、夕飯が出来上がったと、エプロンをつけたプラムと家政婦が客間のふたりに知らせにきた。食卓へ移動し、家政婦を含めた4人で夕飯を食べることになった。
「うんまっ!! え?! えっ?!」
「チョー美味しいんですけど! これどこのお肉ですか〜?!」
ハンバーグのあまりの美味しさに、もはやパニックに陥るプラム。アローも感激のあまり、涙が滲み出ている。そんなアローに、家政婦は困惑しながら答えた。
「普通にスーパーで買った牛肉ですけど……」
「え〜! すごーい! 美味しいです〜!」
「えっ?! えっ?! うまい!!!」
このふたり、普段何食べてるんだろう……。頰に汗が垂れる家政婦の隣の席で、翔斗はハンバーグがなかなか喉を通らずにいた。ついさっきの、アローとの会話が脳内に引っかかったまま、ぐるぐると走り回っている。
「………」
父も母も大嫌い。なら出ていけばいい。アローの言ったことは、極端なようで、何もおかしくない。それは翔斗にもよく理解できた。
だが……何が彼を悩ませているのか、家を出ようという気持ちに中々させてくれない。なぜ……? 父以外の男と遊ぶような、最低な母親なんか捨ててしまえ。仕事ばかりで、自身の地位のために同僚さえ殺してしまうような父など、捨ててしまえ。分かってる。分かっているのに、なぜ「巣立とう」と思えない……?
「え、あンっま!」
突如、耳に飛び込んできたアローの言葉。それは、翔斗に向けて発せられたものではなかった。
「このニンジン、とっても甘いですねー! てかプラム、ニンジン残しちゃダメよ! ベル姉に怒られるわよ!」
ハンバーグに添えてあるニンジン。アローは、このニンジンのことを甘いと言ったのだ。しかし、アローのこの何気ないひと言は、翔斗の胸の奥に、強烈に突き刺さっていた。
………。
おもむろに箸を動かす。ハンバーグを大きく切り分け、思い切り口に運ぶ。噛み切らないまま、ほかほかの白米をかき込む。よく噛んで、豚の甘みが効いた豚汁を胃に流し込む。
……美味しい。
いきなりがっつき始めたその様子を、プラムと家政婦、そしてアローは、キョトンとした表情で見つめるのであった。
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