競馬もの(仮)

れれれの
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種付け

公開日時: 2022年8月27日(土) 15:57
文字数:2,239

 季節は飛んで、春の四月。

 二月末に閉場した牧場から新たに雇った厩務員がやってきて、繁殖牝馬無断大量買い付け事件で牧場内のカーストが底辺まで落ち込んだ俺の残業当たり前の労働は終わり御迎えた。

 繁殖牝馬は競走馬と比べて調教がない分、楽ではあるのだが厩務員二人、俺を含めても三人で回すのは本当にきつかった。SNSの対応やグッズの発注の手が空いたら山田君も手伝ってくれたりしたが、病気や怪我が発生したらそちらに一人は手を割かねばならなくなり、この数か月いっぱいいっぱいだった。

 それでも乗り越えられたのは牧場のみんなで協力し合えたことが大きく、彼らには感謝してもしきれない。

 牧場の危機を乗り越えたところでやってくるのは、繁殖牝馬に付ける馬の選考だ。

 時間がなくてまったく選べていなかったので牧場長に任命した妻橋さんを除く柴田さん、山田君、尾根さん、大塚さん、俺、そしてオブザーバーとして海老原調教師が遠路はるばるやってきてくれた。現役調教師として何年もやってきているのだ、我々と別の視点でアドバイスをくれるに違いない。


「えー、では第一回桜花牧場繁殖牝馬種付け会議を始めます!」


「よっ! 待ってました!」


 山田君のテンションは案の定振り切れている。


「オブザーバーってのは構わないがよ、羅田じゃなくて俺でよかったのか?」


「羅田さん今引っ張り出したら死んじゃうでしょう」


「そりゃそうだが」


 羅田さんは今、ダービー卿チャレンジトロフィーとニュージーランドトロフィー、阪神牝馬ステークスにアーリントンカップに出場する御手馬の調教と体調管理で悲鳴を上げている。ちなみにレジェンは既に羅田厩舎に移っている。一月末で二頭引退したため馬房に空きが出来たのだ。故にお世話になった海老原調教師に相談して今回付けた馬を彼に預けようかと考えている。まだそれは黙っているんだがね、ロマン配合推されても困るし。

 議事進行役の大塚さんが「進めます」と言い場は鎮まる。


「まず一頭目、ロストシュシュです。お手元の資料をご覧ください」


「父ブラックボートに母父アンソニービーか。手堅い良血馬だな、主流のシャルロウショックを付けても濃すぎねぇしな。てか初っ端から高松宮記念とった馬かよ。恐ろしいぜ俺は…」


「ですよねですよね! 社長いつのまにかこんな名馬引っ張ってきて僕たちめちゃくちゃ驚いたんですよ!」


「すまんかったって…」


 実はこの調子でずっといじられてる。


「僕のオススメはリンガンナーティです! 産駒の調子もいいですし走る馬になると思います」


「尾根さんと社長はどう思われます?」


 大塚さんが俺たちに意見を求める。

 もう長い付き合いだ、言いたいことはそこそこ分かる。


「沙也加、値段が気になるんでしょう」


 尾根さんが言い当てた。


「財布を握る人間としては八頭で二億円以内に抑えたいと思っています。リンガン、シャルロウ、ええ構いません、構いませんとも。しかし、ここで大金を払うと最後のほうで息切れしてしまいます。それを頭に入れてください」


「えー! 初年度なんですからパーッとお金を…ヒッ!!」


 大塚さんにお金のことで意見しようなんざ勇気あるな山田。

 たわけたこと抜かしたら鬼に一瞬でなるってのに。


「まあ、現実問題としてよ。高額の種付けをした馬がポンポンいるってのはまだ島に慣れていない厩務員がいる状況としては余り喜ばしくはないな。俺と妻橋さんがフォローできる範囲で頼みたい」


 柴田さんが現実的な範囲での提案をする。


「血統だけが馬じゃないしな、生まれてからの性格や育成なんかも大いにかかわる。結局は高いから強いってじゃねぇんだ」


「それもそうですね…。でも、リンガンナーティを付けたいです!」


「おもちゃ欲しがる子供か君は」


「いいじゃないですか菊花とジャパンカップの長距離馬! ロングとエクステンド区分最強!」


「つーかよ、末脚強い短距離馬なのにクラシックディスタンス以上の距離が強い馬を付けるって愚策じゃねーかな」


「何を言うんですか海老原さん! うまくいけば全距離G1走れるかもしれないんですよ!?」


「んなスーパーホースいてたまるか!」


「いえ、社長ならできますよ! ねっ!」


「なにその無条件な信用」


 山田君、俺のこと二十二世紀の青狸と勘違いしてない?


「調教師からするとよ? そりゃあ全距離走る馬なんて拝みたくなるぐらい良馬さ。だがな現実的にはそんなバケモン存在しねぇ、だからレース番組はマイル中距離が中心で主流になってきてるんだわ。その中でもロストシュシュは短距離で成績残してるんだから短距離マイル狙いでの馬をつけるのが一番だと考えるのが普通だ。山田の言うのは自分の理想で、牧場の経営に即してはいないってことなんだから諦めな」


「おお…、海老原さん」


 神を見つけた狂信者のように大塚さんが海老原を拝む。


「な、なんだよ」


「山田君を抑えるの大変だから」


「そうそう、たまに塩酸の海に叩き込みたくなるわ」


「尾根さんそんなこと僕に思ってたんですか!?」


 君は仕事は満点だが言動でプラスマイナスゼロになっていることを自覚したほうがいいと思う。


「とにかく、老婆心ながら距離が短い馬を受けるのを進言するぜ」


「冒険するにはロストシュシュはもったいないわよね」


「お財布係としては短距離馬は安い傾向にあるのでそちらのほうがありがたいですね」


「とにかく牧場にとって初年度なんだから俺は適距離同士で付けて様子見したいね」


 もう本決まりみたいなものだな。

 短距離馬の種牡馬の中から選ぼう。


「リンガンナーティ…」


 まだ言うか。






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