競馬もの(仮)

れれれの
れれれの

運命の新馬戦前

公開日時: 2022年8月27日(土) 15:57
文字数:4,838

 白熱した選考会から二か月たった六月頭、全牝馬の受胎を確認して牧場一同はやっと人心地ついた。

 種牡馬の選考会はとにかく強いやつを付けたい山田と出費との兼ね合いを取りたい大塚さんが大激突。余りにも長引いたため尾根さんはギブアップを宣言し離脱、柴田さんも妻橋さんにヘルプを求められてこちらも離脱。つまり熱戦のストッパーが俺と外部の人間である海老原調教師しかいなくなる緊急事態に。


 一頭ずつ一頭ずつヒートアップするので、気づけば会議は五時間越え。埒が明かないので残りの馬を俺と大塚さんと海老原調教師で決めることにして、山田には一頭だけ好きな種牡馬を付けていいように取り計らった。


 山田に当てがったのは母父が中長距離の五冠馬、父が中距離四冠馬のジェネレーションズ。リンガンナーティを推していたので選ぶのは当然と思っていたが、こちらの思惑と違いシャルロウショックを選択した。シャルロウショックは日本種牡馬のレーティングで一位に輝くぶっちぎりで種付け料が高い馬だ。血筋もエリートで産駒は卒なくレースに出ることが多い。

 しかし、値段は一発四千万。外すことは金額的にもチャンス的にも許されない状況だった。


 シャルロウショックは種牡馬入りしたときにシンジケートが組まれている。一株七千万の四十株だ。その株を持っていない俺たちは巡り合わせで、空いていたシャルロウショックの種付けを受けることができた。本当にたまたまOKだったのだ。

 そんなこんなで種付けの全ての工程が終わったと思ったら、次はレジェンの新馬戦である。働くって大変。

 当初の予定通りに六月の新馬戦開始に合わせて出走できるように、羅田さんは調教を実行してくれている。「グリゼルダレジェンは他の馬主さんが哀れに思うほどに強い馬ですよ」とは彼の言葉だ。


 そして、羅田さんと細かいすり合わせをしてレジェンのメイクデビューは六月初週の土曜日の東京5R、1600メートルに決定した。

 同日、中京でも新馬戦は行われるがもう一度輸送負けしないかどうかを見ておきたいと羅田さんが希望したので東京競馬場に向かうことになった。

 当日は俺と山田だけが馬主として応援に向かう予定だ。広報担当の山田が同行するのは当たり前なのだがストッパーがいないのが大変辛い。頼むから大人しくしててくれよ。ちなみに出走が牝馬限定のある日曜日でなく土曜日なのは、日曜日の安田記念を見たい山田を残して俺が一人でさっさと帰るためである。さもありなん。


 六月は競走馬として出走するのは早熟馬ばかりなのでフルゲートになることはほとんどない。予定通りレジェンのメイクデビューは十一頭立てになり除外等はなかった。もっとも羅田さんから心配はいらないと告げられていたのだが。

 


そして、運命の新馬戦がやってくる。




ーーーーーーーーー



 レース前日で、美浦トレーニングセンターの厩舎に滞在しているレジェンはやる気十分で馬体もピカピカだった。

 羅田さんの他の馬主が哀れの意味がよくわかる。第1レースから行われる未勝利戦に出走する馬と比べるとデキが全然違うことが見て取れる、これは明日の一番人気はもらったな。


「鈴鹿オーナー、見ての通りの仕上がりです。足立騎手もやる気十分ですしこれはもらいましたね」


 羅田さんの満面の笑みが頼もしい。


「足立さんはもうあちらに?」


「ええ、レジェンと第2レースで騎乗する馬の調教を手伝ってもらって先ほど出発しました」


 足立騎手と入れ替わりになったのか。挨拶をしたかったのだが。

 翌日のレースに出走する騎手はレース前日の午後九時までにレース場にある調整ルームと呼ばれる建物に入り、外部との連絡等を絶たなければならない。八百長防止のためだ。

 時刻は十五時、別に電話をかけても問題ないだろうがなにかあっては困るし連絡は控えておこう。

 心の中で結論をつけてレジェンの首を撫でまわしていると。


「グリゼルダレジェンはいい馬ですね」


 厩舎に入ってきた男性に声をかけられた。

 羅田さんは一瞬硬直し、震える声をだした。


「吉騎手ですか」


「ええ、オーナーさんが来てるって聞いたんで営業かけとこうと思いまして」


 吉騎手は柔和な笑みでそう告げる。


「私と沼付君は癖馬ばかり回されますからグリゼルダレジェンみたいに大人しい馬は羨ましくて、ついね」


 笑えないジョークを飛ばす吉騎手に親しみを覚える。俺、この人好きだわ。

 海老原と違う親しみやすさを感じる。アイツは居酒屋で会う近所のオッサンの立ち位置だからな。


「初めまして、吉《よし》 武《たける》と申します。お見知りおきを」


「これはどうも、私は桜花牧場社長兼グリゼルダレジェン号オーナーの鈴鹿静時と申します」


 上着の内ポケットから名刺を取り出し、吉騎手に渡す。


「ありがとうございます。もし足立君とお手馬がダブったりしたときはご連絡ください。喜んで騎乗させていただきます」


「ははっ、その時はよろしくお願いしますよ」


 ではこれで、と吉騎手は去って行った。あの人も前日おこもりに向かったのだろう。

 視線を羅田さんに戻すとまだ硬直していた。何やってんだこの人。


「羅田さんは吉騎手が苦手で?」


「苦手というわけでは…。ただ、騎手の中でもベテランですから緊張してしまって」


「同じ競馬にかかわる人間なんですから持ち上げて考える必要なんてないと思いますが」


「それはそうなんですが、どうも気後れしまいます」


 本当に繊細だなこの人。

 微妙な視線を感じたのか羅田さんはゴホンと咳払いをし。


「ともかく一線級のジョッキーにリップサービスでしょうが声をかけていただいたのはラッキーです。なんらかの要因で足立君が騎乗できなくなったときに依頼することができますからね。私から依頼しても断られる可能性がありますので」


「まあ、レジェンの主戦は足立さんに決めてるんで来年生まれてきた子をお願いしてみましょうか」


「それはいいかもしれませんね」


 二人で戯言を言い合う。

 フラグってのはこういうのを言うんだな。



 案の定、問題が発生した。




ーーーーーーーーーーー




 翌日の東京レース場。広報の仕事で前日ホテルに缶詰めになっていた山田はテンションがマックス状態で大変に騒がしい。


「社長! 馬主ロビーに入場できるなんて感激です」


「分かったから中で騒がないでくれよ? いやマジで」


「いやだなぁ、そんな恥ずかしいことしませんって!」


 お前。

 いや、もう何も言うまい。


「ほら、第2レースの馬券買いに行きましょう?」


「好きに行ってきていいよ、俺はここでコーヒー飲んでる」


「はーい! わかりました!」


 元気なやっちゃ。

 馬券売り場に消える山田君を見送り、ロビーでコーヒーを飲んでいると「ここ、いいかい」と声をかけられた。

 見上げるとハンチング帽を被ったダンディーなおじさんが笑みを浮かべてこちらを見ている。


「どうぞ」


「お邪魔するよ。零細馬主だとバチバチにスーツを決めている馬主さんに近寄りがたくてねぇ」


「ああ、分かります。私も苦手です」


「出走馬主ロビーにいるのにラフな格好だからもしやと思ったがやはりか」


 おじさんも俺もワイシャツにスラックスのラフな服装である。

 俺は口取り式には山田君に参加してもらうつもりなので服装は楽なものがいいと思った結果がこれだ。

 おじさんも胸についてあるバッジは家族章でなく馬主本人のものなので俺と同等の考えと見た。


「そちらの馬はどのレースに?」


「新馬戦ですね。足立騎手騎乗です」


「ほう、では勢いのある羅田厩舎の?」


「ですね。完璧に仕上げてもらいました」


 それは楽しみだ、とおじさんは手に持ったアイスコーヒーを啜る。


「貴方はどちらのレースに?」


 おじさんはコーヒーを置き、二コリと笑みながら。


「アハルテケステークスさ。うちの子は孝行息子でね、所有するのは十三頭目なんだが初めてオープン馬まで昇ってくれてね。嬉しくて家族も連れてきてしまったよ。口取り式の記念撮影は恥ずかしくて調教師さんにおまかせするつもりなんだけどね」


 照れくさそうにおじさんははにかむ。


「お気持ちはわかりますよ。私も部下に任せるつもりですから」


「ほう、クラブの経営でも?」


「いえ、オーナーブリーダーなんです」


 これ名刺です、とおじさんに渡す。


「その若さで経営者かい。凄いね」


「成り行きでなっただけの新米ですけどね」


「それでも凄いさ、私も経営者だから起業の難しさは分かる。その若さでの成功は尊敬に値するよ」


 本当に成り行きで経営者になったので心苦しい。

 外から見たら有能に見えるんだろうな俺。

 後ろめたさを感じながらもおじさんとのおしゃべりを楽しむ。どうやら、この方は俺でも聞いたことのある鉄工所の社長さんらしい。名前は渡辺さん、とんでもない人と知り合えたもんだ。

 第2レースの馬券を買った山田君も紹介し、レースを見ようかと三人でターフが見える窓際に移動した。


「山田君は何買ったの?」


「もちろん、足立騎手が騎乗する8番のロックラックの単勝ですよ。応援馬券です!」


「いいね。山田さんは競馬を純粋に楽しんでる」


「ありがとうございます!」


 ぶっちゃけ俺よりも山田君のほうがおじさんと仲良くなってる。

 山田君のコミュ力の高さを見せつけられながら発走を待つ。ファンファーレが聞こえ、全頭ゲートに入って…。スタート! って!!


「うわ!」


「コイツはまずいな」


 スタートを切った瞬間8番のロックラックに9番が激突し鞍上が放り出された。

 そう、足立騎手である。

 彼はターフで転がったまま動かない。


「山田君、俺たちは下に向かおう。足立さんの様子も聞きたいし、レジェンは確実に乗り替わりだ」


「わかりました! 渡辺さん失礼します!」


「ああ、できることがあったら言ってくれ。協力するよ」


 ありがとうございますと返しながら馬主受付を抜けてパドックに向かう。

 連絡はこちらから取れないのでしばらく待っていると競馬場の職員と一緒に羅田さんがやってきた。


「羅田さん!」


「鈴鹿オーナー、時間がありません。職員の方と一緒に乗り替わりの騎手を探してますが捕まらない状況です」


「それより! 足立騎手は大丈夫なんですか!?」


 山田君が問い詰めるように言う。本気で心配しているのだ。


「頭を強く打ったようです、意識が戻っていません。このあと救急搬送されます。競馬場職員が同行してくれるそうです」


「わかりました。社長、僕が病院に同行しても? 連絡も取りやすいですよね?」


「うん、行ってきなさい。羅田さん、よろしいですね」


「私としてもありがたいですが…。よろしいので?」


「目が覚めた時に見知った相手がどうなったか伝えるほうがいいでしょうから!」


 職員さんがご案内しますと先導し、行ってきます! と、山田君は駆け出す。

 少し安堵した様子の羅田さん。緊急事態に慌てていたのだろう、少し落ち着きを取り戻したように見える。 


「で、乗り替わりは誰が候補に?」


「職員の方が声をかけてくださったのですが…、本日は専属で出走することを条件に乗っている騎手や4レースまで連闘が決まっていて疲労濃厚の騎手やらでどうにも噛み合わない状況です。最悪、新人騎手になりますが、なるべくそれは避けたいですね。グリゼルダレジェンが賢いと言っても相性がありますから」


 二人して頭を抱えていると職員の人が走りながらやってきた。


「代走のジョッキーが見つかりました!」


「どなたですか!」


 砂漠のオアシスを見つけた旅人めいた目の輝きで羅田さんが問う。


「吉騎手です! 9レースまで間が空くから乗ってもいいとのことです!」


「吉騎手、よろしいですかオーナー?」


「無論です」


「では、お願いしてきます。それではオーナー後ほど!」


 職員とともにドタドタとバックヤードに羅田さんは消えていった。

 しかし、うまく出来すぎている。

 前日に吉騎手と知り合って、足立騎手が落馬で乗り替わり? あまつさえタイミングよく吉騎手が乗ってくれるって? 何かに背中を押されているような運命めいた巡り合わせだ。

 

「お前は俺に何をさせたいんだ」


 使い慣れたスマートフォンに視線を落として問うも答えは返ってくるはずもなかった。




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