それから時は進み、かれこれ三年の時が流れる。
西に沈む夕暮れ太陽を映しこんだような、淡い橙の髪を持つ少女スコルと、極寒の大地の夜空に浮かぶ明瞭な満月の如く、銀色に艷めく髪を持つハティは無事に修行が――終わらなかった。いや正しくは、修行で筋肉がついた訳でもなく、ましてや完全に魔法に詳しくなったわけではないだけ。なにもしていない人からすると十分鍛えられていると言えるが、二人の師匠である九尾からすると三年経った今でもひよっこ。ただ三年間頑張った甲斐あり、修行は幕を閉じ、森の外……つまり故郷を離れることを許され、旅支度をしていた。
とは言うものの荷物はほぼ無いに等しい。なにせ三年経って色々成長した少女達の旅の目的は、旅行ではなく、母親であるフェンリルを見つけること。故に万が一必要なものがあれば、その場で調達したらいいのだ。
「よし、それじゃあいきますか、スコルさん」
母親が編んだ青いマフラーをふわりと首元に巻くハティは、厳しい修行の末に、最早抜けなくなった丁寧語で相方に話しかける。
「うん!私達の旅を始めよ~!」
「何度も言いますけど遊びじゃないんですからね。お母さんを探す旅ですからね?」
「も~わかってるってば~」
一方で相変わらずのほほんとしているスコルは、どことなく緊張感がなく、今から始まる旅を遊びと勘違いしてそうなほど、楽しみにしている様子だ。だからこそ遊びではないと言い聞かせるが、わかってると言い返すだけで満面の笑みが変わることは無い。その様子にため息をつきつつも、二人は装備を整え獣人の森の出入口へと向かう。
「お、来たねお二人さん」
「ライラプスさん!って……九尾さんは?」
「あいつならそろそろ来るよ」
出入口へとたどり着けば、ライラプスが見送りに来ていた。だが肝心の九尾の姿は無く、木に寄りかかる彼女曰く、そろそろ来ると言うがそんな気配もしない。例え向かってきているとするならば、多少なりと土を踏む音が鮮明に聞こえるはず。けれど何一つ音が聞こえない。強いて聞こえるとするならば、風が木の葉を揺らす音、それに微かに混じる動物たちの音楽しかない。となれば自然的に未だに来ていないと断定できるのだが――
「そんなに焦んなっと噂をしてたら来たみたいだね」
とライラプスがその言葉を吐いた直後のことだった。音を消しあたかもずっと着いてきていたかのように、双子の横をもこもこな黄金色の尻尾が横切った。いや、ずっと着いてきているはずがない。少女達が家から離れる時は二人だけ。この場所にたどり着いた時も二人だ。ならば今、合流したと考えてもいいだろう。だが何故足音が聞こえなかったのか……それはすぐに語られる。
「待たせたの。ちぃと外に出ることを禁止されてのぉ……見つかるとめんどくさいから転移できたのじゃ。全く、あいつは我をなんだと思っているんじゃ……」
「またお勤めさぼったのかい……ガルムが怒ると怖いって知ってるのに」
「だって毎日毎日つまらんのじゃ~!っとこんな話をしてる場合じゃないのじゃ。あいつが追ってくる前に……ハティ。お主が持つ魔導書を貸すのじゃ」
小さな九尾からガルムという者に対しての悪口が吐かれるものの、それよりも大事なことを思い出し、小さな手を差し出す。
魔導書に一体なにをするのか全く考えもつかないものの、形見である魔導書を渡せば刹那として、ぽわっと魔導書が白い光に包まれた……と思えばすぐに光は消えていた。一瞬の出来事で何が起きたのか、いやそもそも見た感じでは何も変わってないようにしか見えないが、何をしたというのか。
「よし。簡単じゃが調整が終わったのじゃ。フェンリルが使っておった魔法を記せる魔導書じゃ、といっても殆ど書かれてないんじゃが、まぁちゃんと大事にするんじゃぞ?」
「え……調整……?今何を……」
「魔導書の所有者をお主に変えたのじゃ。フェンリルは用心深いから、こうでもしないと魔導書を開けないのじゃ」
「そ、そうなんですか……ありがとうございます。というか……こんな時に聞くのも違うと思いますけど、九尾さんは本当に何者なんですか?魔法を使えるにしては詳しいし、時々大人になりますし……」
「た、ただの狐じゃ!」
ふと以前から気になってたことを、もう一度確認するように聞いてみるものの、やはり誤魔化される。誤魔化してまで自身の正体を明かしたくはないのかと思い、心残りが増えかけたところで。ライラプスが口を開いた。
「付き合い長いってのにまだ言ってなかったのかい……こいつは――」
「は、恥ずかしいから言わないで欲しいのじゃ!」と、ライラプスの口を塞ごうとぴょんぴょんと飛び跳ね、発言を妨害しようと必死。なんとも可愛らしいがお構いなしに彼女は言葉を繋げていく。
「――こいつは私らが住む獣人の森の巫女狐だよ。と言ってもご覧の通りサボり魔でもあるけどね」
「え~九尾さんが巫女~?ただの酒好きかと思ってたよ~」
「……あながち間違いじゃないね。暇さえあれば小さくなって、私の所で酒飲みに来る野郎だから」
巫女。それはこの森の中で一番偉い立場のこと。主に魔法を使い‘’天送リ”と呼ばれる死者の魂を天に還す仕事や、住民の声を聞き対応することが多い。簡単に言えば村長。しかし当の本人は、休憩と題し、力を使わない子供の姿となり、サボる癖が付いている。故に付き人であるガルムの目を盗んでは、森の中をほっつき歩いてライラプスの店に足を運んでいるのだ。
「ぐぬぬ……皆してプリチーな我をいじめて楽しいのかの!我は悲しいのじゃ!それに比べ酒は正直者なのじゃ~!我の身体を癒してくれるのじゃ~!」
「自分でプリチーって言うかい普通。というか飲みすぎは体に良くないって前から言っているだろう!?それにそれうちの商品!さては来る時に店の倉庫の中に入ったね!?」
「こ、今回はちゃんと払ったのじゃ!倉庫の中で!」
「ほほう?これで無かったらあいつにしばいてもらおうかねぇ?」
「それだけは堪忍してなのじゃぁぁぁぁ!」
いじめられていると勘違いした九尾は、しくしくと涙を流しつつ、どうやってかモコモコな尻尾から、ライラプスの店の商品である酒一瓶を取り出し、器用に栓を開け飲み始める。ここには商売道具を持ってきていないことから、直ぐに商品道具を保管している倉庫から取ってきたことなど一目瞭然。つまり盗んだのだ。
とはいえ九尾曰く代金は倉庫にあると言うが、ツケを滞納している九尾の言うことなど信用せず、本当に代金が置いてあるかわかるまではどうにもならないと、ライラプスは酒瓶を取り上げ自ら一気に飲み干した。
その光景に唖然と口を開けて言葉を失う三人。いやその内の一人、九尾だけは唖然と言うよりも楽しみにしていたものがなくなった子供のように、放心状態になってから酷く落ち込み始める。もちろんそんなことは知ったことではないライラプスは。
「うぇ……かなりあるねこれ……さっき普通に飲んでたのが驚きだよ……っと。話がそれたね。まぁともかく、こう見えて忙しい身で修行つけてやったんだ。旅先で簡単に死ぬんじゃないよハティ。スコル」
「は、はい……えっとお大事に?」
「あぁ……心配してないでさっさと行きな……」
さすがの光景に思わず唖然としてしまっていた少女達だったが、一言だけ酒を飲み干した瞬間から、顔色が一気に悪くなったライラプスに気遣う言葉をかけ森を後にした。直後。「ハティ待つのじゃ!」と、後ろから先程まで落ち込んでいた九尾が声をかけてくる。振り返りどうしたのかと訪ねようとすると。見知らぬ獣人が九尾の後ろに立っていた。
まさに狂犬という名が似合うほどに漆黒の毛を持ち、目つきが悪いがすらっとしており、中々な美形。なのに怖いほど睨んでいるせいか、[怒ると怖い]と少女たちの頭に刻まれる。とはいえその目線は二人に向かってのものではなく目の前にいる九尾なのだが、彼の雰囲気から周りまで怖がってしまうのだ。
「見ての通りガルムに捕まったから、ゆっくり話せないのじゃが、最後に伝え忘れたことがあっての。さっき調整した魔導書は新しく魔法を記入することが出来るのじゃ。残念ながらペンはここにはないのじゃが……まぁもし旅先で魔術語を見つけたら解読して自ら記入するといいのじゃ。それじゃあ良い旅をなのじゃ!」
「……なんか台風みたいだったね~。急に現れたと思ったらもう帰っちゃった。後ろにいた人なんて無言の圧で怖かったし……」
「確かに」と少し苦笑いを浮かべつつ、九尾が言ったことを考えながら、再び前へと歩みを進めた。
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