一方スコルは、何故か修行ではなく露店の配達バイトを強いられていた。
「ってなんでバイト~?修行つけてくれるんじゃなかったの~?」
「タダでは教えないし、教えてほしかったらちゃんと働きな!ほらグリンブルスティとこに配達!五分で戻ってきな!」
「ひぃ~鬼だ~!」
「だぁれがドーベルだって?文句言わずにとっとと行きなこのポンコツ!」
「ドーベルなんて言ってないよ~!?」
商売であるからこそ身も心も鬼にしつつ、されど修行とは関係のない配達仕事を任せているように見えるが、実はそうではない。彼女は彼女なりに修行をつけているのだ。配達はそのついでと言っても過言ではない。例えば走るだけでも途中で飽きる上に、体力も中途半端にしかつかない。ならばと仕事の一つである配達をやらせている。わざと重い荷物を持たせ、遠い距離をたった五分でと制限時間を設け、強制的に走らせることで身体全体を強化させているのだ。だが修行だとは一切伝えていない。故に少女にとって、ただ仕事を押し付けられているようにしか、感じていない。
それでもいつか、ちゃんとした修行をつけてくれると信じながら、配達仕事を暫く続けたある日。
「毎日毎日荷物運びなのは良くないか……とりあえず戻ってきたら休憩がてら飯でも奢るか……」
「それ本当!?あ、配達終わったよ~」
「まぁ働きすぎもよくないからね……ってスコル!?え!?まだ三分も経ってないのにもう終わったのかい!?」
「うん。さっきの届け先のラタトスクさん、今の時間ここからすぐ側の木の上で黄昏てるから、声をかけて一緒に来てもらって家の中に置いてきたの~。そしたらライラさんの声が聞こえて走ってきた~!えっへん!」
「あそこまで私の声が聞こえた……?」
褒めてと言わんばかりに威張るが、スコルに任せた荷物の受取人がいる栗鼠の獣人、ラタトスクの宅は露店から程よいくらいの距離がある。普通に考えてぼそりと呟いたライラプスの声が聞こえるなんてありえることではない。
否、スコルならばありえる話だった。少女のピンと立った耳は周囲の音を聞き分けることができ、かつ遠くの音も認識可能。故に遠く離れていても特定できる。
いやそれも否。耳の良さは少女だけでなく一部の獣人が持つ特性だからだ。しかしその内の一人のライラプスは、ドヤ顔をかます少女の耳の良さに唖然とする。なにせ彼女が発した言葉はもはや心の中で唱えたと言っても過言ではないほど小さな独り言なのだから。
けれども本当に驚くのはそこではなく軽く二十キロを超える配達物を背負い、三分もかからずに配達を終わらせたことの方が驚くべきことだった。ライラプスでも急いで五分かかる道を数分で走り、かつ配達先のラタトスクが今現在どこにいるかも把握し留守を回避。もはやここ一帯の地理を網羅しているだけでは、説明のしようもないことを少女はしでかしたのだ。
「スコル……ちょいと聞くがその記憶力と聴覚、脚力はいつの間に?」
「ん~……わかんない!全部いつのまにか~って感じだよ~?足だって気づいたら速くなってたし~」
「……これはとんだ逸材だね」
無意識のうちにその体力と速さを手に入れてるならば、明らかに接近戦に向いているのは明確。それにまだ子供だからこそ、伸び代がかなりある。鍛え上げれば人狼一、いや獣人一の脚力を持つに違いない。と少女の可能性を見出したライラプスは、ため息とともに頭を抱えつつ密かに心が燃え始めていた。
(こいつは間違いなく強くなる。それを見抜いたってことかい九尾は)と、今度は声には出さず、心の中でその言葉を留めると、何か思い出したかのように、素っ頓狂な声を出して。
「スコル!店仕舞いするから手伝いな!」
「あれ?今日はもう閉店~?」
「いいからやる!てかやれ!」
――言われるがまま店仕舞いを手伝わされたと思えば、強引ながらも鉄の森へと手を引き連れてかれる。働きすぎもよくないと言っていたのにも関わらず、そもそも動かないとは一言も言っていない鬼教官ライラプスは、ご飯を食べることを後回しにしてまでも、少女の修行相手になることに火がついたのだ。
「あれ~ご飯は~?」
「まぁ待て、今から一つ勝負だ。ルールは簡単……ただおいかけっこして私に触れればスコルの勝ち。五分間触れれなかったら私の勝ちだ」
「ん~……よくわからないけどライラプスさんに触ればいいの~?」
「ああ。街ん中じゃ本気はだせないからね。でもって私に勝てたら飯を奢ってやるよ。負けたら無し!」
「ええぇ~……」
「残念そうな顔をするんじゃないよ……お前が勝てばそれで済む話だろう?もっともそんな簡単には勝たせないけどね。それじゃあ……」
ほんの少しだけ間を取り「始めっ!」の言葉を放つ。共にライラプスはスコルの目の前から姿を消す。まるでおいかけっこではなく、隠れんぼに近いが、ただ木々により視野が狭くなっていることを利用し逃げているだけ。だが足音と“匂い”までは消えることは無い。その二つさえ揃っていれば、少女にとって姿は見えなくとも、どこにいるかなど一目瞭然であり消えたことに全く驚きもしなかった。
少女の嗅覚は双子であるハティよりも、いやこの国の誰よりも鋭く、それを利用すれば別の場所で修行しているハティの元へ行くこともできる程。とはいえちゃんと鍛えなければ森からは出ることは許されることではない逃げ出すことなど、親を探すと言った言いだしっぺにはもっての外。故にこの場を離れることはできず消えたライラプスを追いかける。いや、その他にも追いかける理由があった。それは――
「お腹減ったから絶対勝~つ!」
――それはただご飯を食べたいだけの理由。しかしその理由と空腹がかえって少女の力となり、さらに早く匂いを辿り、獣のように四つん這いで勢いよく駆ける。しかしその行為は大きな過ちでもあった。鉄のように硬い木々が不規則に並ぶ鉄の森で“速さが制御できない”状態で駆ければ、直ぐに鉄の木に吸い込まれるようにして、身体を打つはめになる。
スコルは周辺の地理を知っていても、空腹によりかはたまた、勝負に勝つ為か、そこまでは考えていなく、見事に身体を打ち付け苦しそうな声を上げる。しかしライラプスは心配など一切していない。逆に少女が自滅する事は目に見えていた。このおいかけっこは彼女自身がまだ小さい時に機動力を鍛えたやり方の一つ。過去に同じように走って思いっきり身体をぶつけた経験があったのだ。
「どうしたんだいっ!それで終わりかい、こののろま!飯食いたきゃ早く追いつきな!」
「うぐぐ……」
目に見えぬところから叫び声が聞こえるものの、ぶつかった拍子で未だに視界がぼやけふらつく少女。幸い重症ではないが、ぶつかった痛みで集中して匂いを辿ることはできそうにない。されど音だけはなんとか聞き分けられる。少しふらつきながらも音を頼りにライラプスを追う――と思いきや。「あう~ライラさ~ん……痛いしふらついて追えない~」とその場に倒れ込み、追えない旨を伝えたのだ。だがこれは少女のふと思いついた作戦でもあった。そんなことも知らずに言葉を聞いたライラプスが、スコルの元へとやってくる。
「ちょ!打ちどころでも悪ってうわっ!?」
ライラプスの心配をよそに、へらりと表情を緩めた少女は、身体が痛む中でかろうじて手を伸ばし、彼女の足を掴んで笑顔でこう言う。
「ふへへ……捕まえた~」
「な!あんたかけっこは負けだって――」
「降参なんて一言も言ってないよ~。動くの辛いのは本当だけどね~……おぉう、身体全部が痛い……」
「……なるほどね。してやられたってわけかい」
動けないと言うから打ちどころでも悪いのかと心配して来たライラプスだったが、簡単に少女の策略に引っかかってしまっていた。
というのも動くのが辛いのならば、追わずして来てもらえばいいと考えたのだ。しかし普通に来てと言っても来ることは無いのは目に見えているため、降参とは言わずして動けないと言った。一瞬、少女の言葉は屁理屈とも捉えることはできるが、負けを認めた訳では無いのならば、確かに勝負はついていないも同然。つまり勝手に勝負が着いたと思い、スコルに近づいたライラプスは必然的に負けになる運命だった。
「まぁ、仕方ないね……でも飯食う前にあんたを医者に見せないとね?」
「え、嫌だ~!」
「なにいってんだい!動けなくなったら仕事させられないだろう!?」
「結局仕事させる気だ~!おに~!あと痛い~!」
――それからというもの仕事を早く切り上げ、機動力を中心に鉄の森の中を走しり、時には武器の扱い方の修行を、ライラプスが奢るご飯目当てで行うのだった。
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