「――話を戻すけど、助けて貰ったお礼にこのペンとインク、そして魔法の書き方を教えるわ」
一頻りほのぼのとした喧嘩が終わると、徐ろに魔導書を開く。今まで本の中身など見たこともなかったハティだが、開かれたページを見てきょとんとした表情を浮かべ固まっていた。
なにせ、開かれたページには何も書かれておらず、漂白されたかのごとく真っ白。仮にインクで書かれているならば消えることは無い。仮に消えていたとするならばページを破かれているはず。しかしそんな痕跡もないのは一目瞭然。
魔導書というのは普通名前の通り魔を導く書で、一ページ目から最後までずらりと、されど細かく文字が記載されているイメージが強い。だが、真っ白なページを持つ魔導書はそのイメージを覆したのだ。言うなれば“未完成”の魔導書なのだから。
しかしキルケは、微動打にしない。それどころかこの魔導書は、これが正解だと言わんばかりに冷静な眼差しを向けている。
と思いきや、
「傷つける小さな光」と、聞いたことの無い単語で小さく唱え、自らの右手の人差し指に光を灯す。刹那、話し合っていた机をその光で傷つけ始めた。
と言っても机に焦げ目をつけ文字を描いているだけなのだが、全くもって読めない文字しか浮かび上がらずただ見守ることしかできない。
ほどなくして、
「今書いたのは、魔術語。唱えたのも魔術語のもの。私を含める魔女は魔術語を介さないと魔法を使えないのよ。でもその代わり自由度が高かいの。唱え方、単語の組み合わせ、媒体。それらによって魔法の練度は変わるし、別のものになったり……だから中には私のように何かに書く魔女もいる。そんな中、魔術を持ち運びつつ、誰でも使えるように、そして効果が変わらないようにってフェンリルと一緒に作ったのが、その魔導書とインクとペンなの」
ペラペラと説明しながら、淡くされど鮮やかに濁るインクの瓶に、ちょんとペンの先端を触れさせる。
曰く瓶の中に入った魔力で書くため、ペン先で触れるだけで使えるようになるという。
実際、触れたペンの先から瓶の間を繋ぐように綺麗な細い糸ができあがっている。
「こうやってインクをペンに繋げたら……あとは書くだけ。で今回は例だから……今机に書いたこの魔術語を、そのまま書くと……できた!おいで!シフォンちゃん!」
魔術語を記し終わった直後、キルケが言葉を発すると共に、本からポンと音を立てて煙を出す。されど直ぐに晴れ現れたのは小さくて丸っこい兎。毛もふわふわで見ているだけで癒されるはずだった
現れた直後、一つの生命体として活動を始めあちらこちらへと飛び跳ね回り、自らの体を傷つけ始めたのだ。無論飾り物なども床に落ちて散乱している。
慌てて何とか捕まえようと試みるが、小さい上すばしっこく、捕まえようにも捕まえれなかった。
原因はナヌーク。小動物からしたら熊など大きな動物は天敵。それが目の前にいたのだから必死に逃げようと暴れるのは当たり前のことだ。
即ち兎を止めるのならば、ナヌーク自身がその場から離れなければならない。
しかしそれを知らぬ皆は、捕まえるだけで息を切らす。
否。キルケだけ冷静であった。先ほど書いた魔導書のページに手を添えると、
「戻ってシフォンちゃん!」
たった一言。されどその一言で暴れ回る兎の動きが止まり、光となって魔導書に吸い込まれて行った。あんなにわがままで、すばしっこい兎だったのに、最後の最後は呆気なくその場から消え去った。
「いやぁ……まぁこんな時もあるわよ」
「も、戻せるなら早く戻してくださいよ……急に暴れ出すから……疲れたじゃないですか……」
「まぁまぁ。これでわかったでしょう?この魔導書は何も書いてないのが正解。そして空白のページに魔術語を書いたり……魔術語を理解できるようになればオリジナルを作ったり。私達魔女はそういう魔導書に書かれたものを魔導術って呼んでるのよってことではいこれ」
家の片付けに追われてるナヌークを横目に、積み重ねられた本束の下から勢いよく引き抜き、にっこり笑顔で差し出したのは古く若干カビっぽい匂いが着いた薄くも分厚くもない一冊の本。小柄なのに意外と力が強いことには驚きだが、ナヌークのため息が耳を刺した。
とはいえ怒る訳ではなく単なる呆れのため息。魔力切れを起こす前は、いつもキルケのだらしなさに参っていたのだから、怒るだけ無駄なのだ。
渡された本をパラッと開けば、魔術語と読みがずらりと並んでいた。
「それ、フェンリルが使ってたものよ。よくここに来ては魔術語を勉強してたし。まぁ、三日坊主だったから一部しか書いてないし、こうして私の家にある訳だけど。せっかくなんだし勉強して自分なりに魔導術を作ってみなさい」
話が終わると共に何かを思い出したのか、「ってそういえば」と、唐突に話を変え何故フェンリルの子供がここにいるのかと聞いてくる。
目が覚め、見知らぬ獣人がここにおり、なおかつその二人がかつての友人の子ならば、聞きたくなるのは間違いない。
もちろん二人は隠す必要なんてなく、ましてや人狼と知りつつも怖がることは無い人。安心して理由を打ち明ける。
「――なるほどね。連れてかれたフェンリルを助けるためにね……でもなんで連れてかれたのかはわからないと」
「はい。理がどうとか私達に言ってましたが……それがなんなのかも分かりませんし」
「理……ね」
と悩む彼女に寄り添う熊。しかし何を話すわけでもなくただ硬直し、ぼーっとしているようにしか見えない。
否。それは外見上のこと。実はテレパシー近い魔法でキルケに話しかけているのだ。
『話の間を割るようですまないが、もしかして……』
『そのもしかしてよ。この子達の親、フェンリルは理に負けて封印……ってところかしら。もしくは人間がそれを利用して自我を失ったフェンリルを戦争にでも狩出すつもりだと思う』
『っ……!』
『それが“人間”よ。利用するだけして不必要になったら即座に切り捨てる。貴方も元人間とはいえ、いいご身分よね』
悩む姿のまま固まっているようにしか見えないキルケを心配し、「どうかしました……?」と声をかけるハティ。
「あぁ、なんでもないわ。ちょっと考え事をね……まぁ、安心しなさい。急いでるのはわかったからここから出してあげるわ。あ、でも明日ね。今日はゆっくり休んでくといいわ」
もし、もしも人間が利用するために連れて行ったとするならば……ナヌークと離したその内容は伝えるべきではないと判断し、誤魔化す。けれど誤魔化されたことはどう考えても見え見えで、疑いの目でじっと見ると。
「そんな目で見てもなにも出ないわよ?」
「い、いえ。なんか誤魔化された気がしたので」
「誤魔化したというか……ぶっちゃけちゃうとナヌークと話してただけよ?テレパシーで」
「本当ですか?」
「信用してくれないなぁ……」
少し笑いながらも困り顔を見せるキルケは、『これで信じてくれる?』とテレパシーで二人の頭に直接言葉を発する。経験のないことに驚き、ぽかんと口を開け呆然としてしまう。
そもそも魔法自体ここ最近でようやく使えるようになったのだ。驚くことなど無理はない。
流石に実際聞いてしまっては、信じざるを得なく、されど話してた内容の事までは話を逸らされ、少女達に伝わることは一切なかった。
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