「ねぇ、平山くんって、どうして毎日私のことを忘れるの?」
昼休み、霞ヶ関千春は何気ない口調で尋ねた。彼の隣に腰を下ろし、購買で買ったパンを指先でつまむ。彼女にとって、こうして誰かと食事をすることすら久しぶりだった。
「んー? どうしてって……あはは、ごめんね。僕、昔から人の名前とか覚えられなくてさ」
久遠は照れ笑いを浮かべながら、唐揚げを口に放り込む。
「名前だけじゃないでしょ」
千春はじっと彼の目を見た。
「昨日、私たちは話した。けど、あなたは今日になったらそれを覚えていない。それって、普通じゃない」
彼はフォークを持つ手を止め、千春を見つめ返した。
「……そっか。千春ちゃんは、気づいたんだね」
久遠は少し困ったように笑い、テーブルの上で指を組んだ。
「僕さ、毎日世界が"リセット"されるんだよ」
「リセット?」
「そう。僕の記憶は、一日しか続かない。夜、眠ると、昨日のことが全部消えちゃうんだ」
「……」
千春は、胸の奥がざわつくのを感じた。
「でもさ、不思議なことにね。忘れるのは嫌じゃないんだ。むしろ、ちょっと楽しいんだよ」
「楽しい?」
「うん。だって、毎日が新しいから。昨日のことを覚えてないってことは、毎朝新しい世界にいるみたいなものだろ?」
千春は言葉を失った。
彼女は「永遠の記憶」を持ち、どれだけ死んでも記憶を手放せない。一方で、久遠は「昨日を持たず」、新しい一日をまっさらな気持ちで迎えている。
——この人は、私と正反対だ。
「もし千春ちゃんが僕みたいに昨日を忘れられたら、何をしたい?」
不意に、久遠が問いかけてきた。
千春は、考えた。
もし、自分の記憶がすべて消えたなら。何千年も生きてきた苦しみを、何度も繰り返した別れの痛みを、全部忘れることができたなら——。
「……生きることが、少しは楽になるのかもしれない」
千春はぽつりと答えた。
「そっか」
久遠は、優しく微笑んだ。
「じゃあ、僕が毎日忘れてあげるよ」
「……え?」
「千春ちゃんが抱えてること、全部。僕が覚えていられないなら、そのぶん毎日話してくれたらいい。そしたら、千春ちゃんの"昨日"を、僕が"今日"に変えてあげる」
千春は、言葉を失った。
——こんなことを言われたのは、初めてだった。
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