心地良い風に髪や頬を撫でられ、意識が浮上する。
「……んぁ?」
渇いた喉からかすれた声が漏れ出る。
目を開けると、視界には真っ青な空が映った。雲で隠れていた太陽が不意に姿を現す。陽光の熱に目を軽く焼かれ、チリチリとした刺激が走った。
「うぐぅ……」
予期せぬ痛みから逃れようと顔を背ける。
空と陽光の代わりに見えるのは草木が生い茂る、まるで草原の風景だった。見慣れた建物やコンクリートの色は一切見えない。
「どこだ、ここ?」
全く記憶にない場所だった。
「何でこんなところで寝てたんだっけ?」
眠る前の記憶を辿ろうとするが、靄がかかったように思い出せない。
改めて辺りを見回す。
風や水の音、虫と鳥の鳴き声だけが聞こえる、とても静かな場所だった。
──ガチャンッ。
上体を起こすなり、人工物が一切見当たらないこの場所に似つかわしくない金属音が鳴った。
すぐ脇に何か落ちている。
「何だ、これ?」
棒状の物体。
鞘に納まった一振りの刀のようだった。
腹の上に乗っていたが、起き上がる拍子に落ちたらしい。
「一体誰のだ? いや、そもそも何で俺の上に?」
周囲には持ち主と思しき人物はおろか、人の姿はなかった。
「……もしかして、俺のだったり? こんなオモチャ持ってたかな?」
試しに片手で持ち上げてみる。
「うわっ、重っ」
見た目以上の重さから、慎重に両手で取った。
「あれ? この重さに、この握った感じ、知ってる気が……。確か……そうだ、修学旅行で寄った博物館に飾られてた、本物の刀を再現したとかっていう展示物だ」
今手の中にある重さは、その重さによく似ている気がした。少なくとも、プラスチックなどの安っぽい作り物が出せる重さではない。
「まさかこれ、本物?」
刀身まではわからないが、鞘は金属らしく、異様な冷たさを纏っていた。
光沢を持つ鞘に映る自分の真顔に、やがてプッと笑う。
「んなわけないか」
真剣がこんなところに落ちているはずない。きっと重さを再現しただけの模造刀か何かだろう。
シンリは刀をそっと地面に戻し、ゆっくりと立ち上がった。
ずっと寝ていたからか、少しばかりふらつく。
「もうすぐ冬なのに、妙に暑くないか?」
手団扇で扇ぐ。
昨夜は寒いくらいだったはずなのに、今はまるで春の陽気だ。
シンリはいそいそとブレザーを脱ぐ。
不意に一陣の風が吹いた。汗をかいた身体に帯びていた熱が、あっという間に消え失せる。
「風が気持ち良い」
全身で大きく伸びをした。
目いっぱい深呼吸して、寝惚けた脳を覚醒させる。大自然の空気が全身を巡った。
「それにしても……ここはどこなんだ?」
自分の格好を見下ろす。
制服を着ていて、足元にはカバン。
「えっと、確か……」
こめかみをトントンと人差し指で小突く。
「学校に行って、午前の授業──は眠かったからずっと寝てて、昼休みには購買で買ったパンを食べた。それから午後の授業は落書きしてて……放課後には告白と。それで……そう、帰り道に本屋で本を買ったんだ」
慌てて足元のカバンを拾い上げた。
記憶通り、中には本屋の名前が書かれた紙袋が入っている。
「あのとき買った本だ。そうだよ、やっぱり学校帰りだったんだ。その後は……どうしたか全く思い出せないけど。それで、ここはどこ?」
視界に映るのは、右も左も、ついでに後ろを振り返っても、少し先まで遮蔽物のない草原だった。シンリが立っているところから円形に、ぐるりと木も生えていない。いや、近くに立派な樹木が一本だけ生えている。だがそれだけだ。草花以外には何もない、開けた場所だった。見覚えのない景色だけが広がっている。
「まさかこの歳で迷子に!?」
新聞の見出しに、自分の名前と『迷子の少年を救助』の文字が並ぶのを想像し、頭を抱える。一生の恥とはまさにこのことだった。
思い切り悩み、悩み、悩み──不意に張り詰めた思考が緩む。
「まぁ、何とかなるか」
いくら悩んでも、わからないものはわからない。
そう考えたシンリは、適当に方向だけを決める。
「とりあえず歩くかな」
しかし、一歩目で立ち止まり、振り返った。
「あれ、本当に俺のじゃないよな?」
視線の先にあるのは先ほどの刀。
どう見ても、この穏やかな場所に元からあったものではない。地面に置かれた刀は、この場においても異質さを醸し出している。
遠目に見ているだけで息を呑むほどの存在感を放っていた。
「……落とし物かな? だったら交番に届けるべきだよな。そのときに、ここがどこか聞いて帰り道を教えてもらおう」
呑み込みかけた息を逆に吐き出し、刀を拾う。
「そういや俺、夢を見てたような……何だっけ?」
見ていたはずの夢を思い出そうとする。だが、どうしても思い出せない。
歩き始めてからもずっと考え込んでいた。必死に思い出そうとしながら、見覚えのあるものがないかを探す。
シンリの手に握られた、一振りの刀。
学生服を着た一介の高校生には、とても似つかわしくない存在。
だが気付けば、刀を持っている感触も重さも気にならなくなっていた。
むしろ驚くほど自然と手の中に馴染んでいた。
まるで最初からシンリのものだったかのように──……。
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