倒れた人狼の体は徐々に透明なゼリー状に変化し始め、やがて空気に溶け込むようにその姿を消していく。マナを糧とする使役獣は、通常の魔物のように死後にその肉体を残さないのだ。
才吉も安室も、ぐったりと床に座り込む。何とかあの化物を倒すことができたという安堵感で力が抜けてしまっていた。安室の外傷はさほどでもないが、マナの消耗がかなり激しい。才吉の方は、左前腕の咬傷を除けばそれほど問題ではなかった。
「安室隊長、大丈夫ですか?」
「まあ何とかね……。あなたこそ傷だらけじゃない。服もボロボロだし、見た目はひどいものよ」
「左腕以外はかすり傷ですよ」
そう言いながら才吉はポケットから大きめの布を出すと、左腕の傷口を縛った。出血は何とか止まりそうだが、心配なのは感染症か。そう才吉は思った。
そんな彼の意を察したのか、安室は腰ベルトに通した小型の携帯ポーチから何かを取り出す。それは木製の短い筒のようなもので、蓋を開くと中には直径五ミリほどの丸い粒がいくつも入っていた。
「獣に傷を負わされた時に飲む丸薬よ。あなたも一粒飲んでおきなさい」
「あ、ありがとうございます」
それは口に入れるとかなり苦かった。渇いた喉に無理やり押し込むように、才吉はそれをゴクリと飲み込む。
ふと二階の踊り場に目を向けると、愛喜が手すりにもたれてぼろぼろと涙を流していた。
「な、何じゃ……、お主らは? わしの、わしの可愛いワウルとサラを……」
「ちぇ、何泣いてんだよ。こっちだって命がけだったんだぞ」
才吉は少し気まずさを覚えながら、そう呟いた。そんな彼に、安室はこう尋ねる。
「那須野くん、今の聞いたかしら?」
「え?」
「あの小娘、ワウルとサラって言ったわ」
「ワウルトサラ?」
「多分、人狼と火蜥蜴のことよ」
「それじゃあ、煉さんたちも火蜥蜴を倒したんですね?」
才吉は中庭の方を見る。だが、薄暗がりの中に煉たちの姿は確認できなかった。きっと無事に収容所に向かったはず、彼はそう願った。
そのとき突然、愛喜の半狂乱の声が響く。
「許さん……、許さんぞ! 絶対に生かしておくものか!」
途端に愛喜の額と左右の手が銀色の光りを放つ。
「なに!」
「まさか! 紋様が三つ?」
才吉たちは叫び、驚愕した。
「じょ、冗談じゃない! まだ何かいるんですか?」
「そんな情報はなかったわ! どういうことなの? なぜ三つ同時に?」
才吉と安室は立ち上がり、互いに背を預け周囲を警戒する。すると突然、安室が握っていたメイスを勢いよく投げつけた。才吉が驚いて見ると、それが向かった先は愛喜であった。メイスは高速回転しながら一直線に飛び、愛喜に直撃すると思った瞬間、何やら透明な膜のようなものに弾かれてしまう。
「なっ! 物理障壁魔法?」
安室が驚嘆の声を上げる。
「どういうことです?」
才吉の問い掛けに、安室が叫ぶ。
「あいつ、どこかにもう一つ主発現部位を隠し持っているわ! 今の無防備な状態を見越して、予め体の表面に物理障壁を展開してたのよ!」
「使役魔法だけじゃないのか? 主発現部位が四つ?」
その直後であった。足元が大きく揺れ動き、才吉と安室はバランスを崩す。
次の瞬間、突如大きな物体が床から湧き上がる様に二人に迫った。それは横方向から二人に激突し、彼らを数メートル先まで吹き飛ばした。
「ぐはっ!」
床に打ちつけられた才吉が痛みとともに目にしたのは、床からはがれ集まった石の塊。その集合体はまるで人間を模したかのように、いびつな手足を二本ずつ生やしている。
「ま、まさか! 魔法人形?」
才吉の背筋に悪寒が走った。あまりの事態に痛みも忘れ、彼の体は無意識に立ち上がる。才吉はハッとして安室の様子を窺った。彼女は蹲ったまま、立ち上がろうとしない。
「安室隊長! 大丈夫ですか?」
安室は額に脂汗を滲ませ、苦悶の表情を浮かべていた。
「腕を……、折られたわ。多分……、鎖骨も」
生身の人間が無防備な体勢で魔法人形の一撃を受けたのだ。無事でいられるはずがない。才吉は改めて自分が身体強化能力に守られていることを実感した。
安室はすでにマナも限界に近く、その上利き腕と鎖骨を折られている。もはや彼女に満足に戦える力は残っていない。内臓や血管などに損傷があるかどうかはわからないが、とにかくいち早く医者に診せる必要がある。才吉はそう判断した。
そんな危機を認識した瞬間、才吉の中で何かが弾けた。胸にかけたペンダントから急激にマナが流れ込む。これまでにない吸収量に驚きつつ、徐々に体の内から闘気が溢れ出てくる。全身にみなぎる力、研ぎ澄まされた感覚、それらは先程までの自分を凌駕しつつある。それは彼が第二層レベルへと達した瞬間であった。
「安室隊長、壁際まで後退できますか? こいつは僕がやる」
「一人なんて……、無理よ」
安室は息も絶え絶えに答える。確かに無謀かもしれないと才吉は思った。魔法人形は人狼よりも格上の魔物。だが、これ以上仲間を傷つけさせるわけにはいかなかった。
才吉は安室の目をしっかと見据え言葉をかける。
「大丈夫、信じてください。こう見えても拳聖の子孫ですから」
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