社会に出るまでのモラトリアム期間を謳歌する大学生とはいえ、当然お金がなければ遊びに行くことも儘ならない。新年度早々に迎えるゴールデンウィークという大型連休は、ひたすら遊ぶ学生もいれば、彼らを持て成すバイトに勤しむ学生もいる。普段からあまり遊び歩くわけではない茂良野聖那は、友人と旅行する程度の予定はあったものの、大型連休全日を潰す程度には及ばなかったため、普段体験できないような仕事をしてみようと思い立ち、東京都西部・奥多摩のとあるキャンプ場へ泊まり込みの短期バイトに訪れていた。近年ブームとなっているキャンプ場の管理業務は多岐にわたるが、この日聖那は敷地の外れにある池の傍で1人薪割りに従事していた。キャンプ場からやや下ったところにある池は周回5分と掛からなさそうな小規模なサイズだが、キャンプ場の客が周辺にテントを広げることはできず、基本的には散策で覗ける程度である。客からは見えない場所での仕事とはいえ、ただ1人ひたすら薪を割り続けてはねこ車で運び坂を上り下りする周回作業にそろそろ疲労を隠せなくなってきていた。
聖「泊まり込みの短期バイトとはいえ…思ったよりも重労働だな…」
普段から運動不足気味であったことも起因し、ねこ車を引き摺る手脚ともだいぶ力が入らなくなってきた。
聖「でも残り割らなきゃいけない薪もあと少しだし、もう少しでバイトも上がりだし…最後の力を振り絞ってやるか」
そう呟きながら古びた斧を手に取り、薪をセットして勢いよく振り上げる。しかし柄にもなく気合を入れるようなことをしてみた結果、力を入れ損ねた両手から斧がすっぽ抜け、背後の池にジャバンと音を立てて沈んでしまった。
聖「うわあ!やべぇやっちまったぁ…キャンプ場の備品なのに…」
思わぬ失態に身体中が冷たくなってくるような焦燥感に襲われていると、斧を落とした辺りからブクブクと気泡が立ち、次に瞬きをしたときにはヒト型をした何かがそこから湧き上がってきた。白銀の衣を纏った少し小柄な金髪の女性である。池の中から現れたというのにまるで濡れている様子がなく、何か煌めいたヴェールで全身が覆われて撥水の役割を果たしているかのように見えた。
「…貴方が落としたのは、この金色の斧ですか?それともこちらの銀色の斧ですか?」
女性は池に手を突っ込むと刃が金色に輝く斧と銀色に輝く斧を引っ張り出し、聖那に向かってそれぞれを掲げて見せた。
聖「いや、違います…キャンプ場の備品の、ちょっと草臥れた斧なんですけど…」
そう答えると女性は満足そうに微笑んで、続け様に聖那が落とした斧を引っ張り出して陸の方に近づいてきた。
「貴方は正直な人ですね。正直な貴方には、この3本の斧すべて差し上げます」
聖「…えっと…その草臥れた斧だけでいいんですけど」
「えっなんで?」
聖「なんでって…金銀の斧なんて持って帰るのも面倒だし、キャンプ場に提供するのも不自然だし…」
「ネットオークションで売り捌いてもいいんですよ?キャンプ場バイトの日給よりもお財布に溜まりますよ?」
聖「俗っぽいこと言うな…とにかく本物の金銀かも解らないのに、そんな荷物遠慮させてもらいますよ。この草臥れたのは拾ってくれてありがとうございました」
内心如何わしさを拭えず、何より池から現れた不審な女性にあまり関わりたくなかったので、聖那は体よく断って足早に去ろうとした。
「……が、あるんです…」
しかしその女性は、震えた声でボソボソと何かを訴えようとした。聖那が振り向くと、その女性は涙目になって両手の金銀の斧をこちらへ振り翳していた。
「…ノルマが!あるんですうう!!」
聖「うわああわかったから、取り敢えず落ち着けええ!!」
「…申し遅れました、私はこの池の女神を務めております、ハルメースと申します。ハルとお呼びください」
ハルメースと名乗る女性は膝下が池に浸かったまま、落ち着きを取り戻して聖那に対して会釈した。
聖「えーっと…ハル…さんはこんな池で一体何をしているんですか?」
ハ「正直者が報われるような世界を培っていくため、大いなる神より遣わされております。具体的には先の様に、池に物を落とした人間に対して、その物を金と銀で複製して提示し、本当にこれを落としたか否か尋ねることで、人間が欲をかき嘘をつかないかどうか試しているのです。欲望に溺れず正直な回答をした者には、池に落ちた本物に加えて金と銀の複製品を褒美としてお贈りすることとしています」
聖「なんか古典的というか…そういう童話の舞台って池じゃなくて川だったような」
ハ「川だと担当エリアの線引きが難しいので、池ということになったそうです。日本全国の池に、同じように女神が遣わされております」
聖「さいですか…それで、さっき叫んでいたノルマっていうのは」
ハ「そうです。私たちはただ池に潜んでいるだけではなく、きちんと人間を正すために活動しなくてはならないのです。正直な回答をした者に金銀の複製品を贈呈し受け取ってもらえれば、活動したものとみなされポイントが入る仕組みになっています」
聖「正直な回答をした人に、池に落とした原本を返すだけではポイントにならないんですか」
ハ「それだとただ池に落ちた物を拾ってあげただけになってしまうので、人間の欲望を試したという実績が残らないのです」
聖「余計なタスクを課して現場の手間が増えるっていう社会のあるあるか…」
ハ「そしてそのポイントを一定水準稼がなければ、活動力のないダメな女神として烙印を下されてこの世界からは追放されてしまうのです。私は今年の4月からこの池に遣わされているのですが、まだ両手で数えられる程度の人間しか試すことができておらず、そのうち金銀の複製品を譲渡することが叶ったのはまだ1人か2人…ほとんどの人間は正直な回答をしてくれるのですが、貴方の様に金銀の複製品の持ち帰りを拒んでしまうので、私のポイントは一向に貯まらないのです」
聖「それはもう、目的とポイント付与の仕組みが噛み合ってないので制度の見直しを訴えた方がいいのでは」
ハ「世間はゴールデンウィークだというのに!人間は全国各地に旅行で赴くというのに!この池に物を落とす人間はほぼ皆無!やはり閑古鳥が鳴くだけのこの池はハズレの派遣先…前任の女神の様に私も追放されるに違いない…!」
地味に日本のカレンダーを把握していたりする辺り、女神と聞くには違和感が拭えないが、再びヒステリックになりつつあるハルを聖那はなんとか宥めようと努めた。
聖「あーあー落ち着いてくださいって!派遣されたばっかりなんですよね?これからの季節キャンプ場の客も増えてきますし、ここでもまだまだチャンスはいっぱいありますよ!」
ハ「…本当に?もしかして貴方、この池のこと宣伝してくれる?」
聖「うええっ!?ど、どうですかねぇ…キャンプ場の管理人に相談しようにも、この池は厳密にはキャンプ場の敷地外だし…」
ハ「なんでもいいからSNSで拡散して、バズらせる?こととかできるの!?」
聖「だから何でそんな俗世っぽい知識あるんだよ!?」
ハ「あーでもごめんなさい、女神は写真や動画で姿を残しちゃいけない契約になってるんです」
聖「肝心なところ面倒臭いな!?それだとただの池の絵しか撮れないだろ!?…じゃあ金銀の複製品は?この池に物を落としても正直者は金銀の複製品が貰えますーみたいな感じで」
ハ「それって…人間が正直かどうか試す意義は果たせるのでしょうか」
聖「知らねーよ!!こんなんじゃバズらせるなんて夢のまた夢だろうよ!!」
「あっ!?おいそこ、危なーーい!!」
煮え切らないハルの態度にやきもきしていると、背後の坂の上の方から突然何か大きな物が転がり落ちてくるようなゴロゴロという音と、それを追いかける必死の叫び声が飛んできた。
聖「なんだ!?うわっ!!」
間一髪聖那は横っ飛びに回避すると、同時にザバーンと大きな飛沫が上がって転がり落ちてきた物が池の中に突っ込んだ。驚いて音の方を振り返ると、乗用車が1台ぶくぶくと頭から池に沈んでいるところだった。
「いやーすみません、お怪我はありませんか?」
先程坂の上から車を追いかけていたであろう茶髪の青年が、聖那の方に駆け寄ってきた。
聖「ああ、はい、大丈夫ですけど…いま沈んでいった車は?」
「あー、上の方で車を停めようとしたら緩い下り坂だったみたいでですねー、シフトレバーをRに入れるの忘れてて…」
聖「MT車で一番やっちゃいけないやつ!それで下まで勝手に走ってきて…池に吞み込まれていきましたけど…」
池はまだ大きく波打っているが、池の女神ハルは姿を消している。まさか突撃してきた車と衝突して、諸共沈んでしまったのだろうか。しかしそんな想像は杞憂に波紋はさらに大きくのたうち始め、間もなくして池の女神が金と銀の複製品を持ち上げて姿を現した。その体積の大きさに、聖那らの立つ陸地一帯は波が押し寄せ一気に水浸しになる。
ハ「あ、貴方の…お名前は…」
「え俺?鳥井ですけど」
今しがたMT車を池に沈没させた青年は鳥井と名乗った。
ハ「鳥井さん…貴方が落としたのは…この…金色の自動車ですか…それと、も…この銀色…の、自動車…ですか…」
聖「いや複製無理しすぎだろ!?めっちゃ重たそうにしてるじゃねーか!!」
何か不思議な力を発動しているとはいえ両手で2台の自動車を持ち上げている女神は、誰が見てもしんどそうな顔をしていた。
鳥「…あのー、これどういう状況なんですか?」
目の前で起きている状況が呑み込めなかったのか、鳥井は真顔で聖那に問いかけてきた。
聖「えーっとですね…つまり、何色の自動車を池に落としたんですかって訊かれてるってことです」
鳥「あそういうこと?なんていう色だったっけなぁ…ああそうだ、プラチナシルバーだ」
ハ「プラチナシルバー!?シルバーってことは、銀色…?いやプラチナだって金だし…まさか、どっちの自動車も欲しいっていう強欲な人間…?嘘でしょ…頑張って複製、したのに…ノルマが…ああえっと…こういうときは…」
聖「おおいそんな状態で混乱してんじゃねぇ!?そういう色らしいから!!車にはよくある色の名前だから!!」
ハ「…ああ成程、そういうことなんですね…では…」
なんとか納得してくれた女神ハルは、しんどそうに2台の自動車を陸揚げすると、渾身の力を振り絞って本物の沈没した自動車を続けて陸揚げした。
ハ「…正直者の鳥井さんには…この3台の自動車をすべて差し上げます…!」
鳥「え?いや金と銀のは要らないです」
ハ「ガーーーーン!!またしても…ノルマが…」
聖「いやそりゃそうなるわ!どう考えても持って帰れないだろこんなの!!」
鳥「てかこのめっちゃ金ぴかの車、全然ドア開かないんだけど」
ハ「あ、その…自動車の構造ってよくわからなくて…」
聖「外見だけ複製したのかよ!?それじゃただの金銀の塊じゃねーか!?」
ハ「あとそれ、塊じゃなくて鍍金です…さすがに物が大きすぎて複製品の価値がとんでもないことになってしまうので」
聖「じゃあもうほとんど粗大ゴミになっちゃうじゃねーか!!」
鳥「うわ、本物の自動車の方もさすがに池に沈んじゃエンジンかからねーか…レンタカーなんだけどなこれ」
聖「あんたはもうちょっと色々深刻そうにした方がいいですよ!?」
「おいおい、なんか騒がしいことになってんなーなんだこの派手な車?」
なんだか喧しいことになっていると、また別の若いイケメンな男性が坂を下りて池の方にやってきた。
鳥「あっ!倉吉先輩!お疲れ様っす!!」
倉「鳥井~、例の企画の件でキャンプ場に話聞いてたんだけど、この池ってキャンプ場の所有地じゃないんだと。もうちょっと調べてからまた改めて来ようと思うんだけど、そのまえに現地視察を…」
倉吉と呼ばれた青年が鳥井と話し込みながら池を見渡していると、池の縁に立つ女神ハルを視界にとらえた。すると目の色を変えて興味本位の一心でズカズカとハルの方へ近寄って行った。
倉「…も、もしかして貴女は、この池の管理人ですか!?」
ハ「ええ!?…まぁ、そういう感じですけど」
聖「おいシレっと嘘をつくなよ派遣女神」
倉「そうですか!それなら丁度よかった!私、モラトTVディレクターの倉吉と申します。こちらは新人ADの鳥井でして…ただいま私どもこういった企画をやっておりまして、全国区でご支援いただいており大変人気を頂戴しておりましてですね…」
そう言って倉吉から女神ハルに名刺とともに手渡された資料には、このような表題があった。『池の水、全部抜き去ってみた』。
ハ「…!!?」
倉「キャンプ場さんの方も副次的な宣伝効果を期待してらっしゃるみたいで、報酬料としましては…」
鳥「さっきは金銀の自動車が池からせり上がってきたからなぁ…他にも色んな物が沈んでるんじゃないか?」
聖「確かに…この女神が池の中でどういう仕事や暮らしをしているのか気になるところはあるな」
素朴な疑問に男どもが興味を惹かれる一方で、肝心の女神ハルは企画書を凝視したまま池の冷たさを思い出したかのように硬直しており、容赦のない仕打ちに驚愕と嫌悪感を隠せないでいた。そして、企画書を真下に投げ捨てるように放り込んだ。
倉「あっ!?ちょっとお姉さん…?」
だがハルは直ぐに屈んで池の中に両手を突っ込むと、金銀に輝く紙の束を引っ張り上げた。
ハ「…倉吉さん…貴方が落としたのはこの金色の企画書と銀色の企画書、どちらですか?」
聖「いや落としたのは女神だろ!?セルフでやるのもありなのかよ!?」
女神ハルがかなりキレているかのような暗いトーンかつ早口で倉吉を試し始めたので、聖那は思わずたじろいだが辛うじてツッコミを入れた。
倉「えっ!?いや、普通紙で印刷した普通の企画書ですけど」
ハ「それでは正直者の貴方には普通の企画書だけでなく金銀の企画書も併せてお贈りいたします」
倉「ああ、それはどうも…遠慮なくいただいておきます」
すんなり倉吉が企画書3部(但し原本はずぶ濡れでもう使い物にならない)を受け取ると、キレる寸前だったハルの表情が一転して明るく輝きだした。池の女神ハル、1ポイント獲得。
ハ「ははっ!?も…貰ってくださるんですか!?」
倉「ええ、他にも同様の企画を打診したいところがありますので、助かります」
聖「いやそんな金銀ベースの企画書出されたら相手困惑するだろ」
ハ「えっ!?てことは、他の池にも訪問する予定が…?」
倉「そうですね、ロケ地を提供してくれるところを少しでも多くピックアップしておきたいので」
ハ「あうう…それでしたら…この池の水をすべて抜き去ることを許可します!絶対後悔させませんから!!」
聖「ポイント獲得に浮かれて判断力が鈍ってきてるぞこの女神!?」
女神ハルは高揚して顔を真っ赤にしている。アイデンティティ消失の危機なのにまるでそれを解っていない。
倉「本当ですか!?ありがとうございます!!では早速現場の様子を撮影しておきたいんですが…管理人のお姉さんもちょっと写ってもらっていいですかね!?」
ハ「え、ええ~そんな~私そんなカメラ写り良くないですから~」
聖「おい満更でもないリアクションしてんじゃねぇよ!?契約で写るの禁止されてんじゃねぇのか!?」
しかし女神ハルは照れながらも控えめなピースサインまで差し出しつつ、倉吉に写真を撮られるのを待っている。
倉「あーいいですね、いい感じですねー…ん?対岸の茂みが動いてるな…何かいるのか?」
聖「ああ、向こう側はキャンプ場の客の散策コースで…ってあそこは進入禁止区域だな。お客さんなら注意しにいかないと…」
もしかしたらその辺の野生動物かもしれないが、とも思いつつ移動しようとすると、茂みを掻き分けて池の傍に現れたのは全身黒づくめ、フードを被りサングラスとマスクで顔を隠したガタイの大きい男だった。どこからどう見ても不審者である。その不審者が、両腕でなんとか抱えられるくらいの大きさに中身が詰め込まれた黒いビニール袋を池に放り込んだ。
聖「おいおいなんだ?不法投棄か?」
顔を顰めていると、池の女神ハルが瞬間移動したかのようにあっという間に池の反対側に出現し、不審者の前で金銀2つの大きな袋を掲げて見せた。先のポイント獲得もあって、何やら勢いづいているような印象である。
ハ「どうも!貴方が落としたのはこの金色の袋ですか!?それとも銀色の袋ですか!?」
聖「あの女神ホントに感情ジェットコースターだな…」
「うおっ!?何なんだてめぇ!?そ、そんなもん落としてなんかいねぇよ!!」
不審者は突如池から飛び出してきた謎の女に度肝を抜かれて尻餅をつき、狼狽えて叫び声を上げた。
ハ「貴方は正直な方ですね!正直な貴方には今しがた落とした本物のこの黒い袋と、金銀の袋を一緒に差し上げ…」
「馬鹿野郎!!そんなもん拾い上げてくるんじゃねぇ!!沈めとけ!!」
ハルが皆まで言い終わる前に、不審者はそう吐き捨てて怯えた小動物の様に茂みの中に潜り込んでいってしまった。連続でポイント獲得とならなかった女神ハルは、満面の笑顔から再び露骨に悄気た様子に逆戻りし、3つの袋を抱えながら聖那らの方に戻ってきた。
ハ「今度もまた受け取ってもらえませんでした…私の何がいけなかったんでしょう…」
聖「多分それ、落とした物じゃなくて捨てた物だからでしょ」
鳥「ちなみにそれ、中身何が入ってるんだ?」
ハ「え?バラバラになった人間の死…」
聖「うおおおおおおおい!?何平然と抱えてんだ!?てか何平然と金銀で複製してんだ怖すぎるだろ!!?」
鳥「まじかヤベェな!?倉吉さん、これヤベェ事件に遭遇しちゃったんじゃないっすか!?」
倉「ああそうだな、偶然にもカメラであの不審者を捕らえることもできた…おい、急いで戻るぞ!車を出せ!」
鳥「あーすんません、車ならさっき水没しちゃって動かないっす」
倉「はあ!?おまえ馬鹿何やってんだ!?じゃあこの金ぴかと銀ぴかの車を借りて」
鳥「それもただの置物みたいなもんらしいですよ」
倉「邪魔くさっ!一体何なんだよ!?もう仕方ねぇな…キャンプ場でどうにか断って車借りるしかねぇ!!」
手持ちの企画以上の特ダネを掴んだテレビ局の男2人は、どたばたと混乱しながらも退散しようとした。
ハ「ああっ!?待って!!さっきの企画の話は…!?」
倉「今はそれどころじゃねぇ!てか事件になったらここはもうロケ地としては使えねぇよ!じゃあな!!」
最早営業モードではなくなった倉吉はやや乱暴に言葉を吐き捨て、鳥井とともに坂を駆け上がって行った。池には静寂が戻り、呆然と立ち尽くす女神ハルと聖那だけが取り残された。
聖「…じゃあ俺も、不審者情報をキャンプ場の管理人に伝えないといけないんで」
ハ「…そう、ですね。お騒がせして申し訳ありません」
聖「あの、ハルさん。できればその黒い袋持ったまま少し待っててもらっていいですか。重要な証拠になってくると思うので…」
ハ「…わかりました」
きまずい静寂から逃げおおせるように、聖那も早足でキャンプ場へ続く坂を上り始めた。だが、事件の一端を目撃した緊張感がのしかかってきていて一歩一歩がどうしても重い。
「…おい女。その袋沈めとけって言ったろうが。どういうつもりだ」
すると、暗く脅す低音ボイスが池の方から聞こえてきた。ハッとして振り返ると、先の不審者が再び現れて女神ハルと対峙していた。だらっと下した右腕の先、手には草臥れた斧が握られていた。キャンプ場の備品で聖那が薪を割っていた例の斧である。
ハ「…貴方のお名前は何ですか」
「はあ?てめぇに教える名前なんてねぇよ。さっさとその袋を池に沈めろ。さもなくば…この斧でてめぇの喉を掻っ斬る」
さらに険悪な雰囲気になってきた。女神ハルは身の危険を感じているようには見えず、黒い袋を抱えたまま毅然とした表情で不審者と相対している。尤もハルはまだ岸から少し離れた池の中で立っているので、斧を投擲されない限りは怪我の心配はなさそうである。逆に無防備な聖那自身が駆け付ける方がかえって危険であるように感じられ、身動きがとれないでいた。
ハ「…貴方は、私の質問に正直に回答してくれました。貴方は本当は正直な人間なんです。だから私の前で都合の悪いものを隠匿しようとすることは私が許しません」
「なんだと?てめぇ何様のつもりだ!?」
ハ「私はこの池に遣わされた女神ハルメース。正直者が報われるよう人間を導くことが私の使命です。それが譬え貴方のような咎人であったとしても、正直に生きることで必ず報われるのだとその道を照らしていかねばなりません。さぁ正直に咎を受け入れるのです。そうすれば、きっと貴方の未来は…!」
「ごちゃごちゃとうるせぇんだよおおお!!」
いよいよ説法に限界がきた不審者が、斧を振り翳して女神ハルに斬りかかろうと池に向かって駆け出した。
聖「ハ…ハルさああああん!!」
数日後、ゴールデンウィークが終わり大学に通う日常に戻ってきた聖那は、講義開始を待つ間スマホでヘッドラインニュースを眺める。いま話題となっているのは、バラバラ殺人の容疑者が奥多摩のとあるキャンプ場付近の池で現行犯逮捕されたという記事である。
春「おはよう聖那。ああ、その間抜けな殺人鬼のニュースか。切断した遺体を池に沈めようとして、誤って自分が落ちて溺れたって話でしょ?なんとも御粗末だよね。しかも金髪の女の人に助けられたっていう」
いつもの日常通り、友人の安室春と鳥井千亜紀が後ろの席に荷物を下して、聖那のスマホを覗き込んできた。
千「いやいや、注目すべきはこの金髪の女の子でしょ!なんでもこの池に住んでて正直者には幸福を齎してくれるって噂らしいじゃん!?そんな天使みたいな子に会えるなら次の週末にでもここのキャンプ場行ってみてもいいんじゃねぇか!?」
春「えー、でも昨日その池行ったけど結局会えなかったってネット上でレポートしてる人いたけど」
千「事件の直後だから一時的に別のところに住んでるだけなんじゃねぇの?」
後方で盛り上がる友人2人を背に、聖那は己の目で見た顛末を思い返していた。あのとき不審者は斧を翳して池に足を一歩踏み入れた瞬間、面白いように簡単に池に呑み込まれてしまったことを。あの女神が膝下辺りまで池に浸かっていたのを見て、ある程度底が浅い池だと思い込んだが最後、呆気ない幕切れを迎えたのであった。
そしてあの女神が姿を見せなくなっているのも、少なからずメディアに映ったことで契約違反となり追放されてしまったのではないかと推測していた。本当に『大いなる神』なるものに遣わされた存在であったとしても、他の池の女神より抜け駆けするような目立ち方は許されないのだろう。
聖「この話はたぶん、正直に話したところで誰も真面に取り合ってはもらえないんだろうなぁ」
よくあるイソップ寓話:金の斧パロディです。果たして女神はどんな物でも拾ってくれるのかという想像から始まりました。
今回は聖那以外のメンバーは(最後以外)登場していないというか、名前と顔がよく似た別人が登場しているという感じです。④勇者回でもそんな感じでしたが、今後もそういう茶番劇が出てくるかと思います。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!