「…はい、はい、承知いたしました。ではまた改めてご連絡のほどよろしくお願いいたします」
なんとか通話が切れるまでを凌いだ茂良野聖那は、受話器を置くと抑えきれなかった溜息がはっきりと漏れてしまった。
聖「くっそ…いつまでペンディングするつもりなんだよこいつ…」
デスクトップパソコン右下の時刻はもうすぐ18時になろうかというところである。一応の退社時間ではあるものの、社内の従業員は誰も時計を見ていないのか落ち着く気配がない。
「おーい茂良野、ちょっと来てくれー」
苛立ちで頭を抱えたのも束の間、部長から呼び出しがかかったので、聖那はだるそうに席を立つ。
聖「…はい、お呼びですか部長」
「いやぁ悪いんだけどさ~、明日の午前中に急遽会議が入っちゃってさ~その資料を作って欲しいんだよ~」
聖「えっ今からですか?もう定時なんですけど…」
「頼むよぉ~俺この後どうしても外せない用事が入ってるんだよ~…あ、もしもし?ええ~とちょっと頼みたいんだけどね~…」
ウザったらしく口早に仕事を投げてきたと思ったら、部長はかかってきたスマホに出てそそくさとフェードアウトしていった。『どうしても外せない用事』は聞き飽きた定形文である。今日もまた唐突に仕事を他人に押し付けて、例えば女と会ったりでもしているのだろうか。
「そう怖い顔するなよ聖那、きっと社会ってこういうもんだよ」
部長から手渡された明日の会議通達を顰め面で見下していたところを、聖那は同僚に窘められた。
聖「定時直前に上司から仕事を押し付けられる有様を社会の常識とは思いたくねぇよ」
「まぁ仕方ないさ。僕も資料作るの手伝ってあげるからそう落ち込むなよ。この前も一緒に残業してもらったしね」
同僚はそう言って会議通達を聖那の手元から掬い上げ、コピーを取りに行った。聖那は先に自分の席に戻り、どさりと椅子に腰掛ける。
優しく気遣ってくれる同僚がいるだけまだ恵まれているのだろう。でも冷静に考えてみれば、残業や理不尽が当たり前なこの会社で、同じ穴の狢が泥水を啜り合っているだけであるようにも思えた。
一体どうしてこんな人生になってしまったのだろう。どこで道を間違えてしまったのだろう。
聖「俺は…俺はどうしてっ…!」
聖「…ごはっ!?」
突然後頭部に重い一撃を喰らって、聖那は机に突っ伏していたことを思い出し慌てて顔を上げた。視界に飛び込んでくるのは慣れ親しんだ大学の広い教室、講義時間が終わって退室していく学生の群れ。そして傍に立って見下ろしてくる2人の友人、鳥井千亜紀と安室春に目線が移る。
千「おやおや、優等生さんが講義中に寝落ちとは珍しいじゃないですかー」
茶髪でちょっとチャラっ気のある千亜紀が生意気そうに、右手に持つ分厚い本をバサバサと振りながら煽ってくる。
聖「お前なぁ、『ポケット六法』で叩き起こしてくるんじゃねぇよ」
千「甘ったれんじゃねぇ、角で殴ってないだけありがたく思え」
聖「当たり所の問題じゃない」
春「そうだよ千亜紀」
ここで童顔眼鏡男子の春が割って入ってくる。
春「『ポケット六法』は枕にするのが正しい使い方であって、人を叩くための物じゃないよ」
聖「それを枕にするくらいなら同じ金でもっといい枕を買ってこい」
千「そうだぞ春!この『ポケット六法』に聖那の涎がこびり付いちまったらどうしてくれんだよ!?」
聖「その『ポケット六法』は俺の私物だからそろそろ返してくれ」
春「だから言ってるだろ千亜紀、この『ポケット六法』は聖那の私物だから聖那の涎で塗れても何の問題もないんだ」
聖「だぁー!もうキリがねぇな!さっさと昼飯に行くぞ!!」
聖那は跳ねるように立ち上がって千亜紀から『ポケット六法』を引っ手繰り、鞄にしまって2人を引っ張るように教室を後にした。
ちなみに法学部生を存じ上げない方のために補足すると、『ポケット六法』は憲法のほか重要な法律など、大学の講義を始め一般的に索引することの多い条文を抜粋した簡易六法である。他にも色々なシリーズがあるが、総じて辞典並の分厚さは備えておりポケットに収まるサイズではないので、これで人を殴ってはいけない。枕にもできなくはないがきっちり顔に跡が残るぞ!
私立紀尾井大学の昼下がり。穏やかな春の陽気のもと、聖那・千亜紀・春の3人はキャンパス内のテラスの一画を占有し学食を広げていた。会話はいつも大抵、千亜紀がふざけ出して春が悪乗りし、聖那がひたすら突っ込むという漫才みたいな流れになるが、聖那はこれが面倒臭いようでその実、キャンパスライフでの数少ない娯楽のようにも感じている。そんな当り障りのない大学生活も3年目を迎えていた。
春「そういや聖那、何でさっきは寝落ちしてたの?寝不足?」
話題が切り替わり、春が先程の聖那の寝落ちを掘り返してきた。
千「寝落ちなんて俺らもしょっちゅうだし、何も恥じることはねぇよ!」
聖「そういう括りは遠慮させてもらいたいがな。何でかはわからんけど…結構ガッツリ嫌な夢も見ちまって…」
千「すまん、夢まで見てんのは重症だわ。仲間意識持って悪かった」
聖「重症って言うならむしろ俺を労われよ」
春「ちなみに、どんな嫌な夢見たのか教えてよ」
嫌な夢というのは割と鮮明に覚えているものなのか、聖那は具体的にブラック企業勤めの夢を2人に話すことができた。
春「なるほどねー、嫌な夢っていうのは内心恐れてるものや拒絶してるものが再現されるとも言うし、聖那は社会人生活を相当不安に感じてるのかもね」
聖「うーん、どうなんだろう…」
確かにそういった節はあるのかもしれない。大学生活も3年目に突入した聖那だが、単位をある程度多めに修了してきたことで余裕のある時間割を組んでいる一方で、就職活動に勤しむにはまだ早いとも考えており、今の時期は社会に出るまでのモラトリアムにどっぷりと漬かっている状態であると言っても過言ではない。そんななか、SNSやらで見聞きする会社のブラックな風潮や理不尽な待遇の話題で、そのうち訪れる社会人生活に対してすっかり疑心暗鬼になっており、一種の防衛本能が働いてしまっている節が否めない。
千「おーしわかった、それじゃあこの鳥井千亜紀が茂良野聖那の悪夢をいまからここに再現して、結末をグッドエンディングに変えて見せようではないか!」
突然千亜紀が立ち上がり、聖那を指さして高らかに宣言してきた。
聖「悪夢を再現…?そんなことできるのかよ?」
千「当然!なぜなら俺は『正夢プロデューサー』の資格を持っているからな!」
聖「なんだその胡散臭い資格は。ていうか正夢になってほしくないんだけど」
千「逆に考えるんだよ聖那…もしこの悪夢が正夢になってしまったらどうしようか!?その不安を払拭するために何をすればいいのか!?どのように思考を組み立てればいいのか!?そのシュミレーションをしてみたいと思わんかね!?」
聖「だからしてみたいのはお前の純粋なる興味だろ」
春「いや千亜紀、僕も協力してあげるよ…」
勝手に盛り上がっている千亜紀を牽制していたら、春も立ち上がり話に乗っかってきた。
春「安室春、この『正夢コンサルタント』の名に懸けてね!」
聖「また何か似たような資格出てきた!?」
春「『正夢コンサルタント』とは、あらゆる人の夢という夢をビッグデータとして蓄積することで精密な夢の再現を完成させ、そのうえで夢に秘められたポテンシャルから再現を拡張し新たなる進展を促進させることができるスキルなんだ」
聖「さっきの千亜紀のやつより胡散臭さが大盛なんだけど!?」
「話は聞かせてもらったぞ!!」
盛り上がりつつあるテラスの一画に、1人の男が歩み寄って来た。
千「よう、紘未じゃねぇか!ちょっと聖那の正夢プロデュースを手伝ってくれよ!」
春「紘未も僕の正夢コンサルをサポートしてほしいんだ」
聖「おまえらはアプローチの仕方を統一する気はないのか」
紘「フッ…そんなもの懇願されるまでもない。この倉吉紘未、『正夢ハンター』の力を今こそ見せるとき!!」
聖「いや流行ってんのかよその正夢なんたらってジョブが!?」
聖那ら3人と入学以来よくツルむメンバーである倉吉紘未は、空気の読めるイケメンであった。
紘「説明しよう!『正夢ハンター』とは、古今東西人の見る夢という夢を把握し、その各々がいつどのようにして正夢として実現するのかを観察し或いは実現そのものをサポートしていく正夢の探求者なのである!」
聖「それだとただのストーカーじゃねぇか!」
「…話は聞かせてもらった!」
聖那がツッコミに追われていると、もう1人別の大柄な男が現れてこちらへゆっくりと歩み寄って来た。
紘「お、高校の同期の石須賀じゃないか!」
千「バイト先の石須賀先輩じゃないっすか!」
春「あ、サークルの幽霊部員の石須賀さん」
聖「俺だけ知らない人なんだけど!?」
自分だけ初対面という変な気まずさをまったく意に介さず、石須賀と呼ばれた男が低音イケボで聖那に握手を求めてきた。
石「聖那くん。ここで会ったのも何かの縁だ、私もキミの正夢再現に全力を尽くそう」
聖「は、はぁ…それはどうも…」
石「……」
聖「…え、石須賀さんは何かないんですか?正夢なんちゃらってジョブは」
石「そんなものはないが?」
聖「ないのかよ!?ないのにこの茶番手伝っちゃうのかよ!?いやそんな変なジョブはなくて当然なんだけど何もないのにいきなり手伝ってくること自体に戸惑いを隠せないよ!!」
千「よーしそれじゃあ役者も揃ったし、正夢の再現を始めるぞー!」
聖「もうやるのかよ!?ちょ、ちょっと待…」
場面暗転。
気付けば聖那はとあるオフィスの机に向かって、受話器を片手に着席していた。通話が切れた音が小さく漏れてくる。
聖「…そうだ、俺は発注の保留に苛立ってて…ってなんでこんなこと思い出すんだ?」
どうやら本当に夢で見た状況設定が反映されているようである。これまた随分と凝った茶番を創り上げてくれたものだ。目の前にあるデスクトップパソコン右下の時刻はもうすぐ18時になろうかというところである。一応の退社時間ではあるものの、社内の従業員は誰も時計を見ていないのか落ち着く気配がない。そもそもこの周りでざわついている従業員は皆知ってそうで知らない顔だがどこから湧いて出てきたのか。
聖「確か、この後の展開は…」
「おーい茂良野、ちょっと来てくれー」
憶えていた通り部長から呼び出しがかかったので、聖那は仕方なく席を立ち、声のする方へと向かう。
聖「…はい、お呼びですか部長」
千「いやぁ悪いんだけどさ~」
目の前で部長と認識している人物は、千亜紀の顔をしていた。厳密にいえば、千亜紀が部長の役を演じていた。
聖「…何してんだよ千亜紀」
千「え?いやぁ~明日の午前中に急遽会議が入っちゃってさ~その資料を作って欲しいんだよ~」
大学入学以来幾度と対面してきた調子の良さそうな表情と口調に、堅苦しく振舞うのがアホらしくなってきた。
聖「いや何言ってんだよもう定時だぞ」
千「頼むよぉ~俺この後どうしても外せない用事が入ってるんだよ~…あ、もしもし?ええ~とちょっと頼みたいんだけどね~…」
聖「ちょ待てっつの。適当に仕事押し付けて消えようったってそうはいかねぇぞ」
着信のあったスマホを片手にそそくさと立ち去りそうだった千亜紀の肩を、聖那はガッチリと掴む。
千「えっ!?いやいやそういうんじゃないんだけど…」
聖「どうせ女なんだろ!?女と会うために部下に仕事投げていいと思ってんのかああん!?」
千「何それ知らない!『その設定』俺は知らない!なんか茂良野の偏見が怖い!?」
春「ちょっと聖那、落ち着きなって」
千亜紀に向かって捲し立てていると、背中を春に小突かれた。確か夢では仲の良い同僚がいたはずなので、春がその役ということなのだろう。
春「いかに部長が不真面目で能無しでだらしのない会社の金喰い虫だからといって、直接突っかかるような真似は妥当じゃないよ」
聖「そ、それはそうだな…」
千「おーい安室、悪口はせめて本人のいないところで言うんだぞー」
相手が千亜紀だからと容赦していなかったが、本来の社会人であれば上司に向かって捲し立てるような振る舞いはするべきではない。もっと妥当性のある方法で理不尽な仕打ちを回避するよう試されているってことなのか…?
聖那が一旦冷静を取り戻していると、気怠いチャイム放送がオフィスに流れてきた。18時の定時を知らせているようだった。
春「じゃ、お先に失礼しまーす」
聖「いやおまえ帰っちゃうんかーーい!!?」
今度はあまりにもあっさり退社しようとする春の肩をガッチリと掴んで喰い止めた。
春「ちょっと、何するんだよ…」
聖「手伝ってくれるんじゃないの!?俺が理不尽に押し付けられた残業を!?」
春「は?なんでそんなお人好しキメなきゃならないの?」
聖「おまっ…以前も俺がおまえの残業手伝ってやったからって設定だったじゃんか!」
春「記憶にないんだけど…」
聖「どうなってんだよ夢の再現!?これじゃ俺が孤立無援じゃねーか!!」
悪夢の中で唯一の心の支えだったはずの友人が露骨に煩わしそうな表情で睨みつけてくるので、聖那も頭を抱えずにはいられない。
春「だいたいね、残業なんて人件費コスト高くつくんだから会社のためを思うんならスパッと定時で帰るのが理に適ってるし、況してや無償で残業するなんて、お腹が空いてるのに食い扶持を潰すような愚かしい行為は以ての外なんだよ。会社ゾンビだよ。そんなものを美化するようなネクロマンサーな上司になんて素直に従っちゃダメ。それでもそんな環境で働くなら自分を第一に割り切って生きていかないと」
聖「めっちゃ早口で俺の言いたいこと代弁してくるじゃん…」
まるでこちら側が悪くて説教されているようで居た堪れなくなってくる。だが、ここで春に退社されると本当に成す術がなくなりそうなので、どうにかして引き止めなければならない。
聖「でもこんな理不尽な押し付けられ方されてるので…ここはひとつ同僚として手伝っていただけないでしょうか」
春「え…だから理不尽を伝染させてくるの勘弁してほしいんだけど」
聖「下手に出たのに血も涙もねぇな!!」
ドン引きする春に喰らい付いていると、千亜紀が電話を終えたのか呑気な顔でこちらに戻ってきた。
千「おいおいまだやってんのかー?喧嘩は程々にしろよー?」
聖「喧しいわ!てか色々とあんたのせいだっつの!」
春「それじゃ帰らせてもらいますんで」
聖「だぁーもう!話はまだ終わってないんだって!」
千「そうだ安室!キミもちょっとだけでも手伝ってくれればさ、茂良野も遅くなりすぎずに済むんだからさ!」
千亜紀も一緒になって春の退社を止めようと立ちはだかる。聖那は内心助かりつつも、上司と2人掛かりで定時退社を喰いとめるなんて最低な仕打ちだなと思わずにはいられなかった。
春「やめてくださいよ!残業強いるとかパワハラですか!?」
千「頼む!今回だけだから!…そうだ、お礼に近くのケーキ屋で超美味しくてバズった限定スイーツの整理券あげるから!明日の昼休憩のとき余裕で引き換えにいけるから!!」
春「…チッ、部長、残業代もちゃんと出してくださいよ」
聖「チョロすぎでは!?」
もとより春は大の甘党であったがこの茶番でもその設定は変わらないらしく、素早く千亜紀から限定スイーツの整理券を引っ手繰ると、聖那の持つ会議通達も掬い上げて足早にコピーをしに行ってしまった。あんなに残業を忌避していたのにこの有様である。
取り敢えず場が落ち着いたので(?)、聖那は自分の席に戻ってどさりと腰を下ろした。ここへ来て一応は夢で見た通りの構図になったわけだが、夢自体はこの辺りで終わっているので先の展開がどうなるのかはまったく予想がつかない。春の胡散臭い肩書説明では『再現を拡張する』などと言ってはいたが。
すると、定時を過ぎているオフィスの電話に着信が入った。いつの間にか社内にわらわらといた従業員は、定時退社をキメたのか皆忽然と姿を消している。仕方なく聖那が受話器を取った。電話の相手は、少し前に聖那に発注の保留を連絡してきた男だった。
「もしもし~、あの~注文保留にしてた件なんすけど~、急遽必要になっちゃいましてですね~、でいま御社の近くにいるんでこれから直接引き取りに伺いますね~」
聖「えっ!?ちょ…商品は倉庫に問い合わせないと用意できないので今からお越しいただくのは…」
皆まで言う前に一方的に気怠い早口を押し付けられて切られてしまった。思わず受話器を見下して呆然としてしまう。
千「茂良野―?どったのー?」
聖「いやあの…なんかお客さんが今からウチの商品を取りに来るって…」
春「営業時間終わってるのに押しかけてくるとか、そんなの顧客じゃないよ。取引続けるこっちの身が持たないって」
聖「通りすがりに辛辣な言葉吐き捨てていくのやめてくれないか」
戸惑いを隠せないでいると、次の瞬間背後からその空気を吹き飛ばすけたたましい破砕音が響き渡り、オフィス内に何かが突っ込んできた。
聖「な、何事!?」
恐る恐る振り返ると、乗用車がガラス張りの壁を容赦なく突き破って後部座席まで丸々オフィス内に飛び込んでいた。周辺はガラスの破片やら積んであった備品やら書類やらが散乱し、机やらパソコンやらも倒れており大惨事である。幸い聖那ら3人はやや離れたところに居たため怪我無く無事だった。程なくして運転席からエアバッグを押し退けてスーツ姿の男が出てきた。
紘「すんませ~ん、先程電話した者なんですけど~」
聖「いや来社の仕方おかしいだろ!?」
電話でやり取りをしていた顧客である紘未が、ガラスなどで散乱した足場をザクザクと踏み鳴らしながらヘラヘラと歩み寄ってくる。
紘「あ~、アクセルとブレーキ踏み間違えちゃったんすよ~」
聖「この惨状は悪意に満ち溢れた突撃にしか見て取れないんだが?」
紘「まぁまぁそんなことは置いといて。皆さんお揃いということで。先の電話は建前でホントの用事はこちらになります」
軽々しい態度をまったく変えることなく、紘未はポケットからとある手帳と1枚の用紙を取り出し掲げて見せた。
紘「はい警察でーす。この会社内で違法薬物を栽培しているとのタレ込みがあったので只今より捜索を開始させてもらいまーす」
聖「ええええええ!?なんでそうなるの!?」
あまりの急展開の連続に混乱を隠せなくなってきた。
紘「いや~、令状とるの時間かかっちゃったんすよね~」
聖「その手続きしっかりしてるのに何故訪問先に車を突っ込ませたよ!?」
紘「表向きは事故現場として包囲しつつ実際は違法薬物の捜査という二段構えでお送りしておりま~す」
聖「強引にも程があるだろ!?てかそれだともうほぼ強制捜査だから令状要らないレベルなんじゃ」
紘「まぁ~安心してください!事故現場はスタッフが責任を以って原状回復に勤めさせていただきま~す」
聖「そういう問題じゃねぇって!ほかに従業員が残ってて怪我でもしてたらどうするつもりだったんだよ!?」
紘「従業員が残る?定時を過ぎて従業員が残っているわけがないじゃないですか~」
ここに来て不意打ちの皮肉が胸に刺さる。理不尽な残業がここまで理不尽を増幅させてくるとは。
紘「まぁまぁ、こうして何度かのお電話でタイミングを窺ってたわけで。定時を過ぎても会社に残ってばかりの貴方達3人に白羽の矢が立ったわけですよ。一体何を隠れて事を働いているのかってね。大丈夫です!黒なら黒で事故ったオフィスごと畳んじゃえばいいんですから~」
聖「だから洒落になってないんだっつの!!」
春「あ、僕は日頃から残業しない人間なので無関係です」
聖「お願いだから春待ってよ見捨てないでよ」
千「そうですよ待ってください警察のお兄さん、へ、弊社で違法薬物なんてさ、栽培してないですから…!」
血も涙もない春をなんとか引き留めている一方で、千亜紀は青白い顔で紘未に縋り付いていた。早くも呂律が回らなくなってきている。
紘「あ~捜査の邪魔はしない方がいいですよ~?それに鳥井部長、貴方が夜にこの会社からとある地下の店に足繁く通ってるの、知ってるんですよ~?」
千「ギ、ギクゥーッ!?いや、違うんです、怪しい物を運んでるんじゃないんです!!」
聖「なんだよそのわかりやすすぎる動揺の仕方は!?」
千「それは薬物なんかじゃないんです!バ…バジルなんですうう!!」
聖「完全に黒じゃねぇかちくしょおおおう!!」
千亜紀の悲痛な叫びに呼応するように、聖那もまたショックを隠せず項垂れた。ここまで酷い展開になるとは。
春「バジルって、それ隠語じゃないですか部長。最悪ですね」
千「違うんだって!本当にバジルなの!会社の空き部屋で密かに育ててただけなんだって!」
聖「ああ…はい、もういいです、喋らなくて」
紘「そうそう、調べてみればわかることだからさ~」
そう言って紘未は颯爽と奥の部屋へ進んでいってしまった。
重苦しい沈黙が降りかかってきたと思ったら、それを阻止するかのように間髪を入れず玄関のインターホンが鳴り響いた。こんな状況下なのに平然と会社を訪ねてくる人がいるとは。
聖「…今度は何なの?」
人前に出るのが困難なくらい意気消沈した気分だったが、聖那は何とか取り繕って応対することにした。
石「どーもー、モラトピザ紀尾井店でーす。ご注文のピザをお届けに参りやしたー」
聖「なんでここでピザ屋出てきた!?」
現れたのは石須賀だった。石須賀がピザ屋の店員に扮し、軽快な動きで社内の応接テーブルにどっかとピザを下した。
千「あー、俺が頼んだんだった。支払は俺がやるよ。領収書も要らないから」
聖「ええっ!?ど…どういうこと?」
千「いやあ、俺のせいで残業させることになっちゃったから…せめてもの腹拵えを置いていこうと思ってさ」
聖「じゃあ、さっき出てた電話って…」
千「この店員さん、俺が昔から世話になってる人でさ。早く届けてもらいたくて直接注文のやり取りしてるんだよね」
なんだか酷い早とちりをしてしまっていたようだ。何の気遣いもなく理不尽に残業を押し付けようとしていたわけではなかったのだ。もちろん現物支給で済まさず残業代も出してほしいものだが。
石「なんだか暗~い雰囲気ですけどどうしたんすか~?心なしか肌寒いような気もしますし~」
大惨事なのは見ればわかるし肌寒いのは乗用車が突っ込んで隙間風が酷いのが原因だと思うが、聖那はなんとか苦笑いを作って応える。
聖「ちょっと色々ありすぎましてね…会社が壊れかけてます」
石「そうなんすか~じゃあこのピザが最後の晩餐になるのかもしれないっすね~」
なんとか取り繕ったのにまったく意に介さない呑気な反応をされた。だが、最後の晩餐という表現から不意に虚しさが込み上げてきた。
聖「それって、どういう…」
石「お兄さん、会社の英単語『company』の語源ってご存知っすか~?あれ、『共にパンを食す』って意味なんすよ~。利益を分け与えるのは当然すけど、楽しいことも辛いことも分かち合っていくのが本来『会社』に込められた意味だと個人的に思うんすよね~」
利益だけでなく、苦楽を分かち合うのが会社…?
石「ピザもまぁパンなわけですし…こうして皆さんでパンを分かち合うのも最後なんすねぇって思ったら…」
聖「そんなの…こんな最後なんてないだろ!それこそ理不尽だろ!!」
込み上げてきた感情に促され、思わず叫んでしまった。確かにこの会社は最悪だ。部長は適当だし、同僚はなんだか冷たいし、定時の直前に仕事を積まれるし、壁をぶち抜かれたかと思ったら家宅捜索されるし…。だが思い返してみたら、なんだか色々と悔しくなってきた。『会社』は、分かち合わなきゃならないんだよな?…成す術無く流されるがままの自分が不甲斐なく、腹立たしくなってきた。
聖「こんな終わり方なんてしたくない…このまま終わってたまるかよおおお!!」
もう一度天を仰ぎながら叫ぶと、至近距離で何かが砕け散ったような音が響いた。だが、周囲や壁の窓ガラスも新たに割れた様子はない。
すると、奥の部屋に入って捜索していた紘未が戻ってきて、相変わらずヘラヘラしながら報告してきた。
紘「どもども~捜索終わりましたよっと。いやぁ~まさか本当にバジルを栽培してらっしゃったとはね~。違法薬物の疑いは晴れました、お時間取らせちゃってサーセンでした!」
春「なーんだシロかぁー、良かったーどうなることかと思ったよー」
冷ややかに事態を眺めていた春が、一番安堵した表情を浮かべていた。
聖「いや良くはねぇよこっちはオフィスの壁に穴開けられてんだよ」
千「いやー、信じてもらえてよかったですー。ささ、冷めないうちにピザ食べちゃって食べちゃって」
聖「あんたは責任者なんだからもっと怒れよ」
春「ピザなんて久々に食べるなぁ。あ、部長のバジルをトッピングさせたらいいんじゃない?」
石「てか部長さん、敢えてバジルが合う盛り付けでピザ注文してきてるでしょー?」
千「あ、わかっちゃう?さすがピザ屋で長年働いてるだけあるねー!」
聖「なぁ、なんでそんな和気藹々な雰囲気に簡単に切り替えられるの!?」
紘「でもちょっと冷めちゃってるっすね?この部屋寒いんじゃないすか?」
聖「だから壁に穴開けられてるからな!!てかなんであんたも食べてんだ!!」
千「まぁまぁいいだろう茂良野、ピザは分かち合ってナンボじゃないか。それに、分かち合うと温かいだろう?」
そう言って宥めるように、千亜紀がピザを一切れ差し出してきた。穏やかな人の輪に招かれているような気がした。
千「そうだ、どんなことがあっても分かち合っていけば大丈夫!だから聖那、社会人生活なんてビビることないんだぜ!!」
ああそうか、こいつらはそのメッセージを伝えるために、態々こんな大袈裟な茶番を…。そう思うと、不本意ながらも笑わされたように、照れ隠しするように表情が緩んでしまった。
聖「…まったく、おまえらなぁ…」
だがその裏で、こんな会社には将来絶対に入社しないよう回避しなければと、心に深く誓いを刻むのであった。
聖「…ところで、最初に言ってた『どうしても外せない用事』って一体何だったの?」
千「え?ああ…知人が地下で経営してるカフェに、ここで作ったバジルを納品しに行くって設定が…」
聖「…そのややこしさが諸悪の根源なんだよなぁ」
はじめまして、ヨシダワタルと申します。
コントみたいなコメディを書いてみたくて投稿を始めました。
今後も暇潰しに貢献していければ幸いです。
大学3年生は自分自身が一番伸び伸びと遊んでいられた時期だったので、そのキャラ設定で茶番劇を繰り広げていくことにしています。
同じく、就職に色々と不安があったのも実体験です。いまでは会社ゾンビにはならず当たり障りのない仕事を続けていますが。
あとデリバリーピザってしばらく食べてないなぁ。ピザってなんであんなに美味しいんでしょうね。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!