Moratorium Crisis(モラトリアム・クライシス)

いつだって、日常は斜め上の方向に急加速していく。
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②明朝、社畜から逃走する。

公開日時: 2021年11月13日(土) 15:23
更新日時: 2021年11月13日(土) 17:01
文字数:9,830

午前5時25分。茂良野聖那もらのせいなは新宿駅東口の階段を上ってまだ閑散としている広場に出た。4月のこの時期はまだ日が出たばかりで薄暗く、肌寒い。そしてとてつもなく眠い。頭が重い。

なんとか足を進めていると、広場にはいつもの3人が並び立っていた。そのうちの1人、鳥井千亜紀が聖那に気付いて声をかけてきた。

千「おっせぇぞ聖那―。もっとシャキっとしろよー」

聖「何言ってんだ時間通りだよ。てかそもそも集合時間がおかしいんだよ。なんだよ朝の5時半って」

春「それはこの前グループトークで送った通りだよ。この時間帯にしかできないイベントがあるから参加してくれって話」

聖「よくそれでおまえらは顔色悪くせず集まれるよな。俺以外みんな東京住みじゃないじゃん」

4人の中で都内在住は聖那だけで、千亜紀は神奈川県、安室春は千葉県、そして倉吉紘未は埼玉県でいずれも実家暮らしである。

千「俺はさっきまで夜勤バイト入れてたからな。スケジューリングはバッチリだ」

春「僕は近くの漫喫で一夜を過ごしてたよ」

紘「大学生たるもの、オール明けでもやるときはやらないとな」

聖「おまえらのアクティブ精神にはちょっとついていけないわ」

そんな報告をし合っていると、頭上の方からマイクがハウリングしたような嫌な音が飛んできた。しかめ面で見上げると、東口前の大型ビジョンが映し出され、奇妙な仮面を被った大柄な男が姿を現した。

「おはよう諸君。時間通り集合できたようだな…」

できる限りの低音ボイスを模索するような、そんな声音である。

紘「よう、石須賀か。何してんだそんなところで」

春「石須賀さん、朝から大掛かりな演出だな」

聖「いや声で正体バレちゃってるよ!?せめて声は加工しとけよ!?」

千「先輩!さっきはバイトお疲れ様っした!!」

聖「あの人も夜勤明けなのかよ!?」

いまだに聖那だけは石須賀という男と接点がなく、素性がはっきりと掴めていない。

石「…今回集まってもらったのは他でもない、諸君にはこれからとあるゲームに参加してもらう」

正体がバレてもブレることなく石須賀は話を進めてきた。

紘「何を企んでいるのか知らんが、楽しませてもらおうじゃねぇか!」

石「いまから30分以内に、四ツ谷にある紀尾井大学へ向かうこと。どんな手段を使っても構わない。辿り着けなかった者には罰ゲームが待ち受けている。無論、一切の辞退は認めない」

現在地の新宿駅から東に位置している四ツ谷駅は、男子大学生なら急ぎ目に歩けば30分ほどで移動することはできる。紀尾井大学は四ツ谷駅のすぐ近くなので、30分あれば問題なく辿り着くことが可能だ。況してや電車を使えばかなり余裕をもって到着することとなる。

千「なんだそりゃ。随分と簡単なお題だな。罰ゲームってのは何をさせる気なんだ?」

石「…罰ゲームは、私と一緒に来週のインターンシップに参加してもらうことだ」

聖「って就活に誘いたいだけかよ!?」

紘「あー、石須賀は4年生だからな。俺は浪人してたけどあいつは現役入学だし」

春「1人で企業インターン参加するの心細いんだろうな」

聖「なら普通に声かければいいだろ!?早朝に招集して罰ゲーム課してまで言うことじゃねぇよ!?」

石「いやだってほら…みんなは3年だから就活にはまだ早いだろうしどうせ誘っても断られると思って…」

聖「いじけるなよおい!?せめてキャラ設定は維持してくれよ!!」

誇大な演出とは程遠い小心さが露呈したゲームマスターだったが、咳払いをして最初の声音を取り戻し説明の続きを始めた。

石「…確かに諸君の言う通り、ここから30分で紀尾井大学に到達することは容易い。だが私も容易くゲームをクリアさせる気はない。そこで、諸君を罰ゲーム(インターン)へといざなう刺客、『社畜』を解き放つ。『社畜』に確保された場合、ゲームからは即脱落となる。以上だ。それではゲームを開始とする。諸君の検討を祈る」

足早に説明をし終えると、石須賀はそそくさと大型ビジョンの映像を切ってしまった。広場の時計は間もなく5時半を指すところなので、これからゲームとやらが始まるのなら6時までに四ツ谷へ移動しなければならないということになる。

千「始まったのか。てか『社畜』って何だよ。俗に言う『社畜』って…リーマンだよな?」

春「リーマンだね。石須賀さん、就活生の身でありながら『社畜』を従えているのか」

紘「つまりは大学まで鬼ごっこしながら行けってことか。俺の身体能力をめてもらっちゃ困るな」

聖「いや紘未おまえ、オール明けじゃ…」

そう突っ込もうとして、北西の高架横、ここから50m辺りの道路上に何か四足歩行の動物が3匹うろついているのが不図視界に入った。なんだあれは?犬か?

千「…おい、あそこに何かいないか?」

聖那の視線に千亜紀も気付いたのか、小声で皆に聞かせるように呟いた。

紘「犬…にしては大きいな。色も黒いというか闇っぽいというか…あと何か毛並みが揺らめいてる」

春「確かに…この世のモノって感じじゃないね。幽霊みたいな感じがする…」

すると、その犬っぽい動物3匹がこちらのヒソヒソ声に気付いたのか、じっと視線を送り返してきた。周囲は人払いがされたかのように何も動く気配はない。早朝とはいえここは新宿、数人は行き交う人がいるものなのだが…そんな静寂ななかでのヒソヒソ話は意外によく響いてしまうことは、講義に出ている学生なら身をもってよく知っていた。

聖「まさか…あれが『社畜』!?」

『社畜』のうちの1匹が上げた遠吠えが、参加者4人の焦燥感に火を点けた。

紘「おまえら、逃げろおおおお!!!」

紘未が叫び、4人が駆け出すと同時に、3匹の『社畜』もこちらに向かって追走を開始した。

聖「な、何なんだよこいつら!?」

千「取り敢えず駅に入って!電車に乗り込むぞ!!」

気が動転しながらも、先程はのんびり上ってきた新宿駅東口に飛び込もうと車道の柵を飛び越える。隣に交番が見えるが、もちろん警官の気配はない。

春「えっ!?ちょ…紘未!?」

後方で春が驚いたような声を上げたので思わず振り返ると、『社畜』はこちらを追ってきてはおらず、また紘未の姿もなかった。右手を見遣ると、紘未が3匹の『社畜』を単身引きつけつつ車道を一目散に走り、ロータリーの方へ向かっていた。

聖「おーい!紘未いいい!!」

紘「こいつらは俺に任せて…おまえらは大学へうおあっ!?」

恰好良く台詞を残そうとしたのも束の間、紘未は『社畜』の1匹に飛び掛かられて態勢を崩し倒れ、続け様に2匹目、3匹目と群がってきて完全に抑え伏せられてしまった。

千「紘未が…紘未が早々にやられちまった…!」

聖「おい!一旦駅の中に身を隠さないと!!」

呆然とする千亜紀を引っ張るように東口のなかに逃げ込み、階段を中間の踊り場まで下ったところでひとまず3人は足を止めた。

聖「ヤバイだろあれ…あんなのに追われちゃ到底逃げ切れないだろ…」

千亜紀も力の無い苦笑いを溢した。3人ともまだゲームスタートから数十秒しか経っていないのにまるで息が上がっている。緊張というよりは恐怖に近い冷汗が噴き出してくるようだった。

春「紘未の奴…この中じゃ一番足が速いだろうに僕らのおとり役を瞬時に買って出るなんて…」

千「紘未は浪人してたからな…同い年の現役生が就活を始めている中で遊びまくっていることに後ろめたさを感じたのかもしれん…」

聖「いやそんなネガティブな衝動じゃなかったと思うけど」

千「『社畜』とか言ったか…奴らは俺らを社会の歯車へと引きり込もうとする『会社の犬』…まずいぞ聖那!奴らに捕まったら俺達の悠々自適なキャンパスライフが破壊される!モラトリアムの危機だ!!」

春「いままさに僕らは『社畜』に牙を向かれている窮地の最中さなか…!」

聖「おまえら落ち着けって!!騒いだら『社畜』に気付かれるかもしれないだろ…!」

パニックに陥ってるのかふざけているだけなのかわからない2人をなだめながら慌てて周囲を見回したが、『社畜』の不気味な影は見えない。

聖「とにかく中央線に乗り込んで早いとこ四ツ谷に行くぞ!」

階段を下りきり、恐る恐る地下通路を見渡したものの、何の人影も動物も見当たらない。駅構内を歩くのが憚れるくらい静かである。

春「時刻表通りなら、5時40分に中央線の上りが発車するよ」

春が直ぐにスマホで新宿駅の時刻表を検索していた。電車が来るまでには地味にまだ時間がある。ギリギリまでどこかに身を隠していたい気持ちもあるが…。

千「ここでじっとしているわけにはいかねぇ、ホームまで出ちまおうぜ」

そう言って千亜紀は東改札の方へ走り出してしまった。

聖「おい!ちょっと待てって…!」

仕方なく聖那と春も千亜紀の後を追っていったが、改札口の先を覗いた千亜紀が即座に右腕を横に上げ、静止するようなサインを出した。

千「…ダメだ、『社畜』がいる」

慎重に壁から身を乗り出してみると、中央通路に2,3匹の『社畜』がうろついていた。

聖「おいおい…一体何匹湧いてるんだよ…」

千「考えてみりゃ当然か。朝から『社畜』が駅にいないわけがない。早朝から仕事なんてどうってことねぇんだよ『社畜』ってのは」

春「ああいう存在にはなりたくないよね」

聖「いま、現実のリーマン社畜の話してる?」

千「俺らもあの『社畜』に捕まったら早朝出勤を強制されるのかもな…」

聖「問題ありすぎるだろそのインターン」

春「…ていうか、多分改札通ったときの音で僕らのこと察知されるよね」

聖「それなら西口に迂回して、総武線を使うという手もあるんじゃないか?」

千「いや、西口に『社畜』が湧いてたらそれこそ逃げ道がなくなる…このゲーム、最初からJR線を使わせる気なんかねぇんだろ」

春「そうなると…丸の内線に賭けるしかないか」

新宿駅から四ツ谷駅に電車1本で向かうためには、JR中央線か総武線、東京メトロ丸の内線の3つの手段が揚げられる。総武線はやや迂回するために四ツ谷まで10分ほどの時間を要するが、中央線と丸の内線なら5分程度で四ツ谷に移動することができる。

聖「この流れだと、丸の内線のホームにも湧いているような気もするんだが…」

春「でも他に手段はない。丸の内線の新宿駅なら地下通路がずっと東に続いてるし、もしもがあっても逃げ道は確保できる。まだ時間はあるし、様子を見てくるだけでもいいと思うんだ」

千「よっしゃわかった!行くだけ行ってみるぞ!!」

またもや千亜紀は1人で走り出してしまうので、聖那も春もその後を追わざるを得なくなった。JR新宿駅の改札口の先には『社畜』がいたものの、構内外周は相変わらず何の影も見当たらない。丸の内線の改札は構内を北に走ってすぐである。東西に細長く伸びている地下通路に出るが、そこにも『社畜』の影はなかったのか、一旦停止した千亜紀がすぐに踏み出し、颯爽さっそうと改札を通過して行った。

春「池袋行きが来るのは5時35分…ギリギリ間に合うんじゃない!?」

あっという間に3人は丸の内線のホームに駆け下りてきた。ここにも何かがいる気配はなく、沈黙している。そんなに明るくないはずのホームが異様に眩しく感じる。

千「なんとか乗れそうだな…呆気あっけない気もするけど…?」

千亜紀が不安そうに呟くと、聖那にもこの静寂以上の違和感が込み上げてきていた。不図ふと電光掲示板を見遣ると、反対方面である荻窪行きも5時35分の発着になっている。この時間帯はまだ上りより下りの方が本数は少ないが、どうやら35分という時刻だけ双方の電車がほぼ同時にここで発着するようだ。それを意味するのは、詰まるところ…。

聖「これは罠だ…電車にも『社畜』が乗っていないとは限らない。更に上りと下りの車両が同時に来れば、挟み撃ちだ」

千「…やっぱり誘い込まれていたのか!?じゃあ地上に戻った方が…!?」

聖「地上も危険だ!紘未を確保した奴らが迫ってきているかもしれない…!」

「間もなく、2番線に、池袋行きが参ります…」

「間もなく、1番線に、荻窪行きが参ります…」

千「やべーよ!!どうすんだよ!?」

春「…このゲームは、『どんな手段を使っても構わない』って言ってたよね…?」

鬼気迫られた表情で、春が序盤のゲームマスター石須賀の言葉を思い起こしてきた。

聖「春、おまえまさか…!?」

すると躊躇ちゅうちょなく、春はホームの非常停止ボタンを押した。ビーーという警報音が、無人のホームで静寂を引き裂くように響き渡った。間もなくホームに入ろうとしていた池袋行き・荻窪行きの電車双方が、間一髪のところで盛大なブレーキ音を立てて停車した。

聖「おいおい…『社畜』に捕まる前に駅員に足止めを喰らっちまうぞ!?」

春「…どうだろうね。今の状況ははっきり言って現実とは妙に違ってる。だからこの騒動を駆けつけて来るとしたら…」

言い終わらぬうちに、階段の上の方で再びあの遠吠えが聞こえてきた。直ぐに異音に反応した『社畜』が駆け下りて来るだろう。

春「僕はあまり体力に自信が無いし…少しはインターンで勉強してくるとするよ」

聖「まさか、おまえまで囮に…!?」

千「ボサっとしてんなよ聖那!ここは春に任せて行くぞ!!」

そう言って千亜紀はホームドアを跨いで、2番線の線路に飛び降りてしまった。

聖「おいおいマジかよ!?うわっ!!」

急展開にひるんでいると、階段から2匹、3匹と『社畜』が雪崩なだれ込み、ホームに残された2人に向かってきた。

春「聖那!行ってくれ!!」

聖「わかった春、すまん!!」

春が『社畜』を引き付けようとするのを尻目に、聖那も2番線の線路に飛び降りて走り始めた。足場が足場なので全速力は出せないが、なんとか千亜紀と合流して暗いトンネルへと突っ込んでいった。左手側の線路で緊急停車している荻窪行きの車両には案の定『社畜』がうじゃうじゃと乗っており、パニックになっているのかあちこちで吠えながら暴れ回っているようだった。

千「クッソ…春!おまえの死は無駄にはしねぇからな!!」

聖「いや死んでねぇから。インターンに回されるだけだから」

千「だっておまえ…何の危険もないのに非常停止ボタン押したら偽計業務妨害で…春は前科が付いて社会的に死んじまうだろうが!!」

聖「それを言ったらいま線路走ってる俺らも只事じゃ済まないっつの!!」

思わず出てしまう大声がトンネル内で無駄に響くなか、2人は次の停車駅である新宿三丁目のホームへと辿り着いた。時刻は間もなく5時40分になろうかというところである。ここから四ツ谷までは、更に2つの駅を通過することとなる。

千「このまま線路を進み続けて四ツ谷まで出るんでもいいんじゃないか…?」

夜勤バイト明けの千亜紀はこの時点でも疲労を隠せないでいる。

聖「いや、一駅分は移動したしそろそろ地上に出た方がいい。こんな暗い中でもし『社畜』に襲われたらそれこそ逃げ場もない」

千「『社畜』が線路上まで仕事しに来るとは考えにくいが…?」

聖「電車もそのうち動き始めるだろうし。それに四ツ谷はホームが地上に出るから…」

千「…ああ、この足場で最後に上り坂なのは…無理だ…」

線路上の移動はここまでで断念し、2人は恐る恐る新宿三丁目のホーム上へと上った。するとホームの奥の方でチラチラと揺らめく影が幾つか確認できた。急いで近くのエスカレーターを駆け上がり、様子を伺いながら地上へと向かっていく。

千「…なぁ、なんか少しずつ視認できる『社畜』の数が増えてきてるような気がするんだけど!?」

聖「奴らが現実でいうリーマンを模しているものなら…時間が過ぎるごとに徐々に増えてくるもんなんじゃないか!?」

千「つまり、時間が迫るごとにどんどん不利になっていくのか…くそ、『社畜』は朝早くから仕事しすぎなんだよ…!」

小刻みに会話を続けながら階段を駆け上がりようやく地上へ、新宿通りへと戻ってきた。伊勢丹とマルイに挟まれて明朝の空がとても狭く感じる。残り時間は20分を切っているが、地上と地下を行き来していたせいで、結局目的地までわずかしか進めていないことを察した。

聖「まずいな…地上に戻ったはいいものの、ここからどうやって大学まで行けば…?」

千「…いや、まだ諦めるのは早いぞ聖那!」

そう言って千亜紀は道路に身を乗り出し、右手側に向かって何かサインを出した。振り向くと、遠くの方からタクシーが走って来ていた。

千「ここまで来たら最後は車で移動するしかねぇ、車なら『社畜』に確保される心配もないしな」

聖「それはそうだけど…ここでタクシーが来るのは不自然すぎねぇか!?」

そもそも人通りも車も行き交っていない異様な世界観が続く中で、都合よく1台のタクシーが走っていること自体が怪しい。それに近づく車体をよく見ると、運転席には誰も乗っていない。こちらが動き出す前にタクシーが2人の目の前に緩やかに停車し、開け放たれた後部座席のドアからは案の定1匹の『社畜』が飛び出してきた。

千「やっぱりそう来るよな。夜勤明けの頭でもそれくらい予想はできる。車のサイズ的に1匹くらいだってこともな」

トランクにももう1匹潜んでいそうだったが、タクシーに動きはない。飛び出してきた1匹は低い唸り声を上げて2人のうちどちらに襲い掛かろうか様子を窺っている。

聖「余裕のある台詞せりふ言ってる場合じゃねぇぞ、どうすんだよこの状況」

千「何言ってんだ、後はおまえに任せたって話だよ!おまえだけでもモラトリアムを護って、社畜にまみれる世界から帰る俺たちを出迎えてくれってことよ!!」

千亜紀は不敵な笑みを浮かべているが、息も絶え絶えで声がかすれそうである。

千「それに俺…正直もう体力の限界なんだ…」

聖「だから夜勤明けで来てんじゃねぇって言っただろ!?」

千「おまえだけでも逃げ切れ!どんな手を使っても構わないんだからよ!!」

千亜紀は高らかに言い残して、『社畜』を誘き寄せるように路地裏へと駆け出して行った。釣られて様子を窺っていた『社畜』も後を追いかけていく。

聖「千亜紀っ!!…くそ、何なんだよ皆して囮になりやがって…!」

1人取り残された聖那だったが、またあらぬところから『社畜』が飛び出してくることを危惧し、身を隠す場所を探そうと辺りを見回した。先程の無人タクシーが静かに放置されているままであった。そして何度も聞いたフレーズが脳内でリフレインする。

聖「…どんな手を使っても、構わない…!」

意を決して、誠は無人タクシーの運転席に乗り込んだ。運転は大学2年の夏休みに合宿で免許を取って以来だが、人も車もまったく見当たらない道路でAT車を動かすことに躊躇いはなかった。シートベルトを締め、アクセルを踏み込んでゆっくりと走り始める。他方でどんな手を使っても構わないと思いつつも、制限速度と信号機は律儀に守っていった。急に何かが突っ込んできてタクシーが壊れたり怪我でもしたら元も子もないと考えているからであった。

 

大学に近づくにつれて周囲の歩道にも目に見えて『社畜』が増えてきたが、信号待ちのタクシーに襲い掛かってくるような気配はなかった。

聖「いくら『社畜』とはいえ、怪我を覚悟で身投げしてくる奴はいないってか…ホントに何なんだこいつらは」

静かな車内でぼやいていると、助手席に投げ出してあるスマホのグループトークでチャットが始まった。

紘「うぃーっす、おまえらどんな感じだー?」

ゲーム開始十数秒で『社畜』に確保されていた紘未が気怠そうな声を発してきた。今の今まで寝落ちしていたのかもしれない。

千「おおっ!紘未か!生きてたんだな!?」

紘「勝手に殺すんじゃねぇ。あのあと道路で寝落ちしてたから車にかれそうになったけどな」

春「『社畜』に襲われるよりも重傷になりかけてちゃ世話ないね」

千「春も無事か!…いや、駅員の事務所で取り調べ受けてるのか」

春「駅員にも捕まってないよ。あのあと気付いたらホームのベンチに凭れていたし、いまは電車も動き出して普通に人が乗り降りしてる」

紘「あのあと一体何やらかしてたんだよおまえら」

千「俺も結局捕まっちゃったけどその直後のことは何か記憶飛んでて…気づいたら汚い路地裏でホームレスみたいにへたり込んでて通行人に白い眼で見られてたわ」

紘「もう例の犬っぽいバケモノは見当たらないな…普通の新宿が戻ってる。何かヘンな夢でも見てたのかな」

春「いや、石須賀さんから来週のインターンの詳細メールが転送されてきてる。僕らはゲームから脱落したってわけだ」

千「脱落したから現実世界に戻って来たってか?原理がよくわからんな…まぁいいや、聖那はあれからどんな感じだー?」

やっと話を振られた聖那は、ゆっくりと四谷見附橋を通過しており、紀尾井大学が右手側に大きく迫って来ていた。ただし大学側に車を付けるには反対車線に回らなければならないため、Uターンをすべく新宿通りをもう少し東へ進んでいく。6時まではまだ残り10分ほどある。

聖「…いまタクシーで大学前まで来てる。もう少しでゴールできるぞ」

千「おおっ!さっすが聖那!俺の計画通りだな!」

聖「おまえは睡眠不足で思考停止してぶっ倒れただけだろ」

紘「タクシー呼んで行くなんて手が使えたのか。案外楽勝なルートがあったもんだな」

聖「いや、無人のタクシーが放置されてたからいまそれを運転してる」

春「え、聖那って二種免許持ってたっけ」

聖「別に人を乗せて金をとるわけじゃねぇし…それに『どんな手を使っても構わない』っていうルールなんだろ?」

春「そういえばそうだったけど…僕の周りはいまはもう普通に人が行き交う普通の日常だし」

聖「こっちはまだ例の『社畜』が行き交ってて百鬼夜行みたいなんだけど」

日が昇るにつれて揺らめく『社畜』の影は騒がしさを増しているように見える。大学の北門は閉じられており、歩いて通用口の扉に入るしかなさそうなので、タクシーで敷地内を突っ込むわけにはいかず、その最後の数秒間だけは『社畜』に身をさらすこととなる。聖那は取り敢えずタクシーを大学前の車道脇に寄せて停車させた。

千「何だかよくわかんねぇけど、ここまで来たら聖那はばっちりゴール決めてくれよ。そしたら俺らも報われるってもんだ」

春「そうだね。まぁ僕らは来週インターン参加だけどね」

紘「ちょっと社会人を体験してくるだけだろ?またすぐに元の学生生活に戻れるさ。それまで聖那は待っていてくれよな!」

聖「…さっきから何なんだよおまえら、やたらめったら恰好つけやがってよ…」

エンジンを止め、シートベルトを外し、助手席からスマホを拾い上げてグループトーク画面を睨み付ける。

聖「おまえらが社会経験積んでるのを尻目に俺だけ呑気に日常を送るなんてできるかよ!?俺もおまえらと一緒に…インターンに参加してやる!!」

蹴飛ばすようにタクシーのドアを開き、まだひんやりしている道路上に降り立った。ゆっくりと大学前の歩道に足を進めると、たちまち周囲に蔓延はびこる『社畜』の注目を集めた。

千「おい、今までの苦労が無駄になるだろ、血迷ってんじゃねぇ!」

紘「そうだよ、俺たちのことなんか気にすんなって!除け者にしようって気はないんだからさ!?」

春「インターンなんて必ず参加しないといけない制度じゃないし、そんな理由で僕らに合わせなくても…」

聖「うるせぇな!俺だっていつかは社会人になるんだ!一緒に就活して何が悪いってんだ!!」

疎外感が自棄やけを起こしたのか、怒りに似た感情が噴き出し、周囲の『社畜』がそれに呼応して低い唸り声を響かせる。

紘「一緒にっつっても…俺は公務員志望だから民間の就活はする気無いしなぁ」

なんだか紘未が気まずそうに呟く。

春「僕も大学院進学志望だから、いま就活してもって感じだし」

千「俺も家業を継ぐ予定だしゴリゴリの就活はしないつもりなんだよねー、修行して来いって言われたら会社探すけどさ」

聖「…え?何なのおまえら…」

噴き出していた感情が外気の冷たさに反応して、一気に冷静さを取り戻した。それと同時に、石須賀が今回ゲームマスターになった理由がわかった気がした。皆はじめから民間志望でないことを知っていたから、敢えてこんなゲームをさせてインターンに引っ張ろうとしていたのではないかと。

聖「進路決まってんなら…先に言えよなあああああああああ!!」

最後の力を振り絞って北門へ突っ込んだ聖那だったが、既に背後に迫っていた『社畜』の波に呑まれてゴールは叶わず、後日社会の海に身を投じることとなるのであった。

 

GAME OVER.

インターン編へつづく(続かない)

はじめは某番組のような逃走劇を考えていましたが、最終的にハンターは犬的な何かになりました。

ああいうロケって街中でやる場合早朝にやってるんですよね。よく身体動くよなぁって観てました。

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