「あの……、私、思ったのですが……。他の方、特に教会関係者には、黙っていれば済む話なのではないですか?」
「…………」
不思議そうに問われたアルティナは、まさかグラード教の本拠地がある王都リオネルで、しかも一家揃って実直そうで、その中でも人一倍信仰心がありそうな容姿のマリエルにそんな事を言われたことで、虚を衝かれて黙り込んだ。すると彼女は次にユーリアに顔を向け、事も無げに尋ねる。
「だって日中、普通にアルティナ様が起きている時間帯はアルティン様は表に出て来られないから、お亡くなりになって二ヶ月以上経過しているのに、ユーリア以外の周囲の方には全く気付かれなかったのでしょう? ねえ、ユーリア。違うの?」
「ええ……、それは確かに、気付かれはしなかったですが……」
「だったらわざわざ、こちらから教会に申告する必要はありませんよね?」
「え、えっと、それは……、ですね」
小首を傾げながら同意を求められたユーリアは、想定外の事態に目線で主に助けを求めた。それを受けてアルティナが必死に頭を働かせつつ、マリエルに言い聞かせる。
「あの、マリエル嬢? アルティナは、現に私のような悪霊付きですよ? 本来、忌避されるべき存在ですが」
「そもそもその認識が、間違っておられるのです!!」
「はい?」
途端に語気強く反論されて、アルティナは目を丸くした。
「死しても尚、妹君を想って現世に留まってしまうなんて、なんて健気で美しい魂なのでしょう! そんな魂が他人に害を為す悪霊などと、呼べる筈がありません。もしそれが排除すべき悪だと教会が主張するのなら、それは教会の方が間違っています。ただの欲の皮の突っ張った、皮下脂肪と小金を貯め込んだ、薄汚い小物の集団でしかありえません!」
「マリエル嬢! 教会や司教を冒涜するような台詞は、滅多に口にするものではありません! どこで誰に聞かれるか分からないのですよ?」
慌ててアルティナが窘めたが、マリエルは落ち込むどころか目を輝かせて彼女に笑顔を向けた。
「まあ、私の心配までしていただけるのですか? 感激です! この場に居るのは家族と以前からの信用が置ける使用人ばかりですので、そういう心配はご無用ですわ」
「……そうですか」
「お父様とお母様は、どう思われますか?」
そこでアルティナを放置してマリエルが両親に意見を求めると、伯爵夫妻は一瞬顔を見合わせてから、あっさりと娘の意見に同意した。
「言われてみれば、マリエルの言う通りだな」
「伯爵!? ちょっとお待ちください!」
「それに変に騒ぎを起こしたりしたら、却って教会のご迷惑ですわね」
「伯爵夫人!? あの、迷惑といわれましても!」
「それではアルティナ様の、今後の身の振り方についてですが」
まさか常識人に見える夫妻が教会に対しての隠蔽に同意するとは思わなかったアルティナは、愕然となって絶句したが、次にマリエルが持ち出した話題にケインが食って掛かった。
「おい、ちょっと待てマリエル。身の振り方って、お前、今度は何を言い出す気だ?」
「五月蠅いです。女の敵は黙っていてください」
「なっ! 女の敵って!?」
冷たい眼差しでそっけなくぶった切られたケインは内心でかなり傷付いたが、マリエルはそんな長兄の心情になど一切構わず、さくさくと話を進めた。
「アルティン様」
「……はい、なんでしょうか?」
今度は何を言われるのかと思わず身構えながら応じたアルティナだったが、その緊張が伝わったのか、マリエルは穏やかに微笑みながら言葉を継いだ。
「清廉潔白で情の深いあなたが、兄の様な最低野郎に妹を渡したくないと言う気持ちは分かります。いえ、それはむしろ当然です」
「ど、どうも……」
「『最低野郎』って……、マリエル。お前、実の兄に対して酷くないか?」
容赦の無い台詞にアルティナは思わず顔を引き攣らせ、ケインはがっくりと項垂れる。そこでマリエルは急に顔つきを改め、懇願する口調で申し出た。
「ですがこんな下衆野郎でも、お恥ずかしながら私にとっては血の繋がった兄なのです」
「はぁ……」
「マリエル。お前、『下衆野郎』なんて言葉を、一体どこで覚えた?」
「ですからここは一つ、兄に挽回する機会を与えていただけませんか?」
「はい? 機会とは?」
ケインが本気で頭を抱え、アルティナが本気で首を捻る中、彼女はとんでもない事を言い出した。
「アルティナ様は、このままケイン兄様と書類上の結婚をしていただいて、我が家で身柄を預かります。しかし実質上は、兄様の婚約者の扱いで過ごしていただくという事です。そして暫くの間、兄には品行方正な生活を送って貰って、それをアルティン様に身近で見ていただいた上で、妹君を兄に任せても良いと判断されたら、その時は兄とアルティナ様に本当の夫婦になっていただく事に致しましょう。どうですか? お父様、お母様」
「…………」
「ちょっと待て、マリエル! お前、何を勝手な事を言っているんだ!?」
唖然としたアルティナが言葉を失う中、ケインが血相を変えて噛みついた。しかし家族からは、次々に納得した声が上がる。
「ふむ、マリエルの主張も一理あるな。アルティン殿にこれまでのケインの悪行が筒抜けなら、さぞかしアルティナ殿が心配だろう。思わず現世に留まってしまったのも頷ける。ケイン。この際一年や二年位は、アルティン殿の信頼を取り戻す為に頑張ってみたらどうだ?」
「父上!」
「そうですね。このままではアルティナ殿が心配で、アルティン殿がいつまでも神の国に逝けませんもの。心置きなく逝っていただく為にも、二年や三年は、実質的な婚約期間を設けては良いのではないかしら?」
「母上、何をくだらない事を」
「マリエルの意見に賛同します。兄さん。名誉挽回の為に三年や四年頑張る位、大したことではないよな?」
「クリフ! お前、絶対面白がっているよな!! しかもさりげなく期間が延びているぞ!」
狼狽しまくっているケインとは裏腹に、彼の家族は落ち着き払っていた。その反応を確認したマリエルは、満面の笑みでアルティナに向かって宣言する。
「アルティン様。私はアルティン様の味方ですわ! アルティン様がケイン兄様を妹君の夫と認めるまでは、アルティナ様に不埒な真似は一切させませんので、どうかご安心なさってくださいませ!!」
「あ、は、はあ……、どうも……」
反射的にアルティナが礼を述べ、マリエルは改めて家族に確認を入れる。
「それではお父様もお母様もクリフ兄様も、異存はございませんよね?」
「ああ、そうしよう」
「アルティン殿、ご安心なさってください」
「妹君は、我が家でしっかりお預かりします」
「……ありがとうございます。誠に、感謝の念に堪えません」
口々に笑顔で力強く保証してくれた面々に、アルティナはなんとか笑顔を保ちながら礼を述べる。一方で家族からダメ出しを食らいまくったケインは、魂を飛ばしたような表情で黙り込んでいた。
「あ、それから、先程からお尋ねしようと思っていたのですが、アルティナ様はご自分の身体に、アルティン様の魂が宿っている事は、ご存じなのでしょうか?」
そこで思い出したように確認を入れてきたマリエルに、アルティナとユーリアは一瞬視線を交わしてから、話を合わせて応じる。
「いえ……、アルティナは敬虔なグラード教の信者なので、そんな事を知られたらショックで倒れかねませんから、ユーリアには知らせるなと指示してあります」
「私も、そんな事をアルティナ様にお知らせしたら、『私のせいで、お兄様が神の国に逝けないなんて!』と嘆かれて、自ら命を絶ちかねないと思ったものですから」
「確かにその通りですね。皆、この事はくれぐれもアルティナ様には内密に。分かりましたか?」
それを聞いたマリエルは、幾分厳しい口調で壁際に佇んで一部始終を聞いていた使用人達に念を入れる。するとこの間茫然として主達の話に聞き入っていた彼らは、無言のまま慌てて首を縦に振った。それを見て、マリエルは満足そうに周囲の者達を促す。
「それでは当面の方針は決まったし、もう休みませんか? さっきから眠くて、仕方がなかったの」
それを聞いた面々は、即座に同意して次々に腰を上げた。
「そうですわね。明日もお茶会がありますし、いい加減に休まないと」
「それではアルティン殿、失礼する。目が覚めてから、私達の方からアルティナ殿に先程の方針の話をしますので、ご心配なく」
「宜しくお願い致します」
「ほら、兄さん。さっさと部屋に行くよ。明日も勤務だろ?」
「ちょっと待て、クリフ。俺は彼女と話を」
「今は『彼女』じゃなくて『彼』なんだから。ここでみっともなく喚いて、アルティン殿の評価をこれ以上落とすのは得策じゃないだろ。それではアルティン殿、お休みなさい」
「はい、お休みなさい」
そして使用人達に続いて、シャトナー家の者達も次々に応接室を出て行き、最後にクリフに引きずられるようにしてケインが居なくなって、室内にはアルティナとユーリアだけが取り残された。
「ユーリア」
「……はい」
「何なの? 普通、悪霊付きなんて分かったら、気味悪がられて即刻教会に通報されて、叩き出されるんじゃないの? だから守銭奴のシャトナー家の体面を潰しつつ、公式にも完全に姿を消そうと思っていたのに」
愕然としながらの自問自答気味の台詞に、ユーリアが律儀に応じる。
「普通はそうだと思いますが……、シャトナー伯爵家の人の良さと斜め上の発想っぷりを、予想できませんでしたね。ところで、これからどうするんですか? ちょっと予定が狂いましたが、持参金を抱えて逃げますか?」
何気なく提案したユーリアだったが、それに慌ててアルティナが反論した。
「ちょっと待ってよ。意地汚く金を巻き上げる輩からは遠慮なく分捕れるけど、社交界から悪評を着せられる可能性がありながら、私を引き受けてくれるような善人揃いなのよ? そもそも持参金だって私の好きにして良いって言ってくれたのに、出奔したら私がまるっきり悪人じゃないの!?」
「本当に。せっかくの好意を踏みにじる、人でなしですよねぇ……」
「そこまで言う!?」
「事実を指摘しただけです。取り敢えずアルティナ様」
「何?」
真顔のユーリアに思わずアルティナも顔つきを険しくして尋ねると、彼女は冷静にこれからの事について提案した。
「ここでいつまでもグダグダ言ってないで、取り敢えず部屋に戻って休みませんか? 今日は色々あり過ぎて疲れましたし、疲弊した頭で考えてもろくな考えが出ないと思います」
「……確かにそうね。そうしましょう」
物凄く真っ当な提案に反論する気は毛頭なかったアルティナは、休息を取るべくユーリアを引き連れ、与えられた客間に戻って行った。
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