「お帰りなさい、ケイン」
ケインの帰宅を執事の一人が自室に知らせに来てくれた為、アルティナは玄関ホールまで出迎えに出て、声をかけた。するとコートを脱ぎながら、執事長のガウスと何やら話し込んでいた近衛騎士団の制服姿のケインが、嬉しそうに答える。
「ああ、今戻った。アルティナは、もう夕食は済ませたのか?」
「いいえ。ケインから少しだけ帰宅が遅れると連絡があったから、私だけ待っていたの。皆は食べ終わっているわ」
本当は薄情にも、皆と一緒にさっさと食べてしまおうと思っていたアルティナだったが、それをさすがに不憫に感じたユーリアから「偶には待ってあげて、一緒に食べてあげたらどうですか?」と勧められた為だった。しかしそれを聞いたケインは、益々笑顔になって頷く。
「それは悪かった。じゃあ食べながら、話したい事があるんだ。急いで私服に着替えてくるから、先に食堂で待っていてくれ」
「ええ、分かったわ」
そこで二人は一旦別れ、食堂で再び顔を揃えてから、給仕が速やかに二人分の食事を整えた。
「それでケイン。さっき言っていた話とは何?」
向かい合って食べ始めてから、何気なくアルティナが尋ねると、ケインが笑いを堪える様な表情で、ちょっとした襲撃事件についての話を始めた。
「そのうち他からも耳に入るかもしれないが、昨夜グリーバス公爵夫妻が、馬車で王宮へ向かう途中に、賊に襲撃されたらしい。逃走中の賊と遭遇した王都内を巡回していた近衛騎士団が、かなりの人数を捕縛したらしいが、何人かは取り逃がしたそうだ」
それを聞いたアルティナは、わざとらしく目を見開いてみせた。
「まあ……、物騒ね。あの屋敷はここより王宮に近い場所にあるし、護衛の人数も多いと思うのだけど……。それで被害の状況は?」
「護衛も公爵夫妻も軽傷だそうだ。馬と髪を盗られたらしいが」
「馬と髪を盗られた?」
本気で首を傾げたアルティナに、ケインは益々面白そうな顔つきになりながら、話を続けた。
「夫妻と御者と護衛兵全員、手際良く縛り上げられて、短時間で剃り上げられたらしいな。さすがに公爵夫人にはそこまでする気は無かったのか、肩の所でバッサリ切り落とされただけらしいが。その挙句に剃り落とした髪を、目の前で全て焼き捨てられたらしい」
どう考えても自分達が剃られた事に対する意趣返しとしか思えなかったが、アルティナとしては夜の襲撃など全く知らない事になっている為、真面目くさって答えた。
「金銭や宝飾品を盗られたわけでは無いの? それに、何か特に髪に怨みでもある賊だったのかしら? 自身が禿げ上がっているから、髪がふさふさの人間が憎らしいとか?」
「さ、さあ……、どうだろうな」
「ケインったら、そんな風に笑わなくても……」
「悪い」
見当違いな事を聞かされたケインは、我慢できなくなって小さく噴き出し、くすくす笑いながら尋ねてきた。
「ところでアルティナ。見舞いの手紙でも出すか? 遭遇した隊員の話では、みっともない頭で王宮に出向くわけにはいかず、昨夜は大層ご立腹のご様子で、屋敷にお帰りになったそうだが」
そう尋ねてきたケインに、アルティナも苦笑しながら返す。
「あの人達が、私に慰めの言葉を期待しているとは思えないわ」
「そうだろうな」
そこで一旦話題が途切れたが、すぐにケインが別の事を言い出した。
「それから……、今日ナスリーン殿から、近衛騎士団本部にアルティナを連れて来てくれないかと、頼まれたんだ。『直接会って、話したい事があるから』と言われて」
「ナスリーン様と言うと、白騎士隊の隊長の方ですよね? そんな方が私に、どんな話があるのかしら?」
惚けながら首を傾げて見せたアルティナに、ケインも困惑したまま事情を説明する。
「俺も聞いてみたが、教えては貰えなかった。だが『困っているので、是非お願いしたい事がある』と言われてしまったものだから」
それを聞いたアルティナは、躊躇わずに快諾した。
「私が話を聞いても、何のお役に立つかは分からないけど……。そんなにお困りなら、王宮に出向く位構わないわよ?」
「そうか? 悪いな」
「ただいきなり押しかけても、ナスリーン様のご都合もあるだろうし、先方の都合を聞いて貰えるかしら? 私は当面予定など無いし、全面的にそちらに合わせるから」
一応、予定のすり合わせを申し出た彼女に、ケインが納得して頷く。
「そうだな。早速明日、ナスリーン殿に確認する。生前のアルティンから君の話を何度も聞いていて、随分心配されていたらしいから、直に顔を合わせたら喜んで頂けると思うし」
「私も折に触れ、ナスリーン隊長のお話は兄から聞いていたから、お会いするのが楽しみだわ」
(騎士団本部か。懐かしいわね。ついこの前まで、普通に行き来していたのに)
それを契機に、暫く近衛騎士団の話題になり、アルティナは楽しくケインの話に聞き入ったが、ナスリーンとの話が微妙に引っかかった。
(だけどナスリーン殿の話が何か、気になるわ。それに顔も合わせた事の無い人間に頼み事って、あのナスリーン殿らしくないし……。一体、何事かしら?)
そんな疑問を抱えつつ一両日を過ごし、アルティナは二日後に王宮内の近衛騎士団の本部を、訪問する事になった。
※※※
その日の朝、正規の時間に出勤したケインが昼下がりに一度帰宅し、アルティナを伴って再度王宮に向かった。そのまま正門を抜け近衛騎士団本部に至るまで、アルティナを乗せた馬車とケインが乗った馬は、彼の顔パスで問題なく二つの門を通り抜け、大きな建物の前に到達する。
「さあ、アルティナ。ここからは歩いて貰うが」
「勿論、構わないわよ? だけど想像していたよりも、随分大きいのね」
「そうか? じゃあ行こうか」
馬車から降りるのを手伝って貰ったアルティナは、興味深げに建物を見上げるふりをすると、ケインは笑って彼女を伴って歩き出した。しかしすぐにすれ違ったり、遠くから自分達を眺めている隊員達の驚愕と好奇心溢れる視線が気になってしまったアルティナは、思わず尋ねてしまう。
「あの……、ケイン。私、どこかおかしな所があるかしら?」
「いや? どこもおかしくないし、今日もとても綺麗だが?」
「そうじゃなくて、何だか遠巻きに見られている様な……」
真顔で言われた台詞に、思わず脱力しかかったアルティナだったが、ケインは笑って事も無げに答える。
「それは、アルティンと良く似た君が歩いていれば、彼を見知っている者は、思わず凝視するだろうな」
「そうかもしれないけど」
「騎士団本部に詰めているのは殆ど男だから、無粋な視線に君を晒したく無いのが本音だが、ナスリーン殿の頼みだし仕方がない」
言いながら顔を顰めたケインを、彼女は呆れ気味に宥めた。
「ケイン。そんなに嫌そうに言わなくても……」
「本心だからな。だがやはり、我が家にナスリーン隊長をお招きすれば良かったか……」
そう言ってぶつぶつと何やら呟き始めた彼を見て、アルティナは密かに溜め息を吐いた。
(アルティンとアルティナが同一人物だと、最初から疑ってかかる人間はいないでしょうけど、どうにも落ち着かないわね。もっと感慨に耽る事ができるかと思ったのに)
若干気落ちしながらアルティナが廊下を進んでいくと、見覚えのあり過ぎる管理棟に到達した。そして各隊長に与えられているフロアに足を踏み入れ、かつて自分が使っていた部屋の前を感慨深く通り過ぎてから、目的のドアの前に立つ。
「黒騎士隊副隊長、シャトナーです。入室致します」
「はい、どうぞ。お入り下さい」
ケインがノックをしてから規定通りに名乗りを上げると、室内から穏やかな声が帰ってきた。それに従ってドアを開けて二人で中に入ると、正面の机で何やら書類に目を通していたらしいナスリーンが、笑顔で立ち上がり、歓迎の言葉を口にする。
「まあ! 本当にアルティン殿に良く似ていらっしゃる。アルティナ様、ようこそ、近衛騎士団へ。白騎士隊隊長の、ナスリーン・ロミュラーです」
「ナスリーン様、初めまして。アルティナ・シャトナーです」
アルティナが名乗る間に、机を回り込んで彼女達の前にやって来たナスリーンは、右手を差し出しながら申し訳なさそうに言い出した。
「私の都合で、わざわざこんな所まで足を運んで頂き、誠に申し訳ありません」
「いえ、兄が生前働いていた場所を見る機会ができて、嬉しく思っておりました」
「そうですか……」
しかし自然にアルティナが右手を差し出して握手した途端、ナスリーンの表情が微妙に変化した。
(あら? 何だか急にナスリーン隊長の表情が険しくなった様な。気のせいかしら?)
アルティナが違和感を覚えた直後、ナスリーンは手を離し、急に真顔になって切り出した。
「それで早速ですが、ケイン殿に頼んで、貴女にここまで足を運んで頂いた理由を説明させて頂きますが……」
「はい。どういったお話で……、っ! きゃあっ!!」
「アルティナ! ナスリーン殿!」
何故かいきなりナスリーンが、腰のベルトに装着してある短剣を鞘から引き抜き、アルティナめがけて横一文字に斬り付けた。咄嗟にアルティナは背後に勢い良く飛び退ってそれを避けたものの、着地でドレスの裾を踏みつけ、盛大に尻餅を付いてしまう。
(しまった! ドレス姿だったのを、すっかり忘れてたわ! なんて失態!!)
そこで茫然としてそのまま床に座り込んだ彼女とナスリーンの間に、ケインが抜剣しながら血相を変えて割り込み、怒りの形相で相手を非難した。
「何をするんですか! 幾らあなたでも、容赦しませんよ!?」
「すみません、ケイン。ちょっと確かめたかっただけです」
「ちょっと!? いきなり斬り付ける事のどこがですか! しかも何を確かめると?」
冷静に短剣をしまいながらの彼女の台詞に、益々ケインは怒りを露わにしたが、ナスリーンは構わずに話を続けた。
「ケイン。あなたは彼女の剣ダコについて、疑問に思った事は無いんですか?」
その問いに、ケインは思わず怒りを忘れて、当惑した表情になる。
「剣ダコ? 何の事です?」
「アルティナ様の右手にありましたよ?」
それを受けて、ケインは真顔で考え込みながら答える。
「そういえば……、確かに一般的な女性よりは、多少手が硬いとは思いましたが、そんな事位でアルティナの魅力が損なわれる事は、微塵もありませんから」
「……あなたが彼女にベタ惚れなのは、良く分かりました」
生温かい視線をナスリーンがケインに向ける中、アルティナも思わず遠い目をした。
(そりゃあ、普通深窓の令嬢に剣ダコがあるなんて思わないものね。アルティナになってからは毎日クリームを擦り込んで、前よりは硬くは無くなったと思うけど、そうそう無くなる物では無いし)
そんな事を考えていると、ナスリーンが確信している口調で言い出す。
「握手をしてみて分かりました。彼女はかなり本格的に、剣の修練をしています」
「そんな筈は……。それにどうして、そんな事が分かるんですか?」
「剣ダコの位置です」
「はぁ?」
本気で戸惑った声を上げたケインに向かって、彼女は冷静にその根拠を告げた。
「私が普段使っている、突き刺したり表層を切り裂くのに適している細身のレイピアと、実戦で鎧の繋ぎ目や本体を叩き切ったり突き通す為の広刃のソードでは、剣の構え方、手の力の入れ方が微妙に異なる為、剣ダコのできる位置が微妙に違うのです」
「そうですか? 考えた事もありませんでしたが」
ケインが思わず剣を左手に持ち直し、自分の右手を見下ろしながら呟くと、ナスリーンが小さく頷いて続ける。
「そして、アルティナ殿の剣ダコの位置は、女性が通常使用するレイピアでのそれでは無く、明らかにソードを使用してできた物。しかも付き方がアルティン殿のそれと、全く同じ。何度かアルティン殿と握手をした事があるので、それははっきりと覚えています。そうなると導かれる答えは、自ずと一つ……」
そこで言葉を区切ったナスリーンは、ケインの背後で座り込んだままのアルティナを凝視し、剣を元通り鞘にしまいながら釣られて振り返ったケインも、彼女を眺める。そんな二人の視線を一身に浴びてしまったアルティナは、盛大に冷や汗を流した。
(え? ちょっと待って! まさかアルティン=アルティナとバレた!? 油断したわ! まさかこんな所で、そんな理由で!)
しかし次にナスリーンが口にした内容を聞いて、アルティナの思考が完全に停止した。
「その剣ダコ、そして先程の身のこなし。……アルティナ様。あなたはアルティン殿と同じ師に付かれたか、アルティン殿から直々に指導を受けられましたね?」
「………………え?」
しかしアルティナが絶句して固まっている為、ナスリーンは不思議そうに確認を入れた。
「それで同じ形状の剣で稽古して、同じ剣捌きを身に付けたから、同様の剣ダコができたのでは無いのですか?」
不思議そうに問われて漸く我に返ったアルティナは、慌てて言い募った。
「ははははいっ! ナスリーン様が仰る通りです! 兄が『閉じこもっているから余計に身体が弱くなるのだから、少し剣の稽古をしろ』と、幼い頃に習っていた師匠を、領地の屋敷に派遣して下さいまして!」
それを聞いたナスリーンが、納得した様に頷く。
「やはりそうでしたか。ですがその師匠は、なかなか厳しい方だった様ですね。レイピアでは無く、女性が扱うには難しいソードで手ほどきするとは」
「兄に比べれば、だいぶ手加減はして下さいましたし、師匠には『剣を扱うなら本格的に学ぶべきだ』とのポリシーがあったみたいです」
「それにしては、剣を習っていたなどと、一言も言って無かったのはどうしてなんだ?」
そこでケインが怪訝な顔で口を挟んできた為、(余計な突っ込みを入れないでよっ!)と罵倒しそうになりながらも、アルティナはそれらしい理由を必死に捻り出した。
「それは、そのっ! 日常生活で剣を振り回す機会なんて殆ど無いし、あくまで健康増進の一環だったから、わざわざ口に出す事も無いと思って!」
「健康増進……」
それを聞いて微妙な顔になったケインから、ナスリーンに視線を移したアルティナは、彼女に向かって訴えた。
「それに! 兄が『護身術としても使えるが、きちんと撃退できる程の腕ではない。あくまで相手を油断させた上で、一撃か二撃反撃して、逃走する為の手段だと思え』と言われておりまして。『中途半端に剣を使えるなどと周囲に振れ回って、襲撃者に余計な警戒心を抱かせるな』とも、言っておりましたから!」
一気に言い切って、乱れた息を整えている彼女を見たケインとナスリーンは、顔を見合わせて深く頷き合った。
「確かにその通りだな。如何にもアルティンが言いそうな事だ」
「アルティン殿は、やはり貴女の事が大事だったのですね。なるべく危険性を少なくしたかったのでしょう」
(良かった。取り敢えず納得してくれたわよね?)
相変わらず床に座り込んだまま、アルティナが胸を撫で下ろしたのも束の間、ナスリーンが急に身体の向きを変えて、仮眠用の続き部屋に繋がるドアに向かって呼びかけた。
「殿下。これでご満足頂けましたか?」
「え?」
「殿下って……」
アルティナとケインが当惑しながら、彼女と同様にドアに視線を向けると、それをゆっくり押し開けながら、満足そうな顔つきのジェラルドが姿を現す。
「ああ、思った以上だ。嬉しい誤算と言うべきだろうな」
「王太子殿下! どうしてここにいらっしゃるんですか!?」
思わず驚きの声を上げたケインの足元で、アルティナはひたすら唖然としていた。
(ちょっと待って、勘弁して! 何だか益々、厄介事が増えそうな気がするんだけど!?)
仰天したアルティナと怪訝な顔のケインに構わず、ジェラルドは真っ直ぐナスリーンに歩み寄りながら、感心した様に述べた。
「しかし剣ダコとは……。舞踏会で踊った時には、全く気が付かなかった」
「女性は正装時には、手袋は必須ですから。気が付かなくても、仕方がありませんわ」
「だが、握手しただけで気が付くとはさすがだな。やはり貴女に相談して良かった」
「光栄です。殿下」
そう言って互いに微笑み合った二人は、改めてアルティナ達に視線を向けた。
「アルティナ様、先程は大変失礼致しました。今椅子を出しますので、お座り下さい。殿下はそちらの席を」
「……ありがとうございます」
「お言葉に甘えさせて頂きます」
ナスリーンが壁際に寄せてあった椅子に手をかけて運ぼうとした為、ケインが礼を言ってそれを机の前に運び、アルティナを座らせた。一方で隊長席の椅子を示されたジェラルドは、周囲を見回して困惑気味に声をかけてくる。
「ナスリーン? 室内には他に椅子が見当たらないが、私は女性を立たせて自分は座る様な主義は持ち合わせていないんだ」
しかしそれに彼女が、毅然とした口調で言い返す。
「私の立場上、王太子殿下を立たせて、自分が座るわけにはいきません。この部屋の主は私です。私の指示に従って頂けないのなら、即刻ここから叩き出しますよ?」
「やれやれ、相変わらずだな」
そう言って苦笑した彼はおとなしく隊長席に座り、ナスリーンがその傍らに立った。それを見たアルティナが、不思議そうに首を傾げる。
(今までこういう場面を見た事が無かったけど、王太子殿下とナスリーン隊長は随分懇意にされているのね。知らなかったわ)
そんな事を考えていると、ナスリーンがさり気ない口調でジェラルドを促す。
「それでは殿下。本題に入って下さい」
「ああ。単刀直入に言わせて貰おう。アルティナ・シャトナー。あなたに、近衛騎士団白騎士隊への入隊を要請する」
「私に、ですか?」
いきなりの申し出に、当然アルティナは面食らったが、その途端傍らに立っていたケインが、血相を変えて反論した。
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