入隊時に一悶着あったアルティナだったが、懸念していた三人の上級女官の就任については、予想外に滞りなく手続きが行われた。
「妃殿下。こちらの三人が、新たに上級女官に就任した者達です。皆様、妃殿下にご挨拶を」
以前から王太子妃エルメリアに仕えている上級女官のノーラが、少々厳めしい顔つきで横一列に並んだ三人に促すと、予め決めておいた通り、年齢順に礼を取りながら挨拶する。
「前ケライス侯爵夫人、グレイシア・ケライスと申します。こちらでは粗相の無いように、留意致します」
「ユーリア・ファーレスと申します。至らない所が多々あるかと思いますので、遠慮無くご指摘下さい」
「マリエル・シャトナーです。お役目を精一杯務めさせて頂きますので、宜しくお願いします」
元々貴族階級である他の二人とは違い、付け焼き刃で礼儀作法を頭と身体に叩き込んだユーリアは冷や汗を流しながらの挨拶だったが、どうやら合格点は貰えたらしく、ノーラとエルメリアから叱責の声は聞かれなかった。
「三人とも、急な事で申し訳ありません。これから宜しくお願いします」
ソファーに座ったまま上品に笑いかけてきたエルメリアに、ユーリアは文句なしに好感を覚えた。
(妃殿下が、高飛車美女じゃなくて良かった。穏やかな気質の方みたいで好感が持てるし、話に聞いていた通りお立場の割に腰が低いわよね)
そして無言で頭を下げながら、理不尽な思いに駆られる。
(庶民から見たら貴族なんてどれも大差無いのに、伯爵家出身だからって社交界で軽視されるって、納得できないわ)
ユーリアがそんな事を考えている間に、ノーラに促されてエルメリアの前から辞去し、少し離れた部屋に移動した。そこでノーラが徐に説明を始める。
「それでは、これから上級女官の仕事内容に付いて、簡単にご説明致します。上級女官の仕事は細かい事まで含めると多岐に渡りますが、未経験で年若いあなた達には、まず妃殿下や王女殿下へのご進物の確認と、親書の取り扱いをお願いしようと考えております」
それに三人は頷いたが、この中で一番諸事に詳しいグレイシアが確認を入れた。
「その中に執務棟への連絡なども入りますか?」
「そうですね。妃殿下のスケジュール管理や調整は、年長者の私達が行いますが、それの連絡などもお願いする事になるかもしれません。グレイシア様は貴族間の時節のやり取りなどは慣れているでしょうから、妃殿下からのお返事の代筆などもお願いするかもしれませんが」
「畏まりました」
(さすがに小娘の私達に、最初から大それた仕事が回ってくる筈は無いわね。安心したわ)
予め決めてあったらしいノーラの説明を聞いて、ユーリアは勿論、マリエルも密かに胸を撫で下ろした。
「それでは早速、封書の確認から致しましょうか」
「そうですね」
そしてその部屋の壁際に設置されていた机に全員歩み寄ったが、その間にグレイシアが上級女官の制服である簡易な藍色のドレスのポケットから、白い薄手の手袋を取り出して両手にはめた為、ユーリアは戸惑った。
「え? グレイシア様?」
「どうして手袋を? それにピンセットなんて、何に使うんですか?」
手袋をはめた後は、先が平らになっているピンセットを取り出したグレイシアを見て、マリエルも不思議そうに尋ねたが、彼女は事も無げに答えた。
「王族宛ての封書を取り扱うとなったら、中にどんな物が入っているか分かりませんでしょう? 予め準備しておいただけです」
「……常識なのですか?」
「私、手紙を開封するのに、手袋をした事は無いわ……」
困惑している二人を見て、ノーラが苦笑気味に説明する。
「支給品の手袋とピンセットは、そこの机の引き出しに入っているので、好きに使って下さい。今日はグレイシア様のやり方を、一通り見せて貰った方が良いでしょうね」
「はい……」
「すみません。お任せします」
そして椅子を寄せて二人はグレイシアの作業を見守ったが、彼女は慣れた手つきで机の上に積まれていた封書の中から一通を手に取り、ペーパーナイフ片手に開封を始めた。
「まずペーパーナイフで開封しますが、縁に薄刃とかが仕込まれていなくとも、安心して中に手を入れないで下さい。少し中央寄りに……。ほら、こんな風に斜めに貼り付けてある場合がありますので」
「はいぃ?」
「見えにくいんですが……」
開封した物の口を開き、二人の前に差し出して見せたグレイシアが、如何にも感心した口調で感想を述べる。
「これは見本としては、最適でしたね。一見して分からない様に、白く塗装した薄刃。しかも刃先に対して指先が直角に触れても切れませんから、手を差し入れる向きを想定し、それに合わせた微妙な角度を付けて内側に貼り付ける。完璧です」
「…………」
二人は(そんな如何にも惚れ惚れする様な表情で、言わないで下さい)と言いたかったが、辛うじて無言を貫いた。するとグレイシアが、続けてとんでもない事を言い出す。
「それから内封物に関してですが……、ああ、封筒にこれだけするだけあって、やはり便箋に薬品が塗ってありますね」
「薬品? まさか毒ですか!?」
「それにどうして見ただけで、そんな事が分かるんです!?」
「大丈夫だと思いますよ? 触れただけで害を及ぼす毒など有ったら大変です。精々、手が酷くかぶれたり、腫れたりする程度ですから」
「精々って……」
手袋をしたまま、中に入っていた便箋をバサバサとめくって確認していたグレイシアの台詞に、二人が揃って顔を引き攣らせる。しかし彼女は、淡々と説明を続けた。
「見分け方ですが、これは封筒と同様に上質な物を使用しています。それにもかかわらず、何故か微妙に歪んで僅かながらシミも見受けられます。これは液状の無色透明な薬品、または薬品を液体に溶かした物を、便箋に塗り付けた故かと。案の定、中身は白紙です」
「インクで書いた後にそんな物は塗れないし、そんな薬品を塗った物にわざわざ書く気はしないからですか」
「そうですね」
「ですが、どうしてそんな嫌がらせを? 仮にも王太子妃宛てですから、ここまで差出人不明な物が届く筈も無いのに……」
マリエルが本気で分からない様子で尋ねると、グレイシアは苦笑いしてその疑問に答えた。
「ですから、差出人は真っ赤な偽名でしょう。それに妃殿下が真っ先にこれに触れる筈の無い事は、出した人間も分かっています。これは明らかに、取り次ぐ上級女官に対しての嫌がらせです」
「それは……、私の上級女官就任が、よほど気に入らないと言う事でしょうか?」
「いいえ、ユーリア様。誰が上級女官に就任しても同じ事です。要は脅かして、自ら職を辞させる様にし向けたいのです」
冷静に告げてくるグレイシアに、ユーリアが(確かにそう聞いてはいたけど、本当にろくでもないわね)と内心でうんざりしていると、ノーラが嘆かわしいと言った風情で口を挟んでくる。
「全く、最近の若い者は、気概がなさ過ぎます。前任者達は色々送りつけられる物を見て、一々泣き叫んでおりましたよ。私から見たら、まだまだ手ぬるいとしか思えませんが」
「王妃陛下が王太子妃の頃のあれこれは、両親から幾つか聞いておりますわ」
「そうでしたか。確かに色々ありましたね」
何やらノーラとグレイシアがほのぼのした空気を醸し出しながら話している内容について行けず、ユーリアは反射的に(怖っ! 貴族って、こういうのが日常なの?)と目線でマリエルに意見を求めたが、その彼女は涙目で首を振った。
「それから、献上品の確認などもして頂きます」
「こちらですね? 確認致します」
グレイシアが同じ机に乗せてあった箱の一つを引き寄せ、リボンを取って上蓋を開けた。そして中身が明らかになった途端、グレイシアは無言で眉間に皺を寄せ、その横で二種類の悲鳴が上がる。
「…………」
「きゃあぁぁっ!! 虫ぃっ!! こんなにたくさん!!」
「きゃあぁぁっ!! 虫だわ!! こんなにたくさん!!」
箱に山ほど入れられて蠢いていた虫を見て、マリエルは本気で悲鳴を上げたが、自分の横でどう考えても歓喜の叫びとしか思えない声を上げたユーリアに、戸惑う視線を向けた。
「あの……、ユーリア? なんだか今、虫を見てもの凄く喜んだ様に聞こえたんだけど……」
しかし聞き間違ったわけでは無く、ユーリアは嬉々として答える。
「だって生きてますよ? 生きたまま虫を捕まえるのって、なかなか大変なんですよ? やっぱり皆、生き餌の方が喜ぶし。まさか後宮内で、しかも上級女官の格好で虫を集めるわけにいかないから、暫くは乾燥餌かな~って思ってたのに! 助かったわ、良かったぁ~」
「皆って、誰?」
「誰って……、鳥に決まってます。マリエル様」
「……そう」
あっさりと言い返されて、マリエルはがっくりと項垂れた。その横でユーリアがうずうずしながら、ノーラにお伺いを立てる。
「あのっ! この虫、箱ごと頂いても宜しいでしょうか!?」
「ええ……、構いません。どのみち処分しないといけませんから」
「ありがとうございます!」
少々戸惑いながらもノーラが了承し、ユーリアは与えられた私室に箱を持って帰る為、早速リボンを結び直し始めた。その横でマリエルが、恐る恐るノーラに尋ねる。
「あの……、ひょっとして、こういう者が定期的に届くとか……」
「そうですね。少なくとも何日かおきには」
「そんな……」
それを聞いて絶望的な表情になったマリエルだったが、ユーリアは益々喜びながら、次の箱に手をかけた。
「やった。誰かは知らないけど、いい仕事してるじゃない。助かったわ~。……それで、こっちはどうかな? あ、虫じゃなくて小動物の死骸か」
「ちょっとユーリア! 死骸って!?」
「うん、これは大型の猛禽類用の餌にピッタリ。ご丁寧に血抜きしてるし、腐敗防止と臭い消しにポプリ併用か。なかなか良いじゃない、このポプリは部屋で使おうっと」
「使うの!?」
「この手のタイプは、消臭効果抜群ですよ? マリエル様も使ってみます?」
「遠慮します!!」
力一杯辞退したマリエルには構わず、ユーリアは次の箱を開けてみた。
「さあ、次は何かな~?」
「きゃあぁぁぁっ!! 血塗れの手首!」
横から覗き込んだマリエルが悲鳴を上げたが、ユーリアは笑って彼女を宥めた。
「マリエル様、良く見て下さい。良くできてますけど、蝋細工ですから。でもやっぱり良い蝋を使ってるわぁ、変な臭いもむらも無いし。これ、ろうそく屋に持ち込んだら、それなりの値段で買い取って貰えるわね。これも貰えないかしら」
「売るの!? というか、こんな物が売れるの!?」
冷静に値踏みするユーリアに、ひたすら驚愕するマリエル。そんな二人を微笑ましく眺めながら、ノーラが安堵した様に呟いた。
「今回は、随分肝の据わった方に来て頂けた様で、安心しました」
「そんなに落ち着きませんでしたか?」
「……察して下さい」
思わず尋ねたグレイシアに、ノーラが溜め息混じりに返す。それでこれまでの彼女の気苦労の程が分かってしまったグレイシアは、無言で頷いた。そんな彼女に向かって、ノーラが多少口調を明るくしながら告げる。
「ですがこれから暫くは妃殿下にも、心安くお過ごし頂けそうです。何より若い人が増えれば、それだけで活気が出ると言うもの」
「何か至らない点や問題があった時には、年長者の私達がフォローすれば良いだけの話ですね」
「ええ。宜しくお願いします」
「はい。自分の役割は、心得ているつもりです」
力強く頷いたグレイシアに、ノーラは安堵したように笑いかけ、早速手袋をしたユーリアとマリエルが一々声を上げながら贈り物の中身を確認していく様子を、微笑ましく見守った。
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