実家の前まで送って貰ったユーリアは、地面に降り立つと御者に丁寧に礼を述べた。そして前庭で花壇の手入れをしていた兄嫁に、元気よく声をかける。
「お義姉さん、ただいま~!」
「まあ、ユーリア。一体どうしたの? 連絡も寄こさずに帰って来るなんて」
義姉のミラが驚いて顔を上げ、ユーリアは自分を見張っているであろう人物にも聞こえるように、不自然でない程度に声を張り上げる。
「アルティン様と一緒に、今日こっちに到着したんだけど、アルティン様が暫くこちらのお屋敷に滞在する事になったから、急遽休暇を貰ったのよ。皆にお土産を持って来たわ」
「ありがとう。でも、お屋敷に来てからすぐこちらに来たの? 疲れたでしょう。早く入って」
「義姉さん、父さんと兄さんは?」
「二人とも仕事場に行ってるわ」
ユーリアはミラとそんな話をしながら家の中に入り、二人が話す声を聞きつけて奥から母のレノーラと妹のアリエラがやってきた。。
「まあ、どうしたの? ユーリア」
「お帰りなさい、姉さん」
「母さん、義姉さん、アリエラ。お願い、協力して!」
「一体何事?」
いきなり懇願してきたユーリアを見て三人とも怪訝な顔になったが、彼女は構わずに話を続けた。
「大至急、王都に届けないといけない物があるから、今カダルに来ているデニス兄さんにそれを預けて、運んで貰うつもりなの」
「あら。あの子まで領内まで来ているの?」
「それなら、こっちに顔を出せば良いのに」
不思議そうにレノーラとミラが言い合ったが、ユーリアは弁解しながら話を続けた。
「アルティン様の指示で、秘密の任務として出向いているから。それで屋敷の人達には内密に兄さんの所に行きたいけど、多分この家も見張られているだろうから、私が戻るまでここに居るように取り繕って欲しいの。帰ってきたら、ゆっくり事情を説明するわ」
それを聞いた三人は無言で顔を見合わせたが、すぐにミラが笑って頷く。
「随分と物騒な話みたいね。勿論、口外しないから安心して頂戴」
「ありがとう、義姉さん」
「それじゃあ早速、鳥小屋に飼料を届けに行きましょうか。最初は荷馬車に私が隠れて行って、帰りはあなたのふりをして帰って来るわ。あなたは監視の目が離れてから、鳥小屋を出てカダルに向かいなさい」
そのレノーラの台詞を耳にした娘と嫁は、揃って固まる。
「ええと……」
「あの、お義母さん?」
「見た目に激しく無理があるんじゃない?」
アリエラが容赦のないコメントをしたが、レノーラは堂々と反論した。
「スカーフを被って、同じような服を着て行けば、一見分からないわよ。ユーリアと同じ黒髪なのは、私だけだし」
それを聞いたユーリアは、思わず唸るように感想を述べる。
「確かに、わざわざ近寄って見に来ないとは思うけど……。母さんも大胆ね」
「それ以前に、母さんが姉さんの振りをするって……、色々無理があると思うんだけど……。普通だったら私が髪を染めるとか」
「そうしたら、アリエラが居なくなってしまうでしょう? さあ、暫く一人二役をするから、あなた達もしっかり協力してよ?」
「はい」
「分かってるけど……」
そしてレノーラ主導で方針が固まり、彼女の夫と息子が連絡用の鳥を飼育している仕事場までミラとユーリアが飼料を運び、その飼育場で見事に母と娘は入れ替わった。
その日の夕刻。辺りがすっかり暗くなってから一軒の食堂で酒を飲みつつ食事をしていたデニスは、いきなり背後から肩を叩かれて一瞬全身に緊張を走らせた。
「デニス兄さん、発見!」
危うくナイフを放り出し、腰に装着している短剣に手を伸ばしかけた彼だったが、聞き覚えのありすぎる声に一気に脱力する。
「ユーリア? お前、どこから湧いて出た? それにどうしてここに?」
「アルティナ様から、兄さんに“手土産”を持って行くように頼まれたのよ」
「……それか?」
「ええ」
戸惑ったのも一瞬で、アルティナがアルティンとして近衛騎士団に入隊するのと同時にグリーバス公爵家の私兵の中から選抜され、抱き合わせの形で緑騎士隊に入隊して以来、“アルティン”の腹心を務めてきた彼は、今ここに妹がいるという異常事態で瞬時に粗方の事情を察し、盛大に舌打ちした。
「あの馬鹿公爵、とうとうアルティナ様を切り捨てやがったか」
「最初から、繋ぎのつもりだったのかしらね。アルティナ様を馬鹿にするにも程があるわよ」
ユーリアがテーブルの向かい側に座ると、料理を注文した彼女に向かって、デニスが不思議そうに尋ねた。
「しかし……、良く俺がここに居ると分かったな? アルティナ様が屋敷に入ったのを確認してから、こっそり連絡を取るつもりだったんだが」
「カダルの町に入ってから、片っ端から通りを歩いているおじさま達に『お酒と料理が美味しくて、給仕の女性が若くて美人なお店はどこでしょうか?』と聞いたのよ。三つのお店の名前が出たから三軒とも回ってみて、兄さんが好きそうな雰囲気はここかな~って」
笑いながら妹が事もなげに告げてきた内容を聞いて、デニスはがっくりと項垂れた。
「そんな博打みたいな事をするなと叱るべきか、それであっさり分かる程に自分の行動パターンが読まれているのかと嘆くべきか、微妙な所だな」
「それよりも」
「ああ。公爵が首をすげ替えるつもりなんだな? 誰にだ?」
途端に顔付きを険しくして声を潜めて尋ねてきた兄に、ユーリアは僅かに身を乗り出しながら小声で囁いた。
「詳しい話は聞いていないの。でも屋敷の内外は勿論、クレスタの街の要所に公爵家の私兵を配置して、アルティナ様が抵抗したり自棄になったりするのを警戒しているわ」
「どこまで馬鹿かね……。アルティナ様だって、いつかは身を引くのを考えていただろうに」
「でもそれは自分以上、もしくは自分と同等の能力を持った人が血族の中から出てきた場合でしょう? あの顔ぶれだと、当面は無理よ」
忌々しげに言い切ったユーリアを見て、デニスは思わず苦笑いした。
「お前も年々、物言いが辛辣になるな。アルティナ様の影響か?」
「余計なお世話」
そこでユーリアが頼んだ料理が運ばれて来たことで、会話は一旦中断された。そして少しの間二人とも黙って食べてから、周囲の様子を窺いつつ話を再開する。
「取り敢えず、ゆっくり飲んでいる場合ではなくなったな。確認するが、その鞄の中身は記章と短剣だけか?」
「アルティナ様から陛下への上申書も入っているわ。その内容に関してはアルティナ様が毎月確認しているから、そのまま騎士団に提出して問題ない筈よ」
「分かった。それなら食べ終わったら出立するが、一度俺が泊まっている宿屋に行くぞ」
「え? どうして?」
本気で戸惑った顔になった妹に、デニスは呆れたように指摘してみせた。
「お前、ここに着いてからずっと俺を探していたなら、まだ宿を決めていないだろう? 今からクレスタに戻るのは無理だし、俺の部屋をそのまま使えるように主人に話してやるから。女一人だと、何かと物騒だしな」
「うっかりしてたわ……。ありがとう、兄さん」
すっかり失念していた内容を認識して、ユーリアは素直に頭を下げた。それにデニスは苦笑しながら、翌日の事について付け足す。
「明日は明るいうちに、乗り合い馬車でも使って帰れよ?」
「そうするわ。兄さんも夜道、気をつけてね」
そして幾つかの相談と確認をしながら食事を済ませた二人は、デニスが使っていた宿まで行き、そこで別れた。
同じ頃、クレスタのグリーバス公爵家の屋敷では、滞在中は二階の奥まった場所に部屋を与えられたアルティナが、明かりを消した室内から庭を見下ろしながら呟いていた。
「夜も巡回か。私一人に、随分仰々しいわね」
カーテンの隙間から、ランプを下げた兵士が庭を横切って行くのを目にしたアルティナが、思わず皮肉っぽく呟いて苦笑する。その直後、面倒をかけることになってしまった腹心の兄妹を思い出し、僅かに表情を曇らせた。
「デニスは今日中に、領地を離れる事ができたかしら?」
しかしここで気を揉んでいても仕方がないとアルティナはベッドに戻って倒れ込み、しみじみとした口調で愚痴めいた呟きを盛らす。
「この前ユーリアに聞かれた時、団長になるのが目標と言ったのは半分冗談だったけれど、もう少しは騎士団に居座れると思っていたのに……。つくづく考えが甘かったわ。予定よりも随分早く姿を消す事態になってしまったし、最後は皆さんにきちんとご挨拶したかったのに……」
そこまで言って押し黙ってから、アルティナは一転して若干強い口調で自分自身を叱責した。
「せめて最後に面倒をかけないように、きちんと後始末をしておかないと。だけど何が『稀代の天才軍師』よ、アルティナ・グリーバス。自分の尻拭いを、部下にさせる羽目になった癖に……」
苦々しげなその呟きは暗闇に消え、それを耳にしたのは発言したアルティナのみだった。
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