「ふん、元の場所に帰してやれないこともないぞ」
またしても奥の扉から、雄々しい男性のことが響く。
「……! この声は……!」
ずっと黙っていた広多は、急に目を見開いて血相を変えた。なるほど、軍曹教師の出番か。
俺の思惑通りに、さきほど広多を散々いじめたあいつが、ゆっくりと姿を現した。
「おやおや、誰かと思えば、負け犬の貴公子ではないか」
「貴様、よくものこのこと……!」
軍曹教師の嫌みの満ちた笑顔が広多の神経に障ったのか、その顔がマフラーに隠されていても、声にこもっている怒りが露わになる。
「何か問題でも? ここは教務室なのだぞ。貴様の方こそ、こんなところで何をしている」
「この人間地獄から出て行くために、こいつらに協力してもらっている」
広多は腕を組んで、無愛想に返事をした。その上から目線の言葉を聞いたうちのクラスは、何人か機嫌を損ねられて、思わず眉間を顰めた。
「ほう、貴様にも仲間がいるとは……それはそれは、実に驚いたな」
「勘違いするな。俺はただなりゆきで、こいつらと共に行動しているだけだ。仲間など、所詮はただの足手纏いにすぎん」
冷酷さがエスカレートしていく広多の発言は、俺たちの熱い心を冷ましてしまう。そして怒りを抑えている聡の拳は、小刻みに震えている。
こいつ、そこまで怒っているのか。思ってたより熱い奴だな。
「それはさておき、さきほど先生は元の場所に帰してくれるとおっしゃいましたが、果たしてそれは本当でしょうか?」
冷静さを保っている哲也の質問は、何とかこのズレていた会話を本筋に戻すことができた。
「ああ、もちろん本当だとも。ただし一つだけ条件はある」
両手を開いて上に向ける軍曹教師は、不敵かつ冷ややかな笑みを浮かべた。その裏に隠されている悪巧みは、誰もその真意を突き止めることができない。
「ふん、やはりそう簡単に帰してはくれないか。いいだろう、その条件とやらを言ってみるがいい」
予想通りの厳しい現実を見せられても、まったく動じない広多だった。一体どんな人生を過ごしてきたのか、こいつ。
だがしかし、軍曹教師の常識を無視した答えは、この場にいる生徒たちを仰天させた。
「くっくっく、簡単なことだ。この学校にいる教師を全員倒す、それだけのことだ」
もちろん、この予想外の返事を聞いた俺たちは、誰一人驚きを禁じ得なかった。
「なん……だと……何という奇想天外な発想だ……」
「う、うそでしょう!? 先生を倒すなんて、そんなこと…………」
「マジかよ! それなんて無理ゲー!?」
緊迫に包まれて静まっていた教務室の雰囲気は、一気にみんなの騒がしい声で熱気へと変わった。まあ、いきなりこんなことを言われると、普通こういう反応するよな。
「どうした、できないとでも言うのか。貴様たち、我々のことを憎く思っているのではないか」
狼狽える俺たちを見ている鬼軍曹は、まるで挑発しているかのように高らかに声を発した。
こいつ、バカにしやがって……!
「はっ、要するにてめえらを全員ぶっ倒せばいいだろう? だったらやってやろうじゃねえか」
俺の心の中にたまっていた憤怒は、マグマのように爆発した。理性を見失った俺は、袖をまくって喧嘩腰に入った。大きな決意と共に、一歩前に踏み込む。
「いけません、狛幸さん!」
「危ない、秀和!」
「ぬわっ!?」
しかし千恵子と哲也は一斉に俺の肩を引っ張って、俺の前進を阻止した。
だが驚くのはそれだけじゃねえ。次の瞬間、更に不思議なことが起きた。なんと大きく開いている奥の扉から、テニスボールの大きさもある火の玉が飛んできやがった!
危険を感じた俺は、鍛えた鋭い反射神経のおかげで頭の位置をずらし、何とか火の玉を避けることができた。そしてそれがそのまま直進し、こっち側の壁にぶつかり、デカい音と共にデカい穴が開いちまった。
おいおい、一体何がどうなってやがるんだよ、これは!?
「大丈夫か、秀和!?」
「ああ、何とか……助かったぜ、哲也」
「もう、何をなさるのですか、狛幸さん! 校則第48条では、『校内での暴力行為は一切禁止』と書かれていましたよ!」
いやいや、それ以前の問題だろう! こんなでけぇ火の玉を目にして、何の感想もねえのかよ!
「今更それを言うか!? それならさっき、俺たちはもうGクラスでやっちまったじゃねえのか!」
「あっ……そう言われれば、確かに……」
忘れていた真実を思い出した千恵子は、手で口元を遮った。普段ならとてもかわいい仕草だが、今のこの状況じゃじっくり観賞する暇もねえな。
って、そういえばさっき火の玉を撃った奴は誰だ!よくもこんなことを……
「いひひひひひィ……そうだァ、ルールを守らねェ悪い子にゃ、お仕置きは必要だぜェ……」
「……! この声は……!」
またしても奥の扉から、聞き覚えのある汚らわしい声が響いてくる。すぐそれに反応してしまった美穂の顔には、物凄く嫌みが差しているように見える。
重い足音と共に、筋肉野郎の姿が少しずつはっきりと見えてくる。しかしそいつを見た瞬間、俺たちは再び目を見開いてしまった。
そいつが構えている左手には、さきほど俺が見た火の玉がメラメラと燃えていやがる! そしてその体は黒い霧に覆われていて、不気味さが倍増する。そのせいで、ただでさえ醜い顔がホラー映画の怪獣に見えて、思わず鳥肌が立つ。
「あーあ、やっちまったなあのバカ野郎」
足を負傷して椅子に座っていた20代ヤンキーは、変わり果てた筋肉野郎を見て溜息をついた。
「ちょっと能近、学校で真の姿を出してはいけないって、上から言われたんでしょう?」
今までずっと余裕だったドレス女も、何故か急に不機嫌そうに表情を変え、筋肉野郎の勝手な行動をたしなめた。
「で……ですが幌美様ァ、あいつらがやりたい放題しやがるんですからァ……」
うわ、あの筋肉野郎が土下座しただけじゃなく、敬語まで使ってやがる! さすがはスケベ、プライドを捨ててまで女の奴隷になることも厭わねえのかよ……
「はぁ……本当に名前通りに、ただの脳筋ね。せっかく用意した舞台で、私の美しい姿を披露してあの子達を驚かせようとしたのに、これじゃもう台無しじゃない。美学のないクズには、所詮分からないことだわぁ」
ドレス女は大きな溜息をついた後、窓の外を眺めて始めた。
「ひぃィ! も、申し訳ございません! このクズどもを、なんなりと罰を与えてくだせェ!」
自分の意中の人をがっかりさせたことに責任を感じたのか、筋肉野郎は頭を地面に叩きつけて、とんでもねえことを口走りやがった。
そしてドレス女は、何の躊躇もなく、針のような鋭いかかとをゆっくりと上げると、そのまま凄まじい勢いで筋肉野郎の豆腐のような体に踏みつけやがった。
「んぎぃぃィー!!! あ、ありがてえェーーー!!!」
まるでご褒美でももらったかのように、筋肉野郎はまたしても汚らわしい叫び声を出した。しかしさきほど美穂に踏まれた時の苦しい顔と違って、その表情は天国に行ったような快感を覚えているようだった。
「おい、いつまでそんなくだらない茶番をやっている。さっき貴様が言ってた『舞台』という言葉は、聞き捨てにならんな。一体何のことだ?」
痺れを切らした広多は、焦りを隠しきれずドレス女にビシっと指を指し、質問攻めを続けている。
「くだらないとは何だァ! 幌美様のご褒美を味わえるのは、かなり久しぶりだぜェ……」
意中の人が無礼に扱われることが気に食わないらしく、筋肉野郎はかろうじて頭を上げて、広多に反論する。
「下の名前で呼ばないで頂戴、脳筋しかない豚」
ドレス女はもう一度かかとを上げて、筋肉野郎の弱い所に踏みつけた。
「うっひゃあァーー!!! 幸せサイコォー!!!」
筋肉野郎は今度汚いヨダレを垂らして、目の黒い部分は上にずれたせいで見切れている。その異常な光景を目にした美穂だけでなく、他のみんなもイヤそうな顔している。
「おいおい、そろそろいい加減にしろよ。俺たちはここから出る方法を聞きに来たんだ、SMショーを見るなんて悪趣味はねえぞ」
さすがに俺も見ていられず、早くこの気まずい空気から抜け出そうと会話を続けた。
「ふん、そう焦るものではない。今からそれを説明してくれる」
鬼軍曹は依然として嫌らしい笑顔を浮かべて、何事もないように上から目線で話している。ムカつく野郎だぜ。
「今度こそ、真面目に話してもらうぞ。これ以上ふざけていれば、武力行使だ」
広多は化け物たちを警告しているように、拳を握り始めて戦闘態勢に入った。やれやれ、こいつは真面目を通り越して頑固と言っても過言じゃねえぞ。ある意味哲也を越えてるかもしれねえな、こりゃ。
「おっと、それは怖いものだな。それでは、能天気な貴様らでも分かるように、このAクラス担任、矛理 光輝が説明してやろう」
やれやれ、やっと本題に入るのか。こんなに疲れたのは、始業式で校長の御託を聞いた時以来だぜ。
【雑談タイム】
秀和「…………」
哲也「どうした? 珍しく元気がないな」
秀和「何なんだこいつら……マジ疲れるぜ」
菜摘「そうだね……それにあの面子が濃すぎて、私たちの出番はまったくなかったね……泣けてきたよ」
秀和「大丈夫だ、こいつらが威張れるのも今のうちだ。どの道悪役は俺たちの手で潰されるからな」
哲也「今さり気なくメタ発言したな……まあ、否定はしないが」
読み終わったら、ポイントを付けましょう!