その夜――アサヒ宅
ピロン
机の上の携帯から、通知音が鳴る。ベッドに寝転がって漫画を読んでいた彼は、何だ何だ、といった具合にロックを解除し、確認する。
「げ」
その一言に、彼の心のすべてが集約されていた。
送り主は――カグヤ。『面白いウワサ聞いたんだけど』とのことだった。
「……」
彼は無言で即座に携帯をロック、さらにマナーモードに設定、おまけに裏返してそそくさとベッドに戻った。
昔から、彼女がこう持ち掛けてくる時、それは
ある時は『誰かが秘密で飼ってたワニが逃げ出したらしいから見に行こう』だの。
またある時は『珍しい虫が山奥にいるらしいから捕まえに行こう』だの。
――大概ろくなことじゃない。
彼はそれを身に染みてわかっているが故に、見なかったことにした。
それが無駄だと知りつつも――
ブブブッ ブブブッ
――そーら来た。
数分ののち、着信を知らせるバイブレーションが響き渡った。
彼は観念した様子で再びベッドから立ち上がると、深いため息をついてから通話ボタンをタップする。
「もしも――」
「もしもし?今ヒマしてる?てゆーかヒマだよねっ!」
「お、おう……で、何だよ」
食い気味に話を展開していく彼女に口元をひくつかせながらも、彼は用件を聞く。
「いやー実はさ、面白いウワサ聞いちゃって」
「んだよ、今度はライオンでも逃げ出したか?」
「ふふふー、そんなレベルじゃないんだなぁー、これが」
「じゃあ、何なんだよ」
やけにもったいぶる彼女の様子に不安が募るアサヒ。
そして。
「とにかく降りてきてよ、直接話すからっ!」
「はぁ!?まさかおまーー」
ブツッ。その一言とともに、電話が切れた。
彼は驚いた様子ですぐさまカーテンを開け、外を見る。
そこには、満面の笑みでぴょんぴょんとはねながら元気に手を振る彼女の姿があった。
「ったく、しょうがねぇなぁ」
頭を掻き苦笑いを浮かべつつも、出かける支度を始める。
このままでいたら彼女はおそらく――いや、間違いなく一人でも行くだろう。
いくら気が強く腕っぷしもそこそこあるとはいえ、女の子だ。男として放っておくわけにはいかない。
彼は素早く身支度を済ませ、家を出た。
※
――数時間後 町の港
「この辺らしいんだけどなぁー」
アサヒは、カグヤとともに噂の真偽を調べに向かっていた。
無論強引に引っ張られて、だが。
「やっぱガセだったんじゃねぇの?」
「いーやそんなことない。あたしの勘がそう言ってるもの」
(勘かよ)
心の中でツッコミを入れつつも、渋々付き合うアサヒ。
彼はあの時のやり取りを思い返していた――
※
――数時間前 アサヒ宅玄関前
「『しあわせの箱舟』ぇ?」
「そうそう。面白そうじゃない?」
彼女は目を輝かせながら、彼に携帯の画面を見せつける。
表示されていたサイトには、こう書かれていた。
『今のあなたの生活、本当に幸せだと言えますか?』
『自分の本当の実力を認めてもらえない。そんな社会に、嫌気がさしていませんか?』
『この箱舟で、皆様を新たな世界にお連れ致します』
「いや、怪しいだろコレ!?」
それが率直な感想だった。
どこからどう見ても、新手の詐欺かアブナイ宗教団体にしか見えない。
「んー、まぁ。ぶっちゃけあたしもそう思う」
「オイ。じゃあなんで……」
腕組みをしながら深くうなずく彼女の姿にずっこけつつも、彼女に問う。
すると――
「……だって」
「だって、できるだけアサヒと一緒にいたい、し……」
彼が聞き取れないほどの小声で、彼女はそう呟いた。
「なんか言ったか?」
「とっ、とにかく!行ってみようよ、ね! ダメ?」
「そう言われてもなぁ……」
誤魔化すように声を上げ、上目遣いで彼に迫るカグヤ。
(ダメだ……つっても無駄か)
「しゃあねぇな。ヤバそうだったらすぐに帰るぞ」
「うん!」
彼女は嬉しそうにアサヒの手を引き、走り始めた。
※
(完全に流されちまったけど……)
ちらり、と彼女のほうへ目をやるアサヒ。
そこには、きらきらと子供のように目を輝かせる彼女の姿があった。
(ま、嬉しそうだし、な)
そう思っていた、その時だった。
「ねぇねぇ!あれ!」
突然、彼女が声を上げたのは。
「急にでっけぇ声出すなっての……!?」
その指がさす方向を見た彼も、言葉を失った。なぜなら。
「船……だよな?」
そこには、大型の船が停泊していたからだ。
しかし、ここは港。船があっても何ら不思議ではない。
彼が驚いた原因は、その形だ。
いかにも昔話に出てきそうな、大型の木で作られた帆船だったのだ。
今でも帆船を使用している例があるにはあるものの、そう多くはない。
現実離れした光景に、しばしあっけにとられていた。
「もうちょっと、近くに行ってみよ?」
「あ、ああ……」
近くに人影はない。見るだけなら――そう思い、二人は近づいた。
その瞬間だった。
「うぉっ!?」
「わっ!?」
二人の姿が、忽然と消えたのは――
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